【長編童話】悲しみのロボット
如月信二
第1章 1話 ジャミールとリチャード
ジャミール・ドレスタのことをきかれたとき、多くの者が反応に困る。
彼が希薄な感情の持ち主で印象に残らないからだろうか。それとも人を遠ざける性質のため深く理解されないためか。いや、きっと誰も関わりを持ちたくないのだろう。
ジャミールの名前を口にするのは大抵母親のロゼッタだ。息子がどう思われているのか不安で同級生やその親に会う機会があれば必ず話題にあげる。
きかれた者は心の中で「ああ、またか」とうんざりしながら、あたりさわりのないことを答えるが、あきらかに表情が曇っている。
父親であるバレンはあまり息子の名を口にはださない。ジャミールのことをあきらめているわけではない。ただ返ってくる答えに期待するのをやめたのだ。
ジャミールは部屋に閉じこもり本を読んでいることが多かった。
物心がついたばかりのころは友達とも遊んでいたが、常に退屈そうな顔をしていた。
どうも何かに感動したり喜んだりする感情に乏しく、何をしていてもつまらなそうなのだ。
そんな彼を見て友達は遊びにこなくなっていく。小学校にあがるころには彼を誘いにくる子はいなくなっていた。
学校に入学したばかりのころ、ジャミールは何度も仮病をつかって授業を休んだ。
そのうちに、担任の先生が家庭訪問にきた。先生の名前はリチャード・ブラウンといい、かなりの酒好きで、一度学校にウイスキーを持ち込んで授業中に飲んでいたこともあり、他の先生たちに目をつけられていた。
ただ生徒たちには優しく、人気があったので、校長先生には大目にみてもらっていた。もう学校に酒を持ち込まないという誓約つきで。
初めてリチャードがジャミールの家にきたときは家族全員がおどろいた。
ジャミールはまさか先生が家にやってくるとは想像もしていなかったし、母親にとっては酔っ払いが赤い顔で夜遅くにきて、先生だのドアを開けろだのと言われても信じられなかった。
リチャードは入学式を二日酔いで休んでいたので、母親もリチャードの顔を知らなかったのだ。
「こんばんは。美しいお姉さん。我が親友のお家はここでありましょうか?」
ウイスキーのビンを口に運びながらの、第一声がこれだ。
「いいえ、違います」
バタン、とすぐさまドアが閉められた。リチャードは家を間違えたのかと周りを見渡したが、他にそれらしい家はなかった。
彼は少し考えたあとにコートの右ポケットを探り、左のポケットを探り、ズボンの右ポケットを探って目的の物を見つけた。
トントンともう一度ノックをする。ドアの向こうからは反応がなかった。ドンドン。
「すいません、美しいお嬢様、ここはトルガノ地区フォーリン通り五番地のドレスタさんのお宅じゃないのですか?」
「バタン!」とすぐさまドアが開き、ロゼッタがあらわれた。目が見開いている。
「ええ、そうです。確かにここはトルガノ地区フォーリン通り五番地で、私の姓はドレスタですが、私は美しいお姉さんでもお嬢様でもないし、ここはあなたの親友のお宅でもないし、あなたは入り用ではございません!」
バタンとまたドアが閉められた。ここで初めてリチャードは自分の過ちに気づいた。
「失礼しました。ドレスタさん。私は決して怪しい者じゃございません。ジャミール君の担任のリチャードと申します。ジャミール君が学校を休みがちなので心配して参ったしだいでございます」
ロゼッタはドア越しにそれを聞いていたが、無視してリビングに向かった。
「誰かきたの?」
ジャミールはパンをスープに浸しながら、母親に尋ねた。
「誰もきてないわ。ただの酔っ払い。リチャードだとか学校の先生だとか嘘ばっかり。これだから酔っ払いは嫌い」
母は苛立ちを隠しきれない様子で答え、音を立てて椅子に座った。
ジャミールは一瞬よぎった恐怖に似た不安を隠すことに成功した。いつものように受け答えしなかったのだ。
呼び鈴の鳴る音が続いていたが、ロゼッタに応じる気配はなかった。
ジャミールは仮病がバレたと思い込んでいたので、先生がこのまま帰ってくれることを期待した。
呼び鈴の鳴る間隔が徐々にひらいていく。しかし困ったことが起こった。いきなり雨が降り出してきたのだ。
ジャミールは優しい心の持ち主であったため、突然の訪問者の身を案じてしまった。
先生が風邪をひいたらどうしよう。僕のせいだよねと。雨が降り出してからリチャードが部屋に入ってくるまでにはそれほど時間はかからなかった。
「おお、ジャミール!元気そうじゃないか!」
部屋に入ってくるなりリチャードはジャミールを抱きしめた。
ジャミールは「元気そう」という言葉にドキっとした。それと両親以外の誰かに抱きしめられたことがなかったので、どうしていいかわからなかった。ただ酒くさいのだけは印象に残った。リチャードはしばらくジャミールを抱きしめたあと部屋を見渡した。
「ああ、なんて素晴らしい部屋なんだろう!暖炉のあるリビングにあたたかい色のカーテン!純白の壁には夕焼けの湖畔の絵画が飾られていて、窓辺には繊細な作りのボトルシップまである。ペルシャ絨毯に、リクライニングチェア。香ばしいパンにブドウ酒の香り、そして湯気の立つコーンスープ。それからえっと……おお、これはおいしそうな鹿の剥製……」
そわそわとして多弁なリチャードを見てロゼッタは、
「どうぞ。よろしかったら先生の分も用意しますので召し上がってください」
と言い、キッチンに向かった。
「いやー、すみませんね。お呼ばれする気はなかったんですが、晩ご飯を食べ忘れてきてしまって……」
はははと笑いながらリチャードは椅子に座った。ジャミールも椅子に座り直した。
「はじめまして、リチャード先生。ジャミールの父のバレン・ドレスタといいます。いつも息子がお世話になっています」
バレンは姿勢を正して改めてあいさつをした。
「はじめましてバレンさん。僕はリチャード・ブラウン。ジャミール君のお友達です。よろしくお願いします」
ウイスキーを口に運びながらリチャードがそう言ったので、ジャミールは震えた。
リチャードが「友達」という言葉を使ったからだ。もちろんジャミールはリチャードのことを友達だとは思っていなかった。それでもジャミールの表情は平坦だった。
その後もバレンとリチャードは世間話をしていたがジャミールの頭には内容は入ってこなかった。
しばらくするとロゼッタが温めたスープとパン、グラスを1つ持ってきた。
「おお!私の心を満たすようなあたたかいお心遣いに感謝いたします!神はあなたの優しい心に祝福の鐘を鳴らすことでしょう。今日ここで皆様に出会えたことを私は生涯忘れないでしょう!」
と話しながらリチャードの手はグラスにブドウ酒をついでいて、言葉が途切れたと同時にのどを潤していた。
「かあー、うまい!」
彼はブドウ酒の美味さに感嘆して、体を折り曲げた。ロゼッタはため息をつくのをこらえて椅子にすわった。リチャードは次の瞬間にはパンとスープに夢中になっていた。
「リチャード先生。今日はどういったご用件でお越しになられたのでしょうか?」
本題に切り込んだのはロゼッタだった。バレンにはなぜかできなかった質問だ。その言葉にジャミールは凍りついた。リチャードはきょとんとしている。しばらく間があき、口を開いた。
「ドレスタ夫人、あなたは面白いお方だ!友達の家に遊びにくる理由を問いただすとは!私がここに来たのに理由などございませんよ。ただジャミール君に会いたくなったからですよ。主の御心のままに……」
リチャードはロゼッタに向かってお辞儀をした。
「友達?リチャードさんとジャミールは先生と生徒のあいだがらでしょう?友達とは少し違うのではないでしょうか?」
ロゼッタはいぶかしげに顔をしかめた。
「はっはー、僕とジャミール君はお友達ですよ。だって僕自身がそう思っているんですから。ジャミール君が僕のことをどう思っているかは知りませんが、彼も僕を親友だと思ってくれていたら最高です!」
リチャードはそう言い、笑いながらまたグラスに手を運んだ。ロゼッタはリチャードの言葉に不信感を抱いた。
「リチャード先生は面白いお方ですね。お酒とご冗談がお好きなようで。まさか友達が一方的なあいだがらで成立するとは。初めてお聞きしましたわ。さぞかし立派な先生なのでしょうね」
と皮肉いっぱいの言葉を返した。ジャミールには、なにがどうなっているかわからなかった。ただ下を向いていた。
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