第3話
30分も経っただろうか、サミュエルが再び声を出した。
「ロビーで待っている。くれぐれも逃げようなどとは考えないでくれ。君たちの命を散らしたくないんだ。王宮では必ず守ると誓う。頼む……耐えてくれ……」
サミュエルは返事を待たずに部屋を出た。
我慢していたのか、シェリーは声を上げて泣いた。
イーサンはそんな彼女を抱きしめながら肩を震わせている。
そんな二人を見る両家当主の目にも涙が浮かんでいた。
それからひと月、シェリーは王宮に与えられた自室で勉強漬けの日々を過ごしている。
今でも夢に見るイーサンの笑顔が、シェリーにとって生きる理由の全てだ。
あの日、心臓を二つに割かれるような思いで乗り込んだ馬車の中で、サミュエルが言った言葉を思い出す。
「良かったよ。聞き分けてくれて。これでイーサンの命も両家も守ることができる」
ハッと顔を上げたシェリーにサミュエルは悲しそうに言った。
「拒否するなら反逆者として切り捨てよという命が出ていたんだ」
シェリーはビクッと肩を揺らした。
一瞬だが、イーサンと一緒に殺された方が良かったという考えがよぎった。
しかし、すぐにその考えを打ち消す。
両家の家族の顔が浮かんだからだ。
あの人たちの人生を自分のために潰すわけにはいかない……シェリーはその時初めて、自分の意志でサミュエルの顔を見た。
「必ず守っていただけるのですね?」
「ああ、必ず守る」
それきり二人は黙ったまま馬車に揺られた。
流れる馬車の窓から見たあの日の夕焼けは、今も心に刻んでいる。
きっと人生最後の息を吐くまで忘れることは無いだろう。
シェリーは溜息を吐いて、目の前に広がっている今日の課題に取り掛かった。
「邪魔をするよ」
侍女が慌てて扉を開くと、シェリーの婚約者となった第二王子のアルバートだった。
シェリーは慌てて立ち上がり、カーテシーで迎える。
「第二王子殿下、ごきげんよう」
「ああ、シェリー嬢。お茶でもどうかと思ったのだが、勉強中だったようだね」
シェリーが講師の顔を見ると、にっこりと微笑んだ。
「恐れながら。第二王子殿下のご婚約者であらせられるシェリー様は大変優秀でございます。王子妃教育も恙なく、いえ、予定より早く進んでおりますので何も問題はございません」
アルバートが満足そうに頷いた。
「それは良かった。では婚約者殿を東屋に誘っても?」
「どうぞごゆっくり」
講師がそう言うと、アルバートはシェリーに歩み寄って腕を差し出した。
「それではシェリー、バラが見ごろだと聞いたんだ。東屋でお茶でもしようか」
「はい、殿下。喜んで」
シェリーは完璧だと講師からお墨付きをもらった作り笑顔で答え、アルバートの腕に指先を差し入れる。
「すまんな」
アルバートが漏らしたその声は、シェリーにしか聞こえないほど小さいものだった。
東屋には既にお茶とお菓子の準備がされていた。
断られることなど想定もしていなかったのだろうことに、シェリーは己の立場の弱さを見た。
「さあどうぞ、我が婚約者殿」
「恐れ入ります」
アルバートが引いた椅子に優雅に腰かけると、すぐに二人だけのお茶会が始まった。
スッと指先を動かして人払いをしたアルバートが、カップを口に運びながら言った。
「勉強は進んでる?」
「はい、予定通りだと伺っております」
「さすがに優秀だね。それで婚儀のことなのだけれど、母上からは何か言ってきたかな?」
シェリーは少し目を伏せて返事をした。
「全て……お任せいたしておりますので」
アルバートの生母である王妃に、このひと月で三度呼び出された。
一度目はアルバートとの婚約に対する祝いの言葉。
二度目はもともと予定されていた日程で結婚式を執り行うという命令。
そして三度目の昨日は、ローズが着る予定で制作が進んでいたウェディングドレスを着るようにという通達だ。
シェリーは王妃の言葉全てに、黙ったまま頷くだけだった。
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