第35話【救出】

和人かずとさん!? どうしてここに!?」


 どうにか駆けつけたはいいものの、凛凪りんなさんの右の頬は真っ赤に腫れ、せっかくのお出かけ用の服が汚れところどころ擦り切れていた。


「大丈夫? 凛凪さん」


 それも全部、目の前にいるの仕業か......。

 後ろにいる凛凪さんに気を遣いながらも、意識は立ち上がろうとする男から注意を放さない。


「いってぇ......ああ~、せっかくのブランド物が台無しじゃねぇか。どう落とし前つけてくれんのこれ?」


「あんた、久世くぜの差し金で来たのか?」

「ちっげ~よ! あの人のやり方が生温なまぬるくて見てらんねぇから、俺がこうしてわざわざ迎えに来てやったんだよ!」


 言動だけでなく見た目もいかにもチンピラですと体現したその男は、両方の手の甲と、そして首には大きな模様のタトゥー。

 子供の頃に読んだ冒険漫画にそんな悪役がいたような気がするが、それはいまどうでもいい。


「......噂は知ってるよ。女性の錬成人間ホムンクルスを利用して、随分と荒稼ぎしてきたみたいじゃないか」


 俺の感が確かならば、と、試しに鎌をかけてみた。

 すると男は、バカみたいに訊いてもいないことまでベラベラと語り始めた。 


「単純だよな~人間ってのはよ~。禁止されていることほどやりたくなるんだから。いくら中に出しても妊娠はしねぇ。人間も人形もリスク無しで気持ち良くなれんのに、なんでお偉いさん方が商売にするのを禁止にしてんのが意味わかんねぇよ。そうは思わねぇか?」


「......お前たちみたいに悪用する連中がいるからだろうな」


「悪用とは人聞きの悪いこと言ってくれるじゃねぇか。人形は俺たち人間様の道具だ。創造主が玩具おもちゃをどう扱おうが勝手だろ」


 その口振りは正に典型的な錬成人間を差別する者のそれで、さも正論のようにニタニタと悪気もなく語る男に反吐が出た。

 疑う余地もないクズが、ここにいる。


「そういうわけで、ゆかりは返してもらうぜ。あとこの服の弁償代、それから慰謝料込みで100万は最低でも貰わないと俺の気が収まらないな〜」


「断る。凛凪さんをお前らに渡すつもりもないし、その程度の汚れと怪我で何が100万だ。唾でも付けとけよ。何だったら俺が付けてやろうか?」

「てめぇ......死にてぇのか!?」


 調子のいい顔が一変し、汚い顔を歪ませ吠える。

 そろそろか――。

 男の体が前のめりになった瞬間、凛凪さんを庇うふりをしながら広げていた右腕を肩より上に大きく上げる。


「お巡りさんこっちでーす!! 怪しい人が暴れてまーす!!」


 合図を受けて一ノいちのせさんが物陰から大きな声で叫ぶと、霧津木は怒りの表情から一瞬にして狼狽の表情を浮かべ怯む。


「クソが!!! 覚えてろ!!!」


 さっきまで威勢の良かった態度は微塵も消え、全力ダッシュで一目散に空き地から逃亡を謀った。

 柵を飛び越えようとジャンプした足は見事に引っかかり、肘から地面に落下。醜態を

さらしながらも男は警察が来たと思い込んで必死にその場を去っていった。

 完全に姿が消えたことを確認し、俺は物陰にいる功労者に向かって手招きした。



「......こんな感じで大丈夫だったでしょうか?」

「上出来上出来。グッジョブ」


 まだ周囲を警戒している一ノ瀬さんをサムズアップで出迎える。


「一ノ瀬さんまで!? もうお家に帰ったはずでは――」

「俺がここまで来れたのも一ノ瀬さんのおかげなんだよ」


 事の顛末てんまつを簡潔に伝えると、凛凪さんはお礼の言葉と共に、その場で正座から深々と頭を下げた。これ以上汚れてしまうのを構うことなく。

 

「――とにかく、早くこの場から離れた方が良さそうだ。戻ってくることはないだろうが、警察が来たんじゃないとバレたら面倒なことになる」


「そうですね」

「凛凪さん歩ける?」

「はい。なんとか」


 凛凪さんの手を取り、立ち上がる手助けをしてやる。

 極度の緊張のせいか顔色があまり良くないのは夕焼け越しにもはっきりと視認できたが、歩けないまでではないらしい。


「一ノ瀬さんも、今日は申し訳ないけどお姉さんの家に泊まった方がいいと思う。奴が一ノ瀬さんの顔を見てるとは思えないけど、一応念のためにね」


「ですよね。そうします」

「私のせいで一ノ瀬さんにも迷惑をかけてしまって......申し訳ございません」

「いえ大丈夫ですから。それより早く部屋に戻って傷の手当をしましょう。せっかくの綺麗な肌に傷が残ってしまったら大変です」


 一ノ瀬さんの言うとおり、歩けるとはいえ服の上からでは傷の度合いが判断できない。

 ふらつく凛凪さんの腕を肩に乗せ、俺たちは周囲の警戒をしながらアパートへと帰っていった。





「着替え、ここに置いておくからね」


 脱衣所のカゴの中に着替え一式を置き、浴室の中にいる凛凪さんに声をかける。


 部屋に戻ってきてから真っ先に凛凪さんの傷の手当をし、それ以外に髪の毛なんかが泥で汚れてしまっていることもあり、シャワーを浴びてもらうことにした。

 ケガの具合は軽い擦り傷と足首の捻挫。

 最悪病院のお世話になるかもと頭をよぎったが、そこまで大事に至らなかったのがせめてもの救いだった。


「ありがとうございます」

「下着は一ノ瀬さんに選んでもらったから」

「それは残念です。和人さんがいったいどういう色と柄の下着を選ぶのか興味がありましたのに」 


 あんなことがあったばかりでも、浴室のドア越しに普段通り俺をからかってくれる凛凪さん。

 今はその気遣いが逆に、無傷で助けることができなかった俺の後悔を強くさせる。


「ごめん。もう少し早く着くことができれば、凛凪さんが痛い思いをせずにすんだのに」

「謝らないでください。和人さんは守ってくれました。あのままだったら私、今頃もっと霧津木むつぎさんに酷い目にあわされていました」


 どうやらあの男の名前は霧津木というらしい。

 曇りガラスにぼやけて映る凛凪さんの声音こわねが、微かに震えている。無理もない。

 そこまで体格の大きい相手ではなくとも、男と女では筋力に圧倒的な差があって当然。

 錬成人間はスーパーマンでも何でもない。

 生まれや体質が特殊なだけで、能力そのものは人間と何ら変わりはないのだから。


「また、助けられてしまいましたね」

「男として、レディを助けるのは当然の役目ですから。これからもガンガン頼っていいからね」

「......」


 浴室にシャワーの音が響く。

 急に黙り込んでしまった凛凪さんにどう話しかけていいか迷った挙句、今は一人になりたいのだろうと脱衣所をあとにしようした――その時だった。


「私......記憶を失っていないんです」


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