第21話 ランスの告白

「一体、いつまでそうしているつもりですか?」


 あのあと、レーヴェンはそそくさと部屋に戻った。俺はしばらく愕然と庭に立ちつくしていた。

 太陽は沈み、ロレッタによって屋敷から追い出されるセドリックを横目で見ていた。


「聞いているんですか?」


 無感情な声が俺の背中で響く。

「食事ができたので、さっさと食べてもらっていいですか?」と、ロレッタがいつもの調子で口にする。


 ロレッタもこの後の展開をある程度予想しているはずなのだが、彼女は変わらず冷静で、すでに覚悟を決めているようだった。


「俺、ここに残りたい……」


 暗闇の中で、絞り出すように口にした。


「食事が冷めてしまいます」


 背を向けたロレッタは、振り返ることなく屋敷に向かって歩いていく。


「ロレッタに言ったって……意味ないよな」


 よし!

 俺は食卓で、レーヴェンに自分の願いを直接伝える決意をし、急いで食堂に向かった。


「……」


 しかし、そこにはレーヴェンの姿はなく、テーブルにはただ一人分の食事が虚しく並べられているだけだった。


「……レーヴェンは?」

「レーヴェン様はお部屋でお休みになられております」

「……食べないの?」

「あなたが気にすることではありません」

「……そうだけどさ」


 一人でする食事は味気ない。初めてロレッタの料理を食べた日、ほっぺたが落ちるくらい美味しかったのに、なぜか今は全然味がしない。何を食べても美味しくない。


「ご馳走さま……」


 俺は食堂を出て、二階の自室に向かった。途中、レーヴェンの部屋に立ち寄るかどうか思案するも、時間が遅かったので、やむなく通り過ぎた。


「……全然寝れない」


 部屋には月明かりを遮るカーテンすらなく、仰向けに寝転がった俺は、胃がキリキリと痛み、全く眠れなかった。


「もうっ」


 掛け布団を頭からかぶり、瞼を閉じようとすれば、彼女の顔が浮かび上がる。美しくも神秘的な黒い髪のレーヴェンが、ルビーのような瞳でこちらを見つめている。俺を認めた途端、彼女は健康的な白い歯を見せて微笑んでくれる。


 その笑顔は、俺の心を温かく包み込んでいく。


 しかしその直後、誰かに心を奪われてしまったかのように、胸にぽっかり穴が空く。虚無感に襲われ、胸が痛み、俺は巻貝のように丸くなってしまった。


「ゔぅっ……」


 それは叫び出すような痛みではなく、むしろ全身の力が抜けたような感覚で、もう二度と立ち上がることができないかのような苦痛だった。例えるなら、魂の一部が削り取られたような感覚だ。


「レーヴェン……」


 無意識に彼女の名前が口から溢れた。

 無意識に彼女の名を口にする。

 繰り返される人生の中で、こんなにも誰かを思ったことはなかった。


 俺は改めて、彼女に惹かれていたことを自覚する。

 人は失って初めてその人の大切さに気づくというが、気づくのではなく、膨れ上がるものなのだと知る。


 胸の奥にずっといた彼女の存在が、ただの「さようなら」という一言によって、これまでよりもはるかに巨大なものへと変化してしまった。いや、実際には彼女の存在の大きさを、俺が正確に理解できていなかっただけなのかもしれない。だからこそ、別れの言葉によって俯瞰的に見つめることができ、その巨大さに圧倒され、虚無感に襲われているのかもしれない。


 掛け布団に包まり、どれくらいの時間が経っただろうか。真っ暗な世界が次第に鮮やかな色に変わっていった。どんなに落ち込んでも、どんなにショックを受けても、朝はいつも同じようにやってくる。


 そんなことは、以前から知っていたはずなのに……。

 気持ちは口に出さないと伝わらない。行動で示すだけでは、それはただの自己満足になってしまう。


 大切なことはどんな風に伝わったかではない。それが本当に伝わったのか、それが重要なのだ。

 こんな当たり前のことすらも、何百年生きても、俺はうまく実践できないでいる。


 本当に自分が嫌になる。

 だけど、まだ間に合う。

 まだ遅くないはずだ。


 夜が明けて間もない時間帯。

 まだ誰もが寝静まっている。

 こんな時間に女性の寝室に訪れることは、最低の行為であることは重々承知している。

 けれど、人目や体面にこだわることはもうやめる。これで終わりにする。


 人からどんな評価を受けようとも、この気持ちにだけは、素直でいたいと思った。


「伝えよう。レーヴェンに、自分の気持ちをちゃんと伝えるんだ」


 俺は意を決してベッドを飛び出した。

 静まり返った屋敷に、ノックの音が響いた。


「レーヴェン、こんな明け方にすまない。無礼だとは百も承知だが、俺は君に伝えたいことがある」


 扉の向こう側からかすかな音が聞こえた。

 されど、返事はなかった。

 構うものか。


「俺は君とここに残りたいんだ!  危険なのは分かっている。でも俺はレーヴェンの側にいたい。もしも君に火の粉が降りかかるなら、俺はこの身を挺して降りかかる火の粉の盾になりたい。誰も君の騎士にならないというのなら、俺が君の騎士になりたいんだ!」


 違う。

 そうじゃない。

 もっと大切なことを伝えるべきなんだ。


 俺は一度深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。

 そして、扉の向こうにいる彼女にしっかり届くよう、俺は声を張り上げた。


「レーヴェン、俺は君が好きだ!!」


 ――ガタンッ!?


 部屋の中から大きな音が聞こえた。


「レーヴェンからすれば、俺なんて異性として見られないかもしれない。けれど、それでも弟のようだと言われるのは男として嫌なんだ! 俺は一人の男として君に見られたい!  君を守りたい!」


 俺は扉に手をかざす。

 思いの丈を込め、全身全霊、何度でも伝わるまで叫ぶ決意で声を放つ。


「俺は君が好きだァッ――――!!


 初めて君を見た幼い頃から、ずっと憧れていた。この気持ちはずっと憧れなんだと思っていた。だけど、あの日偶然君に会って、違うんだって気づいた。憧れなんかじゃない。

 俺はずっと君のことが好きだったんだ!」


 返事はない。

 それでもいい。

 身分が違いすぎるからとか、そんな言い訳ばかり並べて、伝えられずに終わるよりはずっといい。


「レーヴェン、俺は……」

「あなたは一体、何をしているのですか!」

「……っ」


 ロレッタにハーネス、それにテレサたちがやって来てしまった。


「離してくれ、お願いだ!  俺には伝えなければならないことがあるんだ」

「おやめなさい、ランス! あなたは自分が誰に、何を言おうとしているのか、理解しているのですか!」


 身の程をわきまえろというロレッタの言葉は、至極当然だった。


 でも――


「好きだ、レーヴェン! 俺は君が大好きなんだ!」

「おやめください、ランス殿!」


 この気持ちは誰にも止められない。

 止めてはいけない。

 101回目の人生で、ようやく見つけた気持ちなのだ。


「好きだ、レーヴェン! 世界で一番、君が好きだ!!」

「何をぼーっと見ているのですか! あなたたちも手伝いなさい! この愚か者を今すぐに屋敷から叩き出すのです!」

「は、はい! ランス様、相手は皇女殿下なのです! おやめください!」

「嫌だ、離せっ! レーヴェン、君が俺を好きじゃなくてもいい! 愛してくれなくてもいい! ただ、俺も君と一緒に戦わせてほしいんだ! 俺を、君の側に――痛っ」


 俺はロレッタたちによって、屋敷の外に放り出されてしまった。


「あなたがこれ程までに愚か者だとは思いませんでした。これはあなたの荷物です! さっさとこの屋敷から出ていきなさい!」

「あっ、待ってくれ――」


 ――ガチャン!!


 俺はロレッタに屋敷から締め出されてしまった。


「レーヴェン……」


 見上げた彼女の部屋のカーテンは、閉められたままだった。

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