第4話 涙を止めるために

「しっかりしろ!」


 血まみれの臣下を抱きかかえるレーヴェン皇女殿下は、俺が抱いていたイメージとまるで違った。幼少の頃に聞いていた彼女のイメージは、冷酷無慈悲な殺戮を好む女性だった。逆らう者には容赦せず、そうでない者は奴隷のように扱うと聞かされていたのだ。


 女性でありながら戦場を好む死神の名は、軍人や冒険者ならば誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。


 レーヴェン・W・シュタインズ。

 最強かつ最悪の女帝と呼ばれた皇女殿下だ。


 しかし、目の前の彼女は噂とは違った。

 敵であるセドリックに情をかけ、血まみれの臣下を抱き抱えるその姿は、俺が聞いていた彼女の人物像からは大きくかけ離れていた。


 それに、今の彼女からは以前の冷徹さがまったく感じられなかった。

 潤んだ瞳で、死なないでと子供のように繰り返すその言葉からは、戦場の死神として恐れられたはずのイメージはまったく見当たらなかった。


「レー……ヴェン、さま」


 蒼白い顔がますます白くなりながら、少女は手を伸ばした。レーヴェンはその手を優しく受け取り、美しい夕陽のような瞳からは一筋の涙がこぼれ落ちた。


 その瞬間の感情は、言葉では言い表せないものだった。


 誰かに胸の奥の脆い部分を掴まれたかのような、不思議な錯覚にとらわれていた。それは気分の良いものではなく、鼻の奥がツンと刺激され、よくわからない感情が内側で荒れ狂う波のように押し寄せた。

 俺は必死に拳を握りしめ、涙をこぼさないように努めた。


 なぜ、こんなにも悲しいのか。見知らぬ少女が黄泉の国へ旅立つことが、なぜこんなにも辛いのか。いや、そうではない。俺はレーヴェン・W・シュタインズ皇女殿下の、彼女の涙を見たくないのだ。あの涙を止めることができるのなら、何だってしてあげたいと思ってしまった。

 それがなぜなのかは、わからない。


「押さえろ!」

「へ……?」

「ここを、こうやって押えて傷口を塞ぐんだ」


 俺は上着を脱いで、少女の腹部に押し当てた。


「ポーションは、ポーションを一個も持っていないのか!」


 ポーションは細胞を活性化させ、自己再生能力を数千倍に高める薬だ。帝国の第一皇女殿下一行がそれを持っていないはずがない。


「あ、あそこに……」

「……マジかよ」


 彼女が指し示した方向には、小箱に入ったポーションが地面にばらまかれていた。聖騎士たちはレーヴェンを暗殺するため、あらかじめポーションを破壊したのだろう。


「ロクでもない連中だな。だが諦めるなよ。まだ助かる可能性はある」

「あ、あぁ……」


 彼女は震える声で返事し、服の上から腹部をそっと押さえた。


「そのまましっかり押さえていてくれ!」


 なぜこんなことをしているのか、自分でも理解できない。

 しかし、体は勝手に動いている。


 頭の中では無意識のうちに少女を救う方法が幾通りも思い浮かび、森の中で必要な薬草を手早く採取する。これは長い旅路の中で忘れていた懐かしい感覚だ。


「ポーションを生成している時間はない。一刻も早く止血しなければ、あの娘は助からない」


 必要な薬草を採取した後、俺は急いで彼女たちの元に戻り、すぐに血溜まりを掬い上げた。そして、地面に血で錬成陣を描いた。


「―――錬成ッ!」


 錬成の過程でもっとも大切なことは、素材の理解と錬成したいモノの理解。それに創造力も必要不可欠だ。


 今回の素材は土、イメージするものは擂鉢。


 錬成陣が蒼く輝き、稲妻が発生する。その結果、土が盛り上がり、自動的に混ざり合っていく。あっという間に二つの擂鉢が完成した。


「借りるぞ!」

「あっ……」


 擂鉢に採取した薬草をぶち込み、レーヴェンのサーベルの柄頭部分で潰していく。この方法で二つの異なる薬を作り出していく。


 薬やポーションを錬金術で作ることは便利だが、微量で効果が変わる薬やポーションは、錬金術に欠かせない創造力――イメージが不可能だった。


 賢者はそれを世界の法則に反する行為と表現していた。錬金術によって錬成できるものには限界があるのだ。

 だからこそ、薬やポーションは手作りで作成するしかない。


「な、何をする気だ!?」

「いいから黙って見てろ」


 二つの擂鉢を持ち、少女の脇に移動した。


「うぅっ……」

「噛むんだ。死にたくなかったら噛んでくれ!」


 俺は少女に木枝を噛ませた。


「お、おい、嫌がってるぞ」

「舌を噛むよりはましだ。今は我慢してもらうしかない」

「舌っ!?」


 俺はレーヴェンに衣服を取るよう指示し、少女の服を切り裂いた。


「――き、貴様っ!?」

「冷静になれ。この娘を辱めるつもりはない。傷口を塞ぐのに邪魔なだけだ」


 彼女が襲い掛かってくるのをなだめ、俺は右手に魔力を集中させた。

 そして、呪文を唱える。


「燃えさかれッ!」


 ――豪ッ!!


 魔力によって、俺の右手は灼熱の炎に包まれていく。


「しっかり押さえていろよ」

「おい、貴様っ……まさか、冗談だろ?」

「大真面目だ」


 メラメラと燃え続ける炎を少女の腹部――傷口に押し当てた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ――」


 痛みに耐えかねて暴れる少女の華奢な体を、レーヴェンは奥歯を食いしばりながら押さえ続けた。


「すまない、すまない、テレサッ……」


 高温の炎が皮膚を焼き、傷口を封じる。次いで火傷の痛みを和らげるため、薬草をすり潰し、彼女の体に刷り込んだ。それからもう一つ、煎じた飲み薬を飲ませる。これは痛み止めと解熱薬だ。止血しても高熱で死んでしまっては意味がない。


「とりあえず応急処置はここまでだ。あとは栄養のある食事を摂り、安静にすることだな」


 レーヴェンは少女を自身の膝に寝かせ、安堵のため息を吐き出した。

 そして、眉を寄せて、じっと俺の顔を見つめる。


「なぜ、助けた? 私の臣下を救えば見返りが大きいと思ったか?」

「見返り……? そんなのは必要ない」

「必要ない、だと?」


 訝しむ彼女に、俺は照れくさかったけれども素直な気持ちを言葉にした。


「女の子の泣き顔は見たくないんだ」

「おんなの……こ?」

「あっ、皇女殿下に対して女の子は失礼だったか」

「わ、わたしが……女の子!?」


 驚いた表情で俺を見つめるレーヴェンは、ぽかんとした顔でこう尋ねてきた。


「貴様、歳は?」

「18だ」


 素直に答えると、彼女は長いまつ毛を数回鳴らした。

 そして――


「ふふっ、あははははははッ―――」


 豪快に笑った。


「私は28だ!」

「知ってる。ちょうど10歳、年が離れているはずだ」

「死神と恐れられることはあったが、まさか10歳も年の離れた者から、女の子扱いされる日が来るとは思わなかった」


 笑いすぎて目尻に涙をためる彼女は、やはり可憐だと思った。

 

「改めて礼を言うぞ、ランス王子」


 差し出された手を握り返し、俺はもう王子ではないことを説明する。


「そうか。ランナー国は惜しい王を失ったな。民が気の毒だ」


 薄く微笑む彼女の顔を見ていると、心地よい暖かさが心に広がった。やがてドキドキと胸が高鳴り、俺の顔には自然と笑顔が広がった。


「ではランス。貴殿にはできる限りの礼をするつもりだ。が、現在は色々と事情があり、金銭による報奨は不可能だ。申し訳ない。とりあえずここからそう遠くない場所に私の別邸がある。そこまで一緒に来てもらえるか?」

「ああ、構わない」


 俺は彼女の申し出を受け入れることにした。

 皇女殿下の好意を断ることは、さすがにどうかと思う。というのは建前で、本当はもう少し彼女と一緒にいたかった。

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