第一章 招待状
1
都内某所の屋敷。この屋敷の主、
日課である株式市場の動向のチェックが終わり一息ついた。今日のトレードも成果は上々であった。
お気に入りの肘掛椅子に背を預けて大きく息を吐く。テーブルの上のコップに手を伸ばそうとしたが、空になっている事を思い出して引っ込めた。
肘掛椅子から立ち上がったのと同時にドアがノックされた。返事をするとこの屋敷の執事的なポジションの使用人がドアを開けた。
「お客さん来たぞぅ。教授さんと便利屋さんだぜい」
「珍しい組み合わせだね。案内してあげてくれ」
「もう応接室でコーヒーを出したところまでやったぞぅ」
「分った。すぐ行こう」
言動が雇い主と使用人の関係性じゃなさそうだが、煌月にとっては信頼と呼べるものを寄せる数少ない人間の一人だ。
屋敷の応接室は調度品は少なく必要最低限。屋敷の主は応接室で見栄を張らない性格の人間だ。手入れが行き届いている室内に、昼過ぎの太陽光がカーテン全開の大きい窓から注がれていた。
応接室には三十代後半の男と六十歳を過ぎたの紳士風な男が並んで座っていた。
「お待たせしました」
煌月は二人と互いに挨拶を交わし、正面の椅子に座った。煌月の体格に合わせた大きい椅子だ。
煌月は若い男で、地味なシャツとズボンで派手さとは無縁の格好で椅子に座っている。煌月の特徴は二つ。
一つ目はこの若さなのにも関わらず白髪。黒一つ無い自然な白が耳の下のところまで流れている。
二つ目は日本人離れした長身でその高さは二メートルを少し超えている。
「珍しいですね。一緒に訪れるなんて」
「偶々入り口で会ったのだよ」
答えたのは紳士風の男だ。彼の名は
その横に座る男の名は
「今日はどのような御用件でしょうか?」
煌月が聞くと霧部と佐間は互いを見遣る。佐間が譲るようだ。
「煌月、君もいい歳なんだから嫁を貰おう、な」
「いい歳って、私は先日二十一歳になったばかりですが?」
デリバリーのピザと丼物とケーキを自宅で――招待客はおらず一人だけで――たらふく食べたことは記憶に新しい。
「君ねぇ、放っておいたら死ぬまで独り身だろう? 私は君の育ての親のようなものだから良く分かるんだ。私の研究仲間が一人紹介してくれる話でね。煌月より二つ年上と言っていたな。新米の弁護士らしい。色々と教えてあげてほしいとも言っていたな。君となら上手くやっていけるんじゃないかな。勿論今すぐ籍を入れろっていう訳じゃないよ? お見合いから始めようじゃないか」
「はぁ……」
言っている意味が良く分からない。そもそも弁護士に私が何を教えろというのか?
「まぁ今日明日の話じゃない。私の顔を立てると思ってだねぇ。どうかね?」
「そう言われちゃうと断り難いですね。会うだけならいいですけども」
「それは良かった。日取りが決まったらこちらから連絡するよ。なぁに期待して構わないと思うよ。私自身は会った事は無いが、変な女の子では無い筈だよ。多分ね」
霧部は満足そうに珈琲の残りを口に入れた。煌月は大きく息を吐いて視線を下げた。
「さて私の方の用件は終わったよ。どうぞ。都合が悪ければ私は退出するが?」
霧部が隣の佐間に声を掛けた。佐間は手を小さく振って、
「いやぁ招待状を届けに来ただけなので大丈夫ですよ」
佐間は懐から一通の便箋を取り出して煌月に渡した。
「これな、『リアル脱出ゲーム』の招待状なんだと」
煌月は受け取った便箋をすぐには開けなかった。便箋には『五鶴神煌月様宛』としか書かれていない。裏返しても、招待した者の名前や住所といった情報は無い。それを確認した後、便箋を開けて中身を取り出した。
霧部も気になるのか黙って様子を窺っている。
「主催者がセレクトした人物のみ招待される『リアル脱出ゲーム』。賞金額は
それにおかしな一文がある。この『幼き助手、
真っ白な便箋にパソコンで書かれた文字列。この便箋を持った煌月の右手が上下に揺れた。
「差出人が書いていないのも気がかりだ。誰が招待状を寄こしたんだ」
そもそもリアル脱出ゲームとは『謎解きゲーム』であり、主催者と参加者の頭脳戦、あるいは知恵比べだ。賞金が用意されているイベント自体が無いといってもよく、参加者にとっては頭を使った謎解きが楽しいのであって、賞金が目当てで参加というのはまずないだろう。参加費を払うことも多く、せいぜいささやかな景品があるかないかだ。
「へぇそんな大金が賞金になっているのかぁ。凄いな」
「賞金に興味はありません。それより佐間さん、これはどういう経緯で私に持ってきたんですか?」
無表情のまま煌月が聞くと佐間は座り直した。
「まぁそうくるだろうなぁ。賞金に関しては相変わらず景気が良さそうだもんな。煌月の噂を聞きつけた主催者が連絡先を探していたところ、偶々直接コンタクトができる俺に当たったらしい。それで届けてくれるように依頼してきたんだよ」
無表情な煌月から疑念が籠った視線が佐間に飛ぶ。
「リアル脱出ゲームの招待状を渡してくれと依頼されたが、中身については聞いていないんだよなあ」
「主催者についての情報を要求します。佐間さんのことだ、依頼人に関してはある程度調べているんでしょう?」
この佐間健人とという男は、少なくとも煌月に対して騙すような事をする不誠実な人間ではないという認識で付き合っている。佐間は煌月に依頼を持ち込む時、守秘義務に抵触しない範囲で必要な情報も依頼の裏も必ず伝えてくるのだ。
佐間は真面目さ三割で調子の良さ七割のおどけた表情で両手を合わせた。
「主催者からは謎の大富豪ということにしてくれと言われているから、素性は伏せさせてほしい。でも名のある大富豪だっていうのは俺自身で調べた。金持ちの道楽ってヤツで、リアル脱出ゲームのスポンサーを何度もしているご老人だよ。
頭の良い人を集めてやるから、今回は高額な賞金を用意するって聞いたんだ。まさかこんな桁違いの額とは知らなかったけども」
「佐間さんがそう言うなら、一応出所が黒ってことはなさそうですね。演出と言われればまあ納得することはできるでしょう。この幼い助手とやらも、実在の人物かもしれないし、架空の人物で謎解きの一つと考える事もできる」
煌月は左肘をついて左手を口元に当てた。座って考え事をする時によくやるポーズだ。
「普通は悪戯だと思ってゴミ箱行きですが」
「そこをなんとか参加してくれよ~。裏を話すとさ、煌月が参加してくれると俺は報酬として百万円受け取る話をしてんのよ。ちょっと付き合っておくれよ~頼むよ~。主催者は煌月の天才的な頭脳を認めているみたいだしさ」
佐間は食らいつく。煌月にとっては億単位の金に興味がないが、佐間にとっては百万円は執着する額なのだ。
煌月は五分程口を閉じた後座り直した。
「私にどうしても参加してほしい、そういう意思があることは理解しました。特に外せない予定がある訳でもないですし、招待を受けましょう」
「よっしゃ、そう来なくっちゃな! 俺は信じてたぜぇ!」
力強いガッツポーズ。煌月は僅かに口元を緩ませた。
報酬を直接受け取る為に、佐間も招待状に書かれている場所へ来なければならないというので、当日の集合時間と場所を決めてこの場はお開きとなった。
霧部は「土産話を頼む」と笑いながら屋敷を後にした。
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