第24話 生きる意味にご来光を

ーどうすれば自分自身の弱さを打ち破ることができるだろうか?ー


僕は自分のやりたい仕事が会社でできず、打ちのめされてきた。

やりたい仕事があったとしても、それを主張することができない

保守的になってしまう、そんな弱さがあった。


勝手に人生を諦め、勝手に世の中と対立して。


これまでの様々な経緯があって、僕は会社という存在を恨んでいた。


僕の居場所になってくれた人を

ことごとく辞めさせた会社の姿勢も気に食わなかった。


会社という場で、多くの恨みと悲しみが生み出された。


会社に対しての恨みつらみが溜まった結果が反旗ということだ。


会社というか、社会に対してというか

とにもかくも反骨精神が僕をここまで下支えしてきた。


革命と反骨心が自分の原動力。


会社を辞められたら、どんなに心が楽になるか。


いろいろ手探りでその手法を探すが

会社を辞めても生活できるって人のブログを見てるが

なかなかそれは難しいのがわかる。


なぜ、そんな自由ができるんなら、他の人間が真似をしてできない?

東京の満員電車が無くならないんだ??


という話にも繋がる。


「自由になれる」


僕も何度もその誘惑に釣られてやられたことか。


確かに副業という名のつくものはいくつかやってきたが

どれも成功した試しはなく、やたらと苦労ばかりで


結局は本業の仕事に力を割く比重を上げなくてははならなくなった。


「本当にやりたいこと」のスキルの育成について

本業を辞めるまでに至らなかったのが


今ここにいる全てだと思う。


ー山頂に至るまでの時間に、いくつかの想いが巡っていた。

この時間は会社のことを忘れていられるが


また戻ったところで無情な日常に戻っていく。


しかし今は少しでも気を抜いたら「生きるか死ぬか」

が問われるという、極寒の地にいる。


富士山の山行において、頂上と呼ばれる場所が見えてきて

僕はようやく安堵を覚えた。


「生きている」のだと。


長い時間にわたる夜間山行を敢行し、

寒さと距離にやられながらもなんとか頂上について


念願の日の出を拝むことができた。


富士山山頂では、今まで見たことない美しい風景が広がっていた。


今まで地上の世界でみみっちい仕事をちまちまこなしていて

そこで悩んでる自分がなんてちっぽけなもんだと


山頂の風景を見て思ったものだ。


山頂に着いた疲れか、酸素が少ないからか

あるいは日本の最高峰の頂上に立った安心感からか


危うく寝そうになってしまったことが何度かあった。


寝そうになったところを、インストラクターの人に

何度も叩き起こしてもらったのを覚えている。


これは一人で行ったら、間違いなくあの世に行っていたろう…。


登るのは辛かったが、下るのは楽なものだと思った。

最もそのアプローチは山行共通のものであろうが。


あの日本で一番高い富士の山の山頂に登った、

という記録を持って帰り、いつもの平日に戻りゆく。


平日は心を殺し、休日にようやく生き返る

その繰り返しを続けていた時期。


この茶番劇に終わりを迎えるのはいつなのだろう。


富士山は一体何を私に教えてくれたのだろう。


その答えはいまだに僕の中で見つかっていないー。


ただ自分の中でわかっていたのは


現状の仕事において新しい技術動向についていきたい気持ちが薄いこと。


以前から薄々と僕自身はITエンジニアである自分についての

伸び代のなさを感じていたが、それが革新になりつつあった。


コーチングでよくいう「want to」に

つながらないことをいくらやってもやる気が出ない、


だから何をすれば「want to」につながるか?


これが人の生きる意味において、大事となってくるのだろう。


我が生きる意味に、ご来光あれー。

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