第15話。殻卵の羽化

「バイクって、何が楽しいんだろ……」


 バッティングセンターから私が真っ直ぐナギの家に行ったのはバイクを借りる為だ。元々、ナギが定期的にメンテナンスの為に乗り回していたみたいだけど、今日は私が代わりに乗ることにした。


 そうして、バイクに乗って私は山の上まで登った。既に日が暮れて辺りは真っ暗。それでも街の方に目を向ければ、いくつもの明かりが世界を照らしていた。


 例え、私のケータイに発信機になるようなモノが仕込まれていたとしても。ここまで姫愛ひめあが追いかけてくることは思わなかった。


「って……ケータイ壊れてたんだっけ」


 ここに来る途中、ケータイを落としてしまった。


 手元にあるのはケータイだった物。画面が割れていて電源も入らない。これは買い直すしかなさそうだ。


「そろそろ、帰ろうかな……」


 夜道は暗くそれほどスピードは出せない。長時間の運転も久しぶりで、事故を起こさないように安全運転で帰ることにした。


「やけに消防車が多いな……」


 街まで降りてからは、あちらこちらからサイレンの音が聞こえてくる。どこかで火事でも起きたのだろうか。


「……っ」


 バイクを走らせているうちに私の視界に煙が上がっているのが映る。私の中にあった嫌な予感。それが次第に現実になる感覚があり、胸が締め付けられるようだ。


「まさか……」


 火の手が上がっていたのは自分がよく知っている場所だった。バイクを止めて駆け出したのは野次馬の中に飛び込む為。野次馬を押しのけて建物の前まで近づいた。


「ナギッ!」


 赤い炎が呑み込んでいたのはナギの店だった。


 周りの建物に燃え移り、ここからでも肌が焼けるような熱さを感じる。私が建物に近づこうとすれば周りに居た消防隊員に止められた。


「ナギ!ナギは大丈夫なのか!」


 私がバイクを戻すまでナギは店に居ると言っていた。もしかしたら、火事にナギが巻き込まれている可能性があった。


楓奏かなで


 名前を呼ばれて振り返った。


「ナギ……」


「いやあ、ほんとまいったよ……」


 そこに立っていたナギは顔に怪我をしている様子だった。


 私はナギの方に歩き出した。


 そして、ナギの腹に蹴りを入れた。


「ちょっ、オレ怪我してるんだけど……」


「だから、顔はやめた」


 もう一度、私がナギを蹴ろうとした時。


「オレよりも、姫愛ちゃんの心配した方がいい」


 その言葉で私は動きを止めた。


「なんで、姫愛……?」


「火事が起きた時にオレは姫愛ちゃんに助け出された。ただ、その時に姫愛ちゃんが煙を吸ったみたいで……」


「……っ、姫愛はどこ!」


 ナギが顔を横に振った。


「姫愛ちゃんは先に救急車で運ばれた」


「どうして、ついて行かなかった?」


「もし、楓奏がここに来たら。止める奴が必要だと思ったからな」


 ナギも怪我をしているのに。私の心配をするなんて、本当にお人好しだ。そんなナギの優しさに触れながらも、私の心は不快感に満たされてしまう。


「……誰が火をつけた?」


「楓奏は放火が原因だと思うのか?」


「他に誰がやったって言うんだよ!」


 姫愛の誘拐に関わり。まだ逃げ回っている奴らが、防犯カメラの映像を出したナギに復讐をする為、わざわざ店に火をつけたとしか考えられなかった。


「ここまでやったら、確実に捕まるだろ」


「その前にアタシが見つけ出して殺す」


「楓奏。店を閉めるのが少し早まっただけだ。お前が手を汚す理由なんてない」


 ナギと姫愛を理不尽に傷つけられたのに、私には黙っていろというのか。私の感情はぐちゃぐちゃになって、頭を掻きむしり、しゃがみこんでしまった。


「アタシは何も出来ない……」


 わかってる。復讐をしたところで、やり返させるだけだと。私の馬鹿な行動でナギの店が燃え、姫愛が傷ついた。そんなこと、また繰り返すわけにはいかない。


「楓奏」


 優しい声と共にナギが私の頭に触れてくる。


「それで、いいんだ」


 私の感情が深く沈む。ナギが救急車で運ばれて一人なった私は近くに停めていたバイクのところに戻ることにした。


 今はただ。どこか遠くに行きたかった。




 兄貴が死んでから長い時間が過ぎた。


 あの時から私は何かを失うのが怖くなった。


 家族を失い、友人も失った。


 そして、姫愛も奪われてしまう。


「まあ、人生色々あるな」


「……」


 私は今、軽トラックの助手席に座っていた。


 ナギの店から、私はガソリンが空になるまでバイクをひたすら走らせていた。その結果、知らない場所でガス欠になり、バイクと一緒に座り込んでいた。


 そんな時、街に向かう軽トラックに拾ってもらった。バイクを荷台に積んで、私も一緒に送ってもらえることになった。


「俺も昔は色々あった。まあ、楓奏の壮絶な人生に比べたらたいしたことはないが」


 私は会話の中で少しだけ愚痴を漏らしてしまった。ずっと我慢していたせいか、他人に自分の過去を話すなんて私らしくないと思った。


「おじさんは後悔してることある?」


「おじ……いや、後悔していることか。そんなの誰だってあるだろうさ」


「何を後悔してるの?」


「……一度は愛したかもしれない女性を選ばずに別の人間を選んだ。その選択が間違ったとは思わないが、ずっと心残りだった」


 思ったより真面目な話で驚いた。


「どうして、違う人を選んだわけ?」


「それは……まあ、惚れたからだろうな」


 この人は恋愛というものを知っている。


「ねえ、その人の写真とかある?見せてよ」


「しょうがないな……」


 おじさんがケータイを渡してきた。


「今頃、俺の帰りを家で待ってるだろうな」


「可愛い……でも、この人……」


 よく見ればわかる。おじさんの隣に写っている可愛らしい人物。二人ともお似合いだと思うけど、私はどうしても気になった。


「楓奏にはわかったのか?」


「仕事で人と関わることも多かったから。この子みたいな格好している人も居たし、それが変だと感じたこともない」


 おじさんにケータイを返した。


「周りから反対されなかった?」


「俺は元々一人身だったからな。家族とも時々連絡を取るくらいで、俺が決めたことに反対するような人間はいなかった」


 まだ、私が踏み越えられない線の向こう側におじさんが立っているんだと思った。


「おじさんは後悔してるって言ったよね?」


「ああ」


「じゃあ、幸せじゃないってこと?」


 おじさんの少しだけ私から顔を逸らした。


「今が人生で一番幸せを感じている」


 おじさんは本気で答えてくれた。私の悩みと向き合ってくれた。それはナギが私にしてくれたこと同じで、おじさんが優しい人なんだってわかった。


「おじさん、惚気けてるね」


「いや、そんなつもりは……」


 おじさんと話しているうちに街が見えてきた。


「そういえば、バイクは何処に運べばいい?」


「とりあえず、ガソリンを……あ……」


 ガソリンを入れたところで、店の倉庫が燃えてしまってバイクが戻せない。どこか適当な駐車場にバイクを置いておくわけにもいかないだろうし。


「実はバイク停めてた倉庫が燃えたんだよね」


「燃えた……そういえば、昨日街の方で火事があったって聞いたな」


「それ、うちの知り合いの建物。だから、バイク停める場所が無くなって、どうしようかなって」


 今日出会ったばかりの相手に相談することじゃない気もするけど。問題は解決しないといけなかった。


「なら、俺が預かっておいてもいいぞ」


「いやいや、そこまでは流石に……」


「マンションの駐車場なら、停めても問題ないだろうし。シャッターもあるから盗難の心配もしなくていいぞ」


 おじさんに迷惑をかけたくないから、断りたいところだけど。大切なバイクを無くすくらいなら頼んだ方がいいと思えた。


「なら、この連絡先に電話しておいてよ」


「誰の連絡先だ?」


「後ろに乗ってるバイクの持ち主。アタシも借りてるだけだから、そっちの方が手間も少ないだろうし」


「わかった」


 適当なところで私は車を降りることにした。


「そういえば、おじさんの名前聞いてなかった」


「そうだったか?俺の名前なら鳴澤なるさわ 伊織いおりだ」


「ふーん。やっぱりおじさんの方が似合うかな」


「まあ、好きに呼んでくれ。それじゃあ、楓奏。元気でな」


 おじさんのトラックが走り去った。


「他人を信用するなんてアタシらしくないな」


 おじさんがバイクを盗む可能性を考えなかったわけじゃない。だけど、なんとなく、私と似たモノをおじさんから感じてしまったから。


 これも運命だと信じて、私は受け入れることにした。

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