第12話。憤怒の行方

 山の廃墟から私は姫愛ひめあをバイクに乗せて店の倉庫まで戻ってきた。運転中、姫愛が落ちないか心配だったけど、姫愛は最後までしっかりと体に掴まっていた。


楓奏かなで!戻ってき──」


 ナギの顔には戸惑いがあった。


「姫愛。シャワー浴びきてなよ」


「うん……」


 姫愛は返事をしながらも、私の背中から離れようとはしなかった。なんとかナギに手伝ってもらって姫愛を風呂まで連れて行くことが出来た。


 シャワーならすぐに使える。私も一緒に入るつもりだったけど、姫愛が一人で大丈夫と言うから、私はバイクを停めた倉庫に戻ることにした。


「……っ」


 倉庫に足を運んだ私は壁を殴りつけた。


「楓奏。壁に穴を開ける気か?」


「全然、イライラがおさまらない。アイツら全員殺さないと、気が済まない」


「……ということは、誰も殺せなかったのか」


 ナギに廃墟での出来事を話した。連れて帰ったきた姫愛の様子を見て、だいたい察していたようだけど。ナギも辛そうな顔をしていた。


「あんなの人間のやることじゃないだろ……」


「人間なんて、そんなものだろ」


 確かにナギの言う通りだ。他人に期待出来るような世界であれば、姫愛が傷つくようなこともなかった。


「ナギ。どうすれば、アイツらに復讐が出来る?」


「不可能だ。一人二人殺せたとしても、残りは自分の罪を認めて逃げるはずだ。その時点で楓奏の復讐は出来なくなる」


 罪を認めて捕まったところで、刑務所から数年で出てくる。そんなの本当に罰を与えたと言えるのか。そんな最低限の結果だけでは私はきっと納得出来ないはずだ。


 それに私が取り巻きを襲撃した話はもう伝わっていてもおかしくない。相手は警戒するだろうし、警戒している相手を私一人で殺すなんて無謀な話だった。


「……」


 結局、私に出来ることなんて何も無かった。


 私は自分を落ち着かせる為に近くにあった椅子に腰を下ろした。今は何も考えたくない。必死に考えるほど自分がどれだけ無力なのか思い知らされる。


「ところで楓奏。あのバイクの傷はなんだ?」


「ああ……ちょっとぶつけた」


「なっ。オレがどれだけ気を使って手入れしてるかわかってるのか?それに、あのバイクを人殺しの道具に使って欲しいわけじゃないんだぞ?」


「もう持ち主もいないんだから、気にする必要ないでしょ……」


 ナギと話してるうちに風呂からあがった姫愛が倉庫に入ってきた。今の姫愛はナギから借りた服を着ている。


「ナギさん。服、ありがとうございます」


「姫愛ちゃん。オレの知り合いに病院やってるやつがいるから、今からでも連絡は出来るが……」


「大丈夫ですよ」


 姫愛に断られてナギは言葉に迷っていた。


「と、とりあえず。今日はウチに泊まっていきなよ。倉庫の二階がオレの家だから、外に出る必要もないし」


「ありがとうございます」


「じゃあ、オレ。部屋片付けてくるから」


 そんなことを言って、ナギが倉庫から出て行った。残された私は姫愛の顔が見ることが出来ずにうつむいていた。


「楓奏」


「なに」


「ごめんなさい」


 姫愛が私の前に立って頭を下げた。


「なんで、姫愛が謝るわけ?」


「私が余計なことをしたから」


「余計なことって……」


「あの人達。ナギさんの店の前で楓奏を待ち伏せしてた。それに私が声をかけたから、こんなことに……」


 結局、私に原因があるとわかった。昔、小遣い稼ぎで絡んだ連中との関係を断ち切れず、それに姫愛も巻き込まれてしまった。


「にしても、店の前か……」


 店の前で姫愛が誘拐されたのだとしたら。防犯カメラにその映像が残っている可能性があった。


 アイツらは姫愛を縛ったまま放置したり、雑なところも多い。わざわざ防犯カメラに気を使って誘拐したとは思えなかった。


 私がこの胸の怒りを我慢をして、奴らに罰を与えるなら。その映像だけでも十分だ。後は姫愛が証言をすれば事件が明るみになる。


「姫愛さ……」


 もう一つ、私には聞くべきことがあった。


「避妊してないよね?」


 回りくどい言い方はしなかった。


 その事実は一目でわかったのだから。


「うん。でも、その必要はないから」


「必要ない……?」


 姫愛が私の傍まできた。姫愛が私の腕を掴んで自分のお腹に手を押し当てる。見た目よりも痩せているお腹。私は指を動かして確かめた。


「もしかして、もう妊娠してる?」


「だったら、よかったんだけどね」


 どうして、姫愛がわざわざお腹を触らせたのか。


 妊娠中というわけでもなく、避妊の必要性もない。他に考えられる可能性があるとすれば。それは妊娠することが絶対に無いということだ。


 私はその答えを思いついた時。顔を上げて、姫愛の顔を見た。姫愛は私を不安にさせない為か、いつもと変わらない笑顔を見せていた。


「私には子宮が無いんだよ」


「……っ」


 どうして、姫愛がよくお腹を触っていたのか。


 その理由を今さら理解した。


「それって……生まれつき?」


「ううん。昔、手術をして取ったんだよ」


 私は姫愛が今まで幸せだけを味わって生きてきたと思っていた。なのに、姫愛が失ったモノの大きさに私は言葉が出なかった。


「どうして、楓奏がそんな顔をするの?」


「姫愛のこと何も知らなかった……」


「仕方ないよ。私は楓奏にたくさん隠し事をしてるから」


 姫愛と初めて出会った時から、隠し事をされていることはわかっていた。でも、それを聞こうとしなかったのは私が姫愛と本気で関わる気がなかったからだ。


 あくまでも契約で結ばれた関係。そんな始まりが私と姫愛の関係を進めることを止めてしまっていたのかもしれない。


「姫愛……?」


 姫愛が歩いて、停めてあるバイクに近づいた。


「楓奏って、バイクの運転出来たんだ」


「ああ……普段から乗ってるわけじゃないけど、免許は持ってる。そのバイクも今はナギの持ち物だし」


「そうなんだ」


 姫愛がバイクのシートに触れていた。


「もしかして、興味ある?」


「ちょっと違うかな。むしろ、怖いのかも」


 さっきは何も考えずに姫愛を後ろに乗せしまったけど、怖かったのだろうか。やけに体を強く掴まれていたのもそのせいか。


「……楓奏。お願いがあるんだけど」


「なに?」


「あの人達とは、もう関わらないで」


 それはつまり。私に復讐するなと言っているのか。私よりも姫愛の方がアイツらに向けるべき感情が多くあるはずなのに、その姫愛がやめろと言っている。


「アタシが何もしなくても、アイツらは来る」


 私の勝手な行動を奴らが許すとは思えなかった。


「じゃあ、二人でどっか行こうよ」


「それは……」


 この街に思い入れがないと言えば嘘になる。姫愛と二人で街を抜け出して、自分の知っている人間が居ない土地まで逃げる。


 それだけの行動力が私になれば、あんな連中と関わることもなかった。私は未来のことを少しも考えようとしなかった。


「アタシは姫愛の言葉が信じられない」


 私と姫愛が同じ未来を歩む為に必要なこと。


 それは私が納得する理由だった。


「楓奏は他人のことが信じられないの?」


「……他人を信じるほど自分が傷つく」


「でもそれじゃあ、孤独のままだよ」


「アタシは孤独でよかったんだよ!なのに、そんなアタシの前に姫愛が現れた。勝手に色々決められて、アタシがどれだけ……」


 姫愛と共に過ごした時間は苦痛だった。


 混ざり合わない水と油。一緒にすること自体間違っていたはずなのに。私は姫愛が誘拐されたとわかった時。どうしようもない感情に突き動かされた。


「ごめんなさい」


 また姫愛が謝った。


「もっと、早く。楓奏に会えばよかった」


「何を言って……」


 姫愛が私の傍に来て、手を握ってきた。


「私、もう一つだけ楓奏に隠し事をしてる」


 姫愛が体の状態を隠していたことを私は気にしていなかった。だから、他に隠し事があっても、私は許せる気がした。


「でも、それを話したら。楓奏に嫌われるかもしれない。私は……楓奏に嫌われるのだけは絶対に嫌だ……」


 私の手を握る姫愛の手が震えていた。


「嫌わない。そもそも好きでもない」


「それはそれでちょっとだけ、悲しい」


 少しだけ姫愛の笑顔が歪んだ。


「ちゃんと聞くから。話してほしい」


 もう覚悟なら決めた。姫愛の言葉を聞いて、私が姫愛を信じるべきなのか判断することにした。


 次第に姫愛の手の震えがおさまっていく。


「あのね。楓奏」


 私と同じように姫愛にも覚悟があった。


「聞いてほしいことがあるの」


 その目は真っ直ぐと私を見ていた。


「私の生まれて初めての恋。そして……」


 姫愛の口から吐き出された言葉。


「初めての失恋」


 それは私と姫愛の運命が交わるものだった。

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