第3話。楓奏の日常

「ふぅ……」


 バイト中。店の外で休憩していると、近くの扉が開いた。建物から出てきた人物は私に近づいていくる。


「その格好、相変わらず似合わないな」


「喧嘩売ってる?」


 声をかけてきたのは店長のナギだった。相変わらず話し方や態度が男みたいだけど、モテるとは聞いたことがある。


「昔からの居る子達はみんな辞めて。今、残ってる古株はカエデだけ。いや、本当に悲しいことだ」


 ナギがわざとらしく泣き真似をする。


「アタシもやめていい?」


「カエデが辞めたら、店は潰れるが」


「新人教育をちゃんとやらないからでしょ」


「それは本当に申し訳ないと思ってる」


 私だって本気でナギのことを責めるつもりはない。ただ、メイドカフェという仕事は人を選ぶ影響か、長続きする人間が集まりずらい印象がある。


 それに昔と比べてメイドカフェの人気も減ってしまい、経営が上手くいっていないというのが現状だった。


「まあ、店を畳むことも視野に入れ始める頃かな」


「ふーん」


「ただ、オレもカエデの仕事を奪う形にはしたくないと思ってる。あくまでも、カエデが働ける場所を残していたいだけなんだ」


 ナギには感謝している。ずっと私の面倒を見てくれたし。もし、ナギが仕事を辞めたら、私も一緒に辞めるつもりだった。


「ナギさ、結婚とか考えてる?」


「結婚か。考えたこともなかったな」


「チャンスがあれば結婚する?」


「それはどうかな」


 ナギは仕事一筋なイメージしかないけど。


「あ、例えばナギが好きな俳優から求婚……」


「当然結婚する!」


「いや、まあ、そうだろうけどさ」


 自分が好きな相手から求婚されて、断る人間ないているのだろうか。余程、自己肯定感が低いとかでなければ、簡単に受け入れると思う。


「にしても、急に結婚の話をするなんて。もしかして、カエデにも春が来たのか?」


「アタシの春は、もう散ってるよ」


「カエデ……」


 ナギが両肩を掴んできた。


「結婚式の友人代表の挨拶はオレにやらせてくれ」


「機会があれば、ね」


 本当に空気が読めないのか、察して適当に流してくれたのか。私がナギと上手くやれているのは、それなりに理由があった。


「ナギ。アタシさ、よくわからないんだよ」


「わからない、か」


「昔、誰かを好きになった気もするけど。それが恋だったかと聞かれたら、違う気がして。ただ、あの時のアタシは依存出来る相手がいれば、それでよかった」


 ナギが深いため息を吐いた。


「今は違うのか?」


「……私は他人が信じられなくなった」


 本当にナギのことを信じているのかもわからない。


「カエデ。最後に信じられるのは自分自身だ。他人を信じるなんて簡単なことじゃない。だが、もし、他人から信頼を得たいのなら、自分から相手を信じなければいけない。例えそれが、失敗に終わるとしても」


「難しいこと言わないでよ」


 私は拳でナギの脚を殴った。


「カエデ。オレは他人の人生を背負いたくはない」


「ふーん」


「ただ、楓奏かなでという人間の人生なら背負ってもいいと思っている」


 時々、ナギから向けられる感情。それはきっと自分の子供に向けるような純粋な感情なのだろう。ナギは私のことを自分の娘のように大切に扱ってくれている。


「……もし、本当に私がダメになった時は頼りにしてる」


 ナギの優しさには甘えたくなかった。私のすべてをナギに背負わせたくない。だから、ナギは私と一緒に同じ道を歩くべき人間じゃなかった。


「さてと、オレは先に戻るからな」


「あーうん」


「カエデ。本物だけは簡単に手放すなよ」


 そんな言葉を残して、ナギは立ち去った。


「本物、か……」


 本物なんて、人生に必要なのだろうか。


「あーサボってる人発見」


 顔を上げると、見覚えのある人間がいた。


鈴佳すずか……」


 鈴佳。昔、この店で働いていた女の子だ。


「まだ続けてたんですね」


 鈴佳がしゃがみ、私と目線を合わせてきた。


「何か用?」


「私、何度も食事に行こうって誘いましたよね?」


 そういえば、そんなメールが届いていた気もする。全部、返信せずに無視していたけど。


「最近、忙しくて」


「夜中に遊び歩くのが仕事なんですか?」


 いったい誰から聞いたのか。


「アンタ、何様のつもり?」


「友達ですよ。楓奏さんの」


「アタシに友達なんていない」


 私は自分の意思で鈴佳を遠ざけた。今の私は友達なんて曖昧な関係を信じられない。一度疑いを抱けば、鈴佳の言葉は私に届かなくなっていた。


「ふーん。これはかなり腐ってますね」


「アタシのことは放っておいて」


「そんなことしてたら、また後悔しますよ」


 鈴佳の言いたいことはわかってる。


「すんすん。なんか、楓奏さん。いい匂いしますね」


「あ?匂いって……」


 姫愛の匂いが服に移ったのか。鈴佳が顔を近づけて匂いを嗅いでくる姿を見て、犬みたいだと思った。


「なるほど。理解しました」


 鈴佳は納得した顔をしていた。鈴佳は妙に勘が鋭いところがあるし、姫愛のことも気づかれたか。


「仕事が終わったら、付き合ってください」


「いやだ」


「もし、断ったら。私、毎日来ますよ」


 断ろうとしたのに鈴佳の言葉で詰まってしまう。


「……うざ」


「それじゃあ、待ってますから」


 鈴佳が立ち去った後、もう一本だけ吸ってから戻ることにした。ただ、なんとなく。考える時間が欲しかったから。




「はあ……」


 仕事が終わった後、バイト先の近所にあるハンバーガーショップに足を運んだのは鈴佳と二人で話をする為だった。


「カエデさん。いや、今は楓奏さんですね」


 普段と仕事中で名前を使い分けてはいるけど、正直どっちでもよかった。慣れてしまえば、どっちも自分の名前であることに変わりなかった。


「話があるなら手早く済ませて」


「わかりました。実は私、最近。自分の価値観が変わる出来事があったんです」


「何かの勧誘?変な話なら、殴るけど」


「ち、違います。私、高校を卒業した後はずっと仕事をしていました。ただひたすら働いて……正直、余裕がありませんでした」


 これまで鈴佳からの連絡はいうほど多いわけじゃなかった。数ヶ月に一回。短い文章に目的のない内容。正直、生身の人間が送ってるかも疑っていた。


「私、楓奏さんに会うのが怖かったんです」


「怖い、か……」


「ずっと、楓奏さんのことをほったらかして。今さら友達づらするなんて、ウザいですよね……」


 確かにウザいけど、それは鈴佳のせいとは言いきれなかった。きっと、毎日顔を合わせていたとしても鈴佳のことは嫌いになっていた。


「……鈴佳はアタシに慰めてほしいのか?」


 鈴佳も私を都合よく使うつもりなのか。


「少し前までは、そんなことも考えていました。でも、今の私は楓奏さんの一人の友人として、向き合いたいだけなんです」


「ふーん」


 昔、鈴佳と仲良くやっていた時のことを思い出した。鈴佳は私と正面から向き合ってくれた。だけど、次第に私が他人を信じなくなり、鈴佳も遠ざけてしまった。


「楓奏さん。仲直り、しませんか?」


 鈴佳が手を差し出してくる。


「喧嘩した覚えはないけど」


 私は鈴佳の手を握るか迷った。


 もっと早く鈴佳が私の前に現れていたら、この手は握らなかった。だけど、今の私には心の余裕があった。こうして、仕事終わりに鈴佳に会うことを決めたのも、友達ごっこなら続けていいと思ったから。


「鈴佳……」


 私は自分の手を見て、鈴佳の手を握った。すると鈴佳の笑顔が次第に悲壮感に溢れた表情に変わっていく。


「あの……楓奏さん。なんか手がベトベトしてる気がするんですが……」


「あ、悪い。ポテト食べてたから」


「ちゃんと拭いてくださいよ!」


 鈴佳が振り払おうとするけど手は握ったままだった。そんな鈴佳を見れば、私は自然と笑えた。なのに自分が笑っている事実に気づけば、心が酷く冷めてしまうみたいだ。


「楓奏さん……これで仲直りですよね?」


「それでいいよ。でも、悪いけど。今、アタシにはやることがあるから。鈴佳には構ってられない」


「やることですか?」


 今は姫愛ひめあとの契約を優先しないといけない。


「仕事だよ。大事な仕事」


「危ないことはやめてくださいよ?」


「ある意味危ない仕事かも……」


 姫愛の機嫌を損ねたら、何をされるか。


「とにかく、あまりアタシの周りをうろちょろしないでほしい。仕事の邪魔するなら鈴佳でも許さない」


「わ、わかりました」


 出来れば姫愛には自分が不利になるような情報は渡したくない。鈴佳の存在を姫愛に知られたりしたら、鈴佳も厄介事に巻き込まれてしまう。


「楓奏さん。頑張ってください」


 今の私にとって。姫愛よりも鈴佳の方が大切だと思えた。例えそれが、曖昧な関係だったとしても。

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