宗教集落 天使の御許

第30話 立ち塞がる者

 ダム・エミールを出て一週間が経った。

 ようやくパノプティス付近まで戻ってきたことになる。

 ここからまた一週間かけてメルタ方面の森を抜けなければならない。

 ダム・エミール方面の森には魔物がいないが、メルタ方面はそうもいかない。


「少し早いけど、野営の準備しよっか」


 セキヤの提案で、早めに休むことにした。

 セキヤと共にテントを張り、ヴィルトが作った夕食を摂っている時。ふいにヴィルトから、ある申し出を受けた。


「特訓?」


 ヴィルトは神妙な顔で頷く。

 急に何を言い出すのかと思えば、どうやらこの一週間で考えて決めたことらしい。

 そういえば、この一週間。彼は夕食後に謎の踊り……のようなものをしていた。

 彼の故郷の何かなのかと思い、あえて何も触れずにいたが……もしかしてあれも特訓のつもりだったのだろうか。


「なるほど、戦えるようになりたいと」

「せめて最低限、自分を守れるようになりたい」

「まあ、ずっと俺達が一緒にいられるとも限らないからね」


 ヴィルトはこくこくと頷いている。よっぽどやる気があるらしい。

 セキヤの言う通り、ずっと私達が側にいられるとは限らない。ある程度時間を稼げるようになってもらうのは有りだろう。


「分かりました。稽古をつけて差し上げましょう」


 筋肉こそそこまでないものの、彼の体格自体はかなりいい。

 それを活かせば、それなりに戦えるようになるかもしれない。

 それに今日はなんだか体を動かしたい気分だ。

 もし彼がそれなりにやれるようになったら、組み手でもしよう。


 ……そう、思っていたのだが。


「あの、本気ですよね?」


 夕食後、試しに体を動かさせてみて、いくつか助言もしてみたものの。

 ヴィルトはどうにも締まらない動きを続けていた。


「これは……まずいね」


 セキヤでさえ口元を引き攣らせている。

 パンチ一つをとっても、もったりとした動きなのだ。

 思うに、早く動くこと自体が苦手なのだろう。一向に改善されない。

 初日だの疲労だのを抜きにしても、だ。


「壊滅的に向いていませんね」

「そ、そんな……」


 ヴィルトはがっくりと崩れ落ち、地面に膝をついた。

 ぜえぜえと肩で息をしている。

 これは私としても予想外の結果だ。

 さて、どうしたものか。


「うーん、もう攻撃を当てるのは考えない方が良いかもしれないね」


 攻撃を当てない。

 攻めよりも守り。その線でいくべきだろう。

 その辺に転がっている木の棒を拾い上げる。


「せっかく長身というアドバンテージがあるのです。その長い腕で何かを持って振り回すだけでも、牽制程度にはなるのでは……?」

「振り回す……」


 木の棒を持ったヴィルトは、軽く腕を振った。

 やはり少しもったりしているが、攻撃の動作よりは様になっている……ように思う。


「何も考えなくていいですから、ただ振り回してください。がむしゃらに」

「わかった」


 頷いたヴィルトは、ただただ一生懸命に腕を振り回した。

 その様子を見ていたセキヤが腕を組む。


「んー……これでいく?」

「殴る蹴るよりは格段にマシでしょう」

「だね」


 それでも私なら簡単に制圧できそうだ。

 試してみたい。いや、流石にそれをするのは彼にとって酷だ。

 一度浮かんだ考えを掻き消す。


 これで、あとは毎日自己トレーニングでもしてもらって体力をつけさせる。

 ずっと特訓をつけるわけにもいかない以上、できるのはそれくらいだろう。

 セキヤはヴィルトの肩に手を置く。


「まあ、今後もずっとそうとは限らないしさ。とりあえず体力作りから始めてみようか」


 ヴィルトは肩で息をしながら頷く。

 ……明日、おそらく彼は全身の痛みに呻くことになるだろう。

 腕をぷらぷらと振っているヴィルトを見ながら、明日の姿を想像した。

 今日はもう休もう。きっと彼も限界だろう。


「あ、そうだ」


 テントに入って寝袋を広げていた時、唐突にセキヤが声を上げた。

 彼は小さな木箱を取り出して、私の前で開ける。

 そこには銀色の指輪が入っていた。

 一粒の赤い魔石がキラリと輝いている。


「この前言ってた、新しい御守り。ついに完成したんだよね」

「中々綺麗ですね」

「でしょ?」


 セキヤは嬉しそうに笑いながら指輪を取り出すと、私の右手をとった。


「ゼロを守ってくれますようにって、願いを込めて彫ったんだから」


 指輪の内側には細かい模様が彫られている。これがあるおかげで、この指輪は魔道具としての機能を得ているのだろう。

 セキヤは右手の薬指に、そっと指輪をはめた。

 思えば今まで、指輪をつけたことはなかった。

 そもそもアクセサリーの類をつけること自体が少なかった。


 なにしろ、なくても十二分に私は美しいので。


 だが、こうしてみると悪くないと思う。シンプルな装飾も好みだと言える。


「ありがとうございます」

「ん、気に入ってくれたみたいで良かったよ」


 魔導ランタンの明かりに手をかざす。

 きらりときらめく様を、じっと見つめていた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ぱちぱちと、焚き火の音が耳をくすぐる。

 目を開けて、夜空を見る。

 そろそろ行かなくちゃいけない。

 指輪を外して、岩の上に置く。

 足音を立てないように、そっと離れた。

 彼が自覚するよりも先に済ませないと。


 目指すはパノプティス。高い壁を目指して、歩みを進める。


 これが呪いの影響なのかどうかは分からない。ただ、なんだか感覚が短くなっているような気がする。

 パノプティスに入って……貧民区あたりで、誰か一人見つけないといけない。

 でも、その前に。


「来ると思ったよ、セキヤ」


 門に向かう途中、背後から近づいた気配に声をかける。

 振り向けば、凪いだ表情の彼がそこに立っていた。


「一週間に一度。大体それくらいの周期でお前は現れる。パノプティスに近いところまで来た今日……出てくると思っていた」


 ため息をつく。

 パノプティスにいた頃は別室だったから、まだ気付かれる可能性も低かった。

 彼だって、こんな高頻度で出てくるとは思っていなかっただろうし。

 だからこそ一週間に一度の狩りも邪魔されることなく、無事に終えていた。

 でも、こうして旅をするとなった以上は仕方ない。いずれこうなるだろうことも予想はついていた。


「邪魔をしないで。言ったよね? これはゼロのためなんだよ?」

「その言い分が理解できない。どうして誰かを殺めることがあの子のためになるの?」


 彼からすればそうとしか思えないだろう。それはそうだ。

 だからといって、詳しく説明なんてできない。

 だってセキヤには怪しい部分が多い。

 初めてゼロに会いにきた時のこと。そして『鎖』のこと。

 完全に信用するには、まだ足りない。僕から話すことは何もない。

 だから僕は、ゼロのためだということを主張することしかできない。それだって最大限の譲歩だ。

 もし本当に、彼がゼロの味方だっていうなら。今までの日々が全て本当だっていうなら。そんな期待を込めた、譲歩。


「何度も言ってるよ。これはゼロのためだって」

「俺はその理由を聞いてるの」

「理由なんてどうだっていいでしょ? 僕から言えることは何もないよ」


 セキヤはゆっくりと近づいてくる。

 ああ、きっと退いてはくれないんだろうな。そんな確信があった。


「君もゼロの味方なんでしょ?」

「そう。俺はあの子を守らないといけない。その高潔な魂も」

「僕達の魂なんて高潔なものじゃないよ」

「それはお前だけ。あの子の魂は高潔なんだから……ただ」


 セキヤは静かに銃を抜いた。

 その銃口を、ゆっくりと僕に向ける。


「それをお前が汚してるだけ」


 彼の目は真っ直ぐだ。

 明確な敵意と、僅かな殺意。


「……正気?」


 口の端が引き攣る。


「分かってるの? いくら僕が出てきているからって、体はゼロと同じなんだよ?」

「そんなの……治せばいいだけ。そうでしょ?」


 セキヤは首を傾げる。

 本気で、言っているのだろうか。


「忘れたの? ヴィルトの治癒には代償が必要なんだって」

「とっくに天秤にかけた。俺にとっては……こっちの方が重要なの」


 喉の奥から笑いがこみあげる。

 ゼロと彼らのやり取りを見ていると、ふと羨ましく思うこともあった。

 でも、そっか。

 なんだ。やっぱり僕の警戒は間違っていなかったんじゃないか。


「君がゼロの味方だって、一瞬でも信じた僕が馬鹿だったよ」

「それは俺のセリフだね。一瞬でも……お前に心を傾けかけたことが馬鹿らしいよ」


 ……少なくとも、彼はゼロ自身には優しく接している。

 今日の狩り。それさえ果たせば、今日の役目は終わりだ。

 門を通り抜けさえすれば。


 走り出すと同時に、空気が抜ける音がする。

 足元の地面を弾が抉った。


(嘘でしょ、本気じゃんか……!)


 弾を避けながら走る。門まではそう遠くない。

 ただ、彼は容赦なしに連射している。

 足元だけを狙っているものの、こうも立て続けに撃たれると厳しい。足がもつれそうだ。


 走る、走る、走る。

 あと少し。あと少しなのに。


「っぐ、ぁ」


 右脚を、弾が貫いた。

 がくんと体が傾いて地面に転がる。

 体を起こそうとする前に、左脚にも弾が撃ち込まれた。


「あ゛ぁっ!」


 痛い。痛い、痛い、痛い!

 拳を握りしめる僕へと、土を踏む音が近づく。

 上体を起こし、振り返る。

 僕を見下ろす目は、どこまでも冷たかった。


「これ以上、あの子の魂は汚させない」

「どうして……どうして、邪魔するの……ッ」


 しゃがんだセキヤの手が、僕の首に近づく。

 体が動かない。

 セキヤの目は……あの日見た、両親の目によく似ていた。

 首に添えられた指が、ゆっくりと食い込む。


「ダメ、だよ。僕が……やら、なきゃ……ッ」


 セキヤの腕に震える手をかける。

 視界が、暗くなった。

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