第17話 進行
雨音が響く中、覚えのある痛みで目を覚ます。
部屋の中は暗い。目を開けていられず、左目を押さえて体を丸くする。
「ぐっ……」
少しの浮遊感の後に肩を打ちつける。ああ、ベッドから落ちたのだろうか。
騒がしくなったと思えば、微かに視界が明るくなる。
「ゼロ? ゼロ、どうしたの!?」
「何があった!?」
セキヤとヴィルトの声がする。
ズキズキと刺すような鋭い痛みに歯を食いしばる。
「ヴィルト、治療を!」
体を起こされた。
閉じた視界が微かに青くなる。しかし、何も変わらない。
「駄目だ、俺の力じゃ……」
次第に痛みが遠くなった。鋭いそれから鈍い痛みへと変化する。
呼吸を落ち着けて、ゆっくりと目を開けた。
魔導ランタンの明かりだけなのに、こちらを覗き込んでくる顔がやけにハッキリと見える。
一度ぎゅっと目を閉じる。痛みは引き、疲労感だけが残った。
「すみ、ません。もう大丈夫です……」
「ヴィルト、ちょっとランタン持ってて」
「わ、分かった」
ヴィルトに魔導ランタンを持たせたセキヤは、私の頬に手を添える。
「目、見せて」
セキヤの青い瞳が近づく。
真剣な眼差しで観察したセキヤは、息を吐いて顔を遠ざけた。
「……瞳孔が、変わってる。痛みは?」
「もう感じません。瞳孔が変わっているというのは……右目と同じように?」
セキヤは重たい表情で頷いた。
ということは、縦長の瞳孔になっているのだろう。蛇のような、あの目に。
「右目だけならまだしも、左目もとなると……尋ねられた時には蛇の亜人だとでも自己紹介した方がいいんでしょうね」
そうなると立場が悪くなりそうだ。
パノプティスを除き、大体の町において亜人の地位は低い。
それこそレイザのように神官であったり、相当の功績を残すでもしない限りは、
「今はそんなこと言ってる場合じゃないよ。それより……これ、あの呪いだよね? どうして今……」
何かの条件で呪いは変化する。鑑定眼で視たときに得られた情報はそれだけだった。
その条件とやらが達成されたのだろう。一体、何が条件になっているのだろうか。
セキヤが再び顔を近づけた時、部屋の扉が勢い良く開かれた。
「何があったんだい!? アタシの部屋にまで聞こえてきたよ!」
「レイザさん」
部屋の明かりが付けられる。少しの眩しさに目を細めた。
セキヤから事の経緯を聞いたレイザは、腕を組んで考え込む。
「そういうわけなんだよね。起こしてしまって申し訳ないけど、俺たちも予測できなくて……」
「いや、それはいいんだ。無事でよかったよ」
「そう言ってもらえると助かるよ。呪いについて、レイザさんは何か知らない? 何でもいいんだけど」
「すまないね。アタシにはさっぱり……」
レイザは腕を下ろすと、私を見つめた。
「しかし、なるほどねえ。それが理由で旅をしているのかい」
「……はい」
「アタシには何もできないけど……応援してるよ」
レイザの目は柔らかい。
セキヤとヴィルトにも目を向けたレイザは、一度頷くと手を叩いた。
「よし、決めた。依頼の件について、丁度考えていたところなのさ。きっとアンタ達にとっても損な話にはならないと思う」
依頼について。
水の神官についてであれば断るようにと、あのバーテンダーが言っていた件だ。
一体どういった話なのか。姿勢を正す。
「ここから西……パノプティスを超えた先にある漁村に、水の神官がいてね。彼女の姿絵を持ってきてほしい。これがアタシの依頼さ」
「水の神官の姿絵、ですか」
「ああ。悪い話じゃないだろう?」
たしかに、神官がいるのであれば向かう必要がある。
一度メルタに戻る必要があるが、それについても他の町に向かうときには戻った方が効率的だ。
なにしろメルタは各町に続く道が比較的整備されている。
「村の名前はダム・エミール。頼まれてくれるかい?」
「ええ、断る理由もありません。引き受けますよ」
「ありがとう。絵師については、今までも何度か頼んだことがある人がいるから心配いらないよ。といっても、名前は知らないんだけどね」
レイザは、ふと思い出したように口を開く。
「ああ、それと……ウチのバーテンダー、ゼクターのことなんだけどね」
「彼がどうかしましたか?」
「迷惑をかけちゃいないかい? アタシを慕ってくれるのはいいんだけど、少し……ね」
彼はゼクターというらしい。
彼女は知っているのだろうか? 彼が依頼を断るよう告げていたことを。
ただ……これは言うべきだろうか? ちらりとセキヤを見る。
セキヤは静かに首を振った。
「……言うほどでもない、けれども口は挟まれた。そういうところかい?」
どうやらレイザは分かっているようだった。もしかしたら、今までも度々同じようなことがあったのだろうか。
「分かっていたのですか?」
「アタシはあの子の母親みたいなものでね。これでもそれなりに理解しているつもりさね」
ため息をついたレイザだったが、その表情は穏やかだ。
本当に彼を自分の子供のように思っているのだろうか。
「あの子は元々孤児でね。縁があって引き取って育てたんだ。それもあってか……いや、あまり長く話すのはやめようか。アンタ達も休まないと体がもたないだろ?」
「お気遣いありがとうございます」
「おやすみ」
レイザは扉を開けると……影に隠れていたゼクターの耳を引っ張った。
「アンタね、コソコソ盗み聞きなんてするんじゃないよ」
「も、申し訳ありませんレイザ様」
「まったく困った子だね。ほら、戻るよ。アンタも早く寝なさい」
「しかし俺はまだ彼らにっ」
……私達の方へと腕を伸ばすゼクターだったが、そのままレイザに引っ張られていった。
抵抗らしい抵抗もしないまま連れて行かれた彼を、一体どのような気持ちで見送ればいいのだろうか。
「なんというか……ワガママを言う息子って感じ?」
頬杖をついたセキヤは少し引き攣った笑顔で言った。
ゼクターが何かを話たがっていた様子だったが、きっと依頼についてだろう。
彼がレイザと水の神官のことについてこだわる理由について、詳しくは分からないが……それはもうどうでもいいことだ。
何にせよ、明日の朝までは休もう。
出発の時は近いのだから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌朝。
よく晴れた空の下、リュックを背負った私達は酒場の前に立っていた。
レイザが見送りに来てくれている。ゼクターの姿はない。
「三人とも、気をつけるんだよ」
「ありがとう、レイザさん」
「また来るよ」
「ありがとうございました」
手を振る彼女に、ヴィルトとセキヤが手を振りかえす。
私は軽く会釈して、酒場を後にした。
少し歩いたところで、覚えのある気配を感じ立ち止まる。
「来ると思っていましたよ」
振り向くと、ゼクターが立っていた。
セキヤは嫌そうな顔をして一歩前に出る。
「言っておくけど、わざと依頼を失敗するなんていうのは無しだからね」
「……残念だ」
それが目的だったのだろう。ゼクターは肩を下げた。
どうしてそこまで干渉しようとするのだろうか。いくらレイザが彼の母親のような存在だったとして、いささか過干渉なように思える。
「レイザ様は幸せになるべき存在だ。俺はただその手伝いをしたい。だから、お前達の協力を得られればと思ったのだが」
「幸せに、ねえ」
「なんだ? 俺には相応しくない願いだと、そう言いたいのか」
ピリついた空気が流れる。
朝早いが、道行く人々は多い。あまり目立ちたくないのだが、そう言っても彼は止めないだろう。
顔を顰めるゼクターに、セキヤは首を振って答える。
「いいや、そんなこと言わないよ。依頼の破棄はできないけど、応援はしておく。頑張ってね」
「……同情か?」
「いいや」
セキヤはため息をついて、腕を組む。
「どう言うべきかな。似た願いを持つ者同士、思うところがあるってだけだよ。同情なんてものじゃない」
「そうか。ならいい」
ゼクターはあまり興味がなさそうな顔で息を吐いた。
「お前達が手を貸さないなら、俺がどうにかする」
初めからそうしてほしい。
これで話は終わりだろうか。そう思っていると、ヴィルトが一歩前に出た。
「大切に思うなら、悲しませないようにした方がいいと思う」
「……奴と関わる方が悲しむことになる。お前は何も知らないんだ」
ゼクターは苦虫を噛み潰したような顔をした。
そこまで水の神官に問題があるのだろうか。それとも、単に彼が気に入らないだけなのか。
どちらにせよ、既に立ち去ろうとしている彼を引き止めてまで聞く話ではないだろう。
さて、この後は軽く買い物をして、必要な物資を買い足してからメルタを出ることになる。
ゼクターの背を見ていたセキヤは軽く息を吐いた。
「……とりあえず食料を買い足そうか。魔石は俺が買うから、二人は食料の方をお願い」
「分かりました」
「ついでにリングに丁度良さそうなのがないか見てくるよ」
セキヤは笑って手を振る。
パノプティスとメルタは共通の通貨が使われているが、他の町は物々交換であったり独自の通貨が使われていたりとバラつきがある。
そこで、どこでも需要のある魔石を通貨代わりに使う。多少価値の振れ幅は生じるが、使えるかどうかも分からない貨幣を持ち歩くよりはいい。
魔力の見分けに長けたセキヤは魔石の目利きも得意だ。あちらは彼に任せて、私達は食料品を扱っている区域を歩いた。
「野菜と、少し果物も買っておきましょうか」
「あと干し肉」
いくつかの店を周り、食料を買い足していく。
大蛇の件もあって資金は潤沢だ。
順調に買い物をしていた私達だったが、やたらとついて回る気配にため息をつきたくなった。
今日はこの手の者が多いらしい。
「ヴィルト、少し休みましょうか」
「疲れたのか?」
「少しですがね」
気づいていないヴィルトの手を引き、道を変えて路地に進む。
少し立ち止まった気配は、それでも後をつけてきた。
一つ角を曲がったところで立ち止まる。
「気づいていますよ。何か用ですか?」
「……流石はヴェノーチェカ家ってところか」
出てきたのは長い金髪を三つ編みにしている男だ。
酒場でレイザと話していた……そう、名前はルクス。
白衣を着た彼は、こちらをじっと睨みつけている。
それにしても、ヴェノーチェカ家を知っているということは、やはり。
「クレイストから来た者ですか」
「リアスト家。聞いたことはないか?」
「ありませんね」
素直に答えれば、ルクスはチッと舌打ちした。
緑色の目に混じるのは敵意と憎悪か。
「眼中にないって? 流石は天下のヴェノーチェカ、お高くとまってるな」
「貴方の一族が今も功績を上げているというなら、私も聞いたことがあったかもしれませんが」
クレイストにいた頃は世のことに疎かった。
どれほど疎かったかといえば……王族の名さえ知らない程だ。
いくら彼の家が名高くとも、クレイストの外にまで情報が流れていなければ分からない。
「ははっ、自分で潰しておいてよく言うぜ。それがお前達のやり方なんだな」
ルクスは乾いた笑いと共に私から目を逸らした。
……もし彼の言葉が本当ならば、私が知らないのも無理はないのだろう。
「散々ウチの功績を奪って、全て焼き払って……また俺の前に現れるのか」
「私は確かにヴェノーチェカの者ですが、貴方の事とは無関係です」
「……何?」
こちらを見たルクスは疑念がこもった目をしている。
ここは一つ、訂正しておくべきだろう。
「そもそも私はヴェノーチェカが手掛ける全てに関わっていませんし、知ることもありませんでした。それにヴェノーチェカ家は最早存在しないと言っても過言ではありません」
「まて、どういうことだ?」
「今となっては私と……兄が一人、生き残っているかもしれないという程度です。他はもういないでしょうね」
……どうしてそうなったのだったか。
ふと疑問が浮かんだが、今は関係ない。
頭の隅に追いやりつつ、私の知る事実を告げる。
ルクスは困惑しているようで、ゆっくりと頭を振った。
「聞いたことがない」
「貴方がいつクレイストを出たのか知りませんが……こんな大事をクレイストが公表すると思いますか?」
ルクスは黙り込んでしまった。
ひたすら困惑しているヴィルトを横目に見る。
いくら一人にすると気が気じゃないからと無理矢理巻き込んでしまった。彼からすれば訳がわからないだろう。
「そういうわけですので、私は貴方のことは知りませんし関係もありません。もういいですか?」
「……ああ。君の言うことが本当だとしたら、俺には君を問い詰めることができない。すまなかった」
ルクスは頭を下げた。
困惑と疑いが残る目はそのままだが、ひとまず納得したというところだろうか。
「だが、このことは調べさせてもらう……」
「お好きにどうぞ。それでは」
立ち尽くすルクスを置いて路地を抜ける。
しかし、まさかここで本当に一族を知る者と出会うとは。
ヴェノーチェカの名は有名でこそあるものの、その特徴までは国外に出ていない。
だから知っているのはクレイスト国内の者だけだ。
(もし兄様が国外にいるのなら……その内私を見つけるのでしょうか)
そもそも探しているのかどうかも怪しい。
ただ、私は聞かなければならない。
なぜあのようなことをしたのか。その理由を。
……食料を買い終わった私達は、セキヤと合流した。
町を出て、森を眺める。
「またあの森を抜けなければいけないんですね」
「あれを抜けたらまた別の森だよ」
ヴィルトは少し後退りした。
「う……魔物、また出てくる?」
「だろうね」
セキヤはじっと森を見つめる。その目は薄く光っていた。
私も同じように目に魔力を集めて森を見つめる。
その景色は来たときと変わりないように見えた。
「うん、魔力濃度は同じだね。少し濃いめ。気をつけた方がいいよ」
「分かりました。ヴィルトも気をつけて」
「ああ」
森に向かって歩き出す。
そう長くもない滞在時間だったが、呪いの進行における条件が分からない以上無意味に時間を使うわけにもいかない。
次も順調にいけばいいのだが。
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