第7話 これから
窓の外は未だ暗い。
私の右目をじっと見つめていたセキヤは、申し訳なさそうに首を振った。
「うーん……瞳孔が変化しているっていうことしか分からない。ごめん、見せてほしいなんて言っておいて」
「……構いませんよ。ダメ元ですから」
前髪を戻し、頭に流れ込み続けていた情報を受け流す。こういう時、鑑定眼を任意で発動するかどうかを決められればいいのにと思ってしまう。
ふと机に置いている香水瓶を見つめる。
セキヤが言うには、漂う魔力を感じられない普通の香水にしか見えないというそれ。私から見ても、セキヤの言う通り何の変哲もない香水にしか見えない物だ。
つられて香水瓶を見たセキヤは、人差し指で頬を掻きながら口を開いた。
「やっぱり、さ。この香水の影響……だよね?」
「状況を考えるに、そうではないかと」
「だろうと思ったよ……」
がっくりと項垂れたセキヤは、複雑そうな顔で香水瓶を睨みつける。
一見何もおかしくない香水瓶。しかし状況的には最も怪しいそれ。
私にかけると『いい結果』になるらしい……そんな情報を得たセキヤが持ち帰ってきた。その『いい結果』とやらがこの呪いだというなら、間違ってもいい結果とは呼べないだろう。
「念の為に持ってきておいて正解だったのかどうか……ってところかな、これは」
ため息をついたセキヤは、私に向かって深く頭を下げた。
「……ごめん。俺が先走ったせいで」
「いえ、セキヤが謝るようなことでは」
顔を上げさせようと肩に手を置く。しかし、彼は首を振ってより深く頭を下げるだけだった。
「元はといえば俺が一人で動いたから、でしょ? 全員で動くべきだった」
『俺も何もできなかった。セキヤだけのせいじゃない』
ヴィルトまで加わってしまった。じとりとした居心地の悪さを感じて口をつぐむ。
セキヤが先走ったせいでこうなったかもしれないという話。
扉を無理矢理開けた時のことだろうが、話を聞いた限りではそうするしかなかったように思う。
そして元はといえば……と言ってしまえば、それこそ私にも当てはまることだ。結局のところ、ここまでの事態になってしまったのは私が一人で対処しようとしたからでもある。それも、警戒を緩めた結果だ。
ヴィルトにしても、そもそも待つように言ったのは私自身だった。
……私も謝るべきだろう。口を開いたところで、それでも悪魔などという協力者がいなければこうなっていなかったと思ってしまう。完全にあの女一人であれば、どうとでもできていたはずだ。
(それに……これを理由に謝ったとしたら。そうするように言ったのは俺だと、セキヤがまた謝るだろう)
誰に向けてでもなく言い訳をして、ひとつ咳をする。
いや、言い訳でもない。ただの真っ当な理由だ。
「この話は終わりにしましょう。たらればの話をしても、もう済んだことですから」
「そう、だね。ヴィルト、もう一度治療を頼める? 呪いが発現した今なら治せるかもしれない」
ヴィルトは頷いて、私の右目あたりに手をかざす。
手が青い光をまとい、小さな光の粒子が漂う。しかし、漂い続けるばかりで何も起こらない。
暫くの間手をかざし続けるヴィルトだったが、手を下ろすと静かに首を振った。
『すまない。俺の力ではどうにもできないらしい』
「ヴィルトでも無理、か。そうなると……かなり厄介かもしれないね」
『すまない』
「謝ることじゃないって。今時、呪いなんて珍しい代物でしょ? 力の対象外だったってだけかもしれないし」
しょんぼりとしたヴィルトを慰めるセキヤだったが、ヴィルトの顔は依然として暗いままだ。
手早くスケッチブックにペンを走らせたヴィルトは、自分の胸に手を当てながら中身を見せた。
『昔、呪いを解いたことがある。あまり深刻なものではなかったが』
「……呪いだから効かないわけではない、ということですか?」
問いかけると頷きが返される。
セキヤは顎に手を当てて、うーんと考え込んだ。
「となると、特別な呪いだから……とか? 悪魔の呪いだなんて、いかにもって感じだし。ゼロ、他に情報は得られなかったんだよね?」
「香水瓶の方を鑑定した時に得られた、何かの条件で変化するというものだけです」
「何かの条件……具体的な条件も、それでどうなるのかも分からないなんて不安だね」
「……そうですね」
少し俯く。
右目の痛みはもう治った。しかし、ずっしりと重たいものが肩に乗っているような気がしてならない。
黙り込む私の肩に、大きな手が置かれた。
『大丈夫?』
「ええ。少し疲れただけです」
一度大きく深呼吸する。あまり心配をかけさせるわけにもいかないだろう。
それに、このまま俯いているだけでは何も変わらない。それはわかりきったことだった。
「とにかく、何もしないというわけにもいかないでしょう。呪いを解く方法を探さなければ」
「そうだよね。悪魔のってだけでも不穏な代物だし、放っておくなんて考えられないでしょ」
セキヤが頷く。
不安そうな顔のヴィルトが机にスケッチブックを立てた。
『どうする? 呪いが珍しいなら、方法を見つけるのも大変そうだ』
「一度世界が滅びかけたときに殆どの呪いが失われたからね。残った一部分だって、精々が転びやすくなるとか小さな不幸を呼び込むとか……そういう弱いものばかりだから」
セキヤの言う通り、歴史上では一度滅びかけたという記述がある。その際に形を持つものも持たないものも、様々なものが失われたと。
「確かに珍しいものではありますが、扱う物好きがいないというわけでもありませんよ」
腕を組んでそう言えば、きょとんとしたセキヤが顔を向けた。
「アテがあるの?」
「ええ。一人だけですがね。とはいえ専門にしているというわけでもないようですし、一方的に噂で知っているだけですが……訪ねる価値はあるかと」
『行こう。手掛かりは多い方がいい』
拳を握り締めたヴィルトはやる気に満ち溢れている。
顎に手を当てたセキヤは、窓の外を見た。外は未だに暗く、街灯の光しか見えない。
「いつ行く? 今すぐ……は流石にまずいよね。真夜中だし」
「彼女は夕方から活動を始めるそうですから、今も起きているでしょう。相手にとっては丁度いいかもしれません」
この町において、影での活動を行っていると変人の噂が入ってくるものだ。
一方的にその存在を知っているなんて状況は、よくあることだった。
『それなら、今すぐ行こう』
「私だけで充分ですよ」
やる気満々のヴィルトを制したが、人差し指を立てたセキヤに止められてしまった。
「だーめ。ゼロは当分の間、単独行動禁止だからね!」
セキヤの隣でヴィルトもこくこくと頷く。
私は腕を組んだまま指をトントンと動かし、目を逸らす。
たしかに、今回のことを考えればそう言われても仕方がないかもしれない。しかし、だ。
「あれは例外でしょう。悪魔とやらが関わっていなければ、あんなことには……」
「勿論ゼロが強いことは分かってるよ。今回が例外だったっていうのも。でも、心配なの。ね? 分かってほしいな」
『もう危ない目に遭ってほしくない』
セキヤとヴィルトが真っ直ぐな視線を送ってくる。
反論の言葉が喉で詰まり、出てこない。
仕方なく目を瞑る。心配してくれることが少しくすぐったく感じる。心配されるほど弱くない、というプライドと天秤にかけた結果――
「……そこまで言うなら、わかりました」
容易く折れた。
やや過剰なほど心配されたことに少し思うところはある。けれども、それが嫌というわけでもない。これが他人ならばそうは思わなかっただろうが、この二人であれば話は別だった。
まったく、私はどうもこの二人に弱い。
「ヴィルトもだからね。暫くは三人で固まって動いた方がいい」
『わかった』
セキヤに釘を刺されたヴィルトがこくりと頷く。
さて、件の変人の元へ向かうにも寝間着のままでは流石に問題だ。
階段へと向かいながら二人へと声をかける。
「では、着替えてから出発しましょうか。応じてくれればいいのですが」
いつものゆったりとした服に着替え、ナイフも左袖に潜ませる。
同じようにいつもの格好に着替えた二人と共に、香水瓶を持って夜の町へと踏み入れた。
日中と同じように出来る限り大通りを選びながら、目的地まで歩く。
「その物好きっていう人の居場所は知ってるの?」
「ええ、大体は分かっています」
安全のためにとヴィルトを挟むようにして並んで歩く。
ちらりとセキヤを見て、先ほど右目を見てもらった時に読めてしまった情報を思い出した。
――セキヤ・レグラスはゼロ・ヴェノーチェカを幸せにしたいと心から思っている。
「……本当に貴方は変わりませんね」
「ん? 何の話?」
「なんでもありませんよ」
並び歩く私達を、偽物の月が照らしていた。
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