ロラン・ヘディンと運命の聖女
K.S.
第一章 南へ
1-1.逃亡
「これを読め」
複雑な文字が刻まれた石版が差し出される。両手は縛られている。受け取ることはできない。
「読まない。俺はお前達のような連中のために学んできたのではない」
張り手が飛ぶ。
「読むか読まないからお前が決めることではない。これを読め」
再び石版が押し付けられるように差し出される。縛り付けられている男は目をそらした。
「そうか。おい、こいつを牢にぶちこんどけ」
ガタンと鉄扉が音を立てて閉じた。薄暗い部屋に射す光は格子窓から覗く一筋のみ。部屋の角にはあたかもベッドであるかのように藁が積まれている。それ以外は小さな丸椅子があるのみ。石造りの寂しい部屋だった。
男、ロランは湿った藁にどかっと座り込んだ。
いつになったら外に出られるのか――
研究者として、数時間、いや数分ですら無駄にすることを惜しむ男だ。なんの研究もすることができない思いついたことを書き留めることもできない。それはロランにとってすさまじいストレスとなった。
彼は古代文字の研究者だった。文字を解き、今では世界の闇に葬られてしまった歴史を知ること、それが彼の目的だった。自分のルーツを知ることは、知性を持った人間にとっていわば本能のようなものであるのかもしれない。
なぜ奴らがあの石板の文字を読めと言っているのかはわからない。よほど自分たちに有用なことでも書かれているとでも思っているのだろうか。確かにロランがこれまで解き明かしてきた石板のなかには技術的なことが刻まれていたものもあった。しかしその技術でさえ今の世界において、なにか強大な影響力を持つようなものではない。自分たちがその技術で何かできる、そんな妄想に付き合わされて貴重な時間を無為に過ごしているのである。そもそもロランでさえ自分の研究成果である手記と、多くの史料がなければ石板の一枚さえ解き明かすことはできないのだ。つまりロランをこんな石牢に閉じ込め、これを読めなどと尋問したところで全くの無駄。そう説明したところで阿呆な奴らは信じないだろうが。
「ロラン先生、ロラン先生」
あたりに聞こえぬよう配慮してだろうが、囁き声が格子窓から聞こえてくる。
「ロラン先生、助けに参りました。アルヴィンです」
アルヴィンはロランの助手である。助手と言ってもボディガードも兼ねており、非常に優秀な暗殺者でもある。ロランの囚われている塔に登ることくらい造作もないことだ。
「アルヴィンか。全く、遅かったじゃあないか。10日も無駄にした。早く出してくれ」
ロランは落ち着き払っている。アルヴィンを信頼するゆえの落ち着きようだった。
「これから塔の入り口に回って監視を片っ端から倒してきますから。気取られぬようそこから動かないでくださいね」
それだけ言って音もなくアルヴィンは下に降りて行った。
ほどなくして鉄扉は静かに開いた。
「ロラン先生、お待たせいたしました」
扉の外には喉元から血を流して倒れている男が一人。おそらく階段下にはさらに数人の男が倒れているだろうことは容易に推測できる。
「アルヴィン、この塔のどこかに石板があるはずなんだ。どこかで見かけていないか?」
と言い終える前に、アルヴィンはロランに石板を差し出した。さすがに優秀な男だ。ロランの考えそうなことはお見通し、と言った感じだ。
「そう、これだ。早く帰ろう。この石板も読み解かなければ」
砦にはおそらく数十人の男たちが詰めているだろうが、アルヴィンにとって潜入することくらいなんでもないことだ。
「先生、上に飛空艇を手配しています。屋上に出ましょう」
森の中の奥まった場所にある砦だ。見つけにくいが逆に近づいてくる物も見つけにくい。飛空艇での脱出は得策と言えるだろう。ロランとアルヴィンが屋上に出るころにはすでに飛空艇はほんのすぐそこに迫っていた。下の方では男たちの騒ぐ声が聞こえる。塔の中にも数人がなだれ込んできたようだ。屋上にたどり着くまでそう何分もかからないだろう。しかしもう飛空艇は見えるところまで来ているのだ。ロープも下ろされている。下から上がってくる連中にはとてもじゃないが間に合わなかった。ロランとアルヴィンはロープにつかまって空中にぶら下がる。
「諸君、もう君たちの手元に石板は無くなった。もう協力する必要もないだろう?ということで私はこれで失礼するよ。願わくばもう二度と出会わぬことを」
ロラン・ヘディンは男たちの前から夕暮れ空に消えていった。
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