第37話 ネクロノミコン

「ネクロノミコン?」


「なんだそりゃ?」


「話すとめちゃんこ長くなるんで割愛しますけど、とりあえずこれは滅茶苦茶の破茶滅茶にヤバいやつって事です。これは触らない方がいいです。私達の手には負えません」


「ねぇ……でも向こうはそうはさせないみたいなん、だけど……」


 私はこの件から手を引こうと思った。

 本当だ。

 けど、久しぶりに人の気配を感じ取ったネクロノミコンは、私達を逃すつもりはないようだった。


 ネクロノミコンは小さく震えだし、やがてばらり、と表紙が捲られた。

 早く逃げればいいのに、足の裏に根が張ったかのように動けず、ネクロノミコンの異様な挙動から目が離せなくなっていた。


 バラバラ、バラバラバラ、とページがどんどんと捲られていく。

 逃げなければ、早く、はやく、声が出ない、出せない、私達はまるで蛇に睨まれたカエルのように、石像になったかのようにピクリとも動けない。


「や……やだ……やだ!」


 私の意識がぼうっと薄くなりかけた時、リーシャがそんな声を出した。

 そしてゆっくりと、机の上のネクロノミコンに引っ張られるように、必死に抵抗しているようなリーシャの手が伸びていった。


 だめ、いけない。

 触ったらだめ……!


 私の目の前で、抵抗するリーシャの腕がゴキン、バキン、ブチブチ、ゴキゴキ、と嫌な音を立て始める。


「ああああ!」


 抵抗して引き戻そうとする腕の関節や腱、筋、骨が無理矢理に伸ばされて砕かれ、引き裂かれてズタズタになっていく。


 肉に亀裂が入り、張り裂けた皮膚からは真っ赤な鮮血が噴き出して周囲を、私を、バルトを、ネクロノミコンを、赤く染めていく。


「させるもんですかっ! 【マリスリジェクション】!」


 なんとか絞り出した術はリーシャとネクロノミコンの間で弾け、リーシャや私、バルトを後ろに吹き飛ばした。


「【リザレクション】! リーシャさん頑張って! 私を見て!」


「あ……は、うぐ……ご、ごめん。ありがと、どじっちゃった……」


「謝らないでいいです! 術に集中して下さい!」


「お、おい、取り込み中悪いんだがよ……」


「なんですか! って……え」


 ぐちゃぐちゃになったリーシャの腕を再生している途中、バルトが私の肩を叩いた。

 その声は僅かに震えており、バルトの視線の先を見た私は一瞬思考が停止した。


『た……け』


『けて……たす、けて……』


『ころして』


『もう、死に……たい』


 いつの間にか現れたおびただしい数の精巧な人形、それがはっきりと声を発し、ひた、ひた、とゆっくり私達の方へ歩いてきたのだった。


 ふざ! ふざけんなぁ!

 これは流石に私でも怖いわぁ!


 人形ちゃうんかい!

 ぎこちない動きで、操り人形のような歪な動きで私達に近寄ってくる人形達は皆血の涙を流し、助けを求めるように手を突き出すように伸ばしてくる。


「どうすんだフィリア!」


「どうするもこうするも逃げるしかないです!」


「あのネコなんとか狐だかってのは!」


「ネクロノミコンです! 全然違うじゃないですか! あれは私達の手に負える物じゃないんです! 早くギルドに戻って早急に対策をしないと!」


 リーシャの再生が終われば! こんなとこ!

 一分一秒でもいたくない!


「う……はぁっ、もう、大丈夫だからんぎゃああああ!」


 再生が終わり、意識もしっかりしたらしいリーシャは目の前に広がる異様な光景に絶叫をあげた。


 無理もない。

 そして私達の目の前にボトリ、と何かが落ちた。


 手? 

 右手だ。

 誰の?


 右手首のところからちぎれて、骨も見えてる。

 誰の? 


 目の前の人形だ!

 目の前の人形の手が折れて! ここに!


「大変です。非常事態です。この人形、人形に見えて人形じゃないですね、屍蝋化した人間です! でも生きてます! 意味わかりません!」


「あぁ。そうみたいだな。どうやったのか知らないが……少なくともいい事ではなさそうだ」


『たすけて』


『殺してぇ……』


『頼むよぉ……』


『もういやだぁ……』


 人形らは救いを求めるように手を伸ばし、呻き声をあげてゆっくりと、しかし確実に歩み寄ってくる。


 もしこれが、ここにいる人形全てが生きた人間だというなら、少なくとも八年間はずっとここに囚われていたはず。


 普通の人間が飲まず食わずで八年間も生きているのは不可能。

 突然動き出したのは恐らく、いや確実にネクロノミコンのせいだ。


 授業ではネクロノミコンの歴史と惨劇しか教わっていなかったので、どんな効果があってどんな影響があってどんな災いが起きるのかなんて知るわけがない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る