亡霊サミット

田丸哲二

プロローグ・ウクライナより愛をこめて

 ウクライナFCディナモ・キーウに所属するサッカー選手ユージン・レブノフ(25歳)は志願兵となり、東部ドネツク州のバフムトでロシア軍の爆撃を受けて死亡したが、亡霊になって深夜のサッカースタジアムに入場し、無人の観客席からグランドを眺めている時、ACミラン、ウクライナ代表で活躍したレジェンド、アンドリー・シェフチェンコの亡霊に声をかけられた。


「ユージン、君に頼みたい事がある」


 子供の頃から憧れていたサッカー選手に遭遇したユージンは声を詰まらせて驚いたが、それ以上に磁力を帯びた衣服から露出した腕や顔の皮膚がひび割れている事に驚愕した。


「……どうしたのです?体がボロボロじゃないですか?」

「クレムリンへ行ってたんだ。もう知っていると思うが、亡霊ゴーストは血を流した土地に呪縛され、強引に離れると霊魂の磁力を失い、最終的には塵となって永久に消滅する」

「ええ、バフムトから抜け出せない、多くの亡霊ゴーストを見ました」


 ユージンは自分だけがキーウへ飛ぶ事ができて不思議に思ったが、今は多少霊力が強いと自覚し、シェフチェンコも同様の能力を持ち、霊バリアーの衣服を着てロシアへ渡ったと推測できたが、霊体の損傷は著しく『消え去るのではないか?』と不安な表情で見詰める。


「なぜ、危険を承知でクレムリンへ行ったのですか?魂が消滅すれば、子孫にまで災いを及ぼすと聞いています」

「それ以上の危機が迫っているからだ。プーチンは核兵器の使用を決定し、その時期は刻々と迫っている。ウクライナ、いや核戦争が勃発すれば世界は破滅の道へ向かうだろう」

「墓場ラジオの放送で、スターリンの亡霊がプーチンを動かしていると聴きました。信じてなかったけど、噂は本当だったのですね」


 ユージンは情報局の亡霊DJが「スターリンとプーチンが共謀し、表と裏の世界を支配しようとしている」と、雑音混じりに繰り返していたのを思い起こす。


(スターリンはグルジア生まれのソビエト連邦共産党指導者で、レーニンの右腕として働いていたが、後継者になると反逆者を次々と大量に粛清し、独裁政権を樹立して戦後もソ連と世界の共産主義の支配者として君臨した。)


 シェフチェンコは全身の痛みに耐えながらポケットに右手を突っ込み、周囲に気を配ってからユージンの目をしっかり見直して、声を潜めて早口で懇願する。

 

「明日の夜0時、聖ソフィア大聖堂へ行き、亡霊議員に会ってくれないか?君に重要な任務を頼みたいんだ」


 ユージンはペナルティエリア内でも冷静なシェフチェンコが焦っているのを感じ、「尊敬する貴方の頼みであれば、絶対に任務を果たすとお約束します」と即答し、シェフチェンコは「ありがとう」と手を差し伸べて、何故か握手ではなくユージンの手にビーンズを握らせてグランドへ突き飛ばす。


(霊サプリメント・通称glowing beansと呼ばれる豆類は光の色合いで効力が違い、著名な化学者が発明した霊力アップの健康薬品であったが、現状では闇で製造する裏組織も存在し、純度の低いビーンズが霊界に出回っている。)


『what?』とユージンはアイコンタクトし、空中でシェフチェンコの表情を読み取って、グランドに落下する前に茶色のビーンズを口に放り込み、土の中へ自分の体が染み込むのを感じながら、スタンド上部の空間からロシアの諜報員が出現するのを凝視した。


『KGB……』と心の中で呟き、両眼だけを芝生の隙間に浮上させ、黒い虫で作られた服を着た屈強な亡霊がシェフチェンコに近付くのを偵察する。


「キーウまで追って来るとはね?君のボスはよほど僕を気に入ったか、脅威に感じたようだ。それとも単なる臆病者なのか?」

「ふん、ほっといても消滅するだろうが、クレムリンでの情報活動を見過ごす訳にはいかない。それに我々の能力を見せ付ける、いい機会になるだろう」


 モスクワからシェフチェンコを追って来たヴィクトルは、特殊なサングラスでシェフチェンコの痕跡を視覚化して追跡し、黒虫の防護服で霊体を強化して霊界ゾーンのジャンプを可能にした。(何匹もの黒蚕の幼虫が糸を吐き出し、ムカデが生地を縫い付け、黒光りする強化服を生成している。)


 ヴィクトルは上着の左胸に付けられたKGBの紋章[諜報の剣、防諜の盾が装飾してある。]を指で示し、「ソ連帝国の復活」と宣言して接近すると、一撃でシェフチェンコの胸部を右の拳で突き破り、磁力を帯びた衣服と霊体が粉々になって飛び散るのを冷徹な顔で眺めた。


『nightmare……(悪夢)』


 ユージンはシェフチェンコが最後のビーンズを自分に渡した時点で、死を覚悟していたと両眼から芝生に涙を落とし、気配を感じた男がグランドに視線を向けたので、慌てて地中へと潜り込む……。


 この時、ヴィクトルは飛び散ったシェフチェンコの霊細胞の塵が衣服に付着し、黒蚕が弱って生地に穴が生じているのに気付き、スタンドの端へ足を踏み出したが、踵を返して出現した霊ゾーンへ戻り消え去った。

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