第十四話 聖者と元女囚 ②
第十四話 聖者と元女囚 ②
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「それに、破瓜には疼痛が伴うものだ。痛みに弱いあなたが何の自覚症状もないまま行為に至るというのは、考えにくいでしょう」
「そ、そうか……」
「万が一にもですよ?仮に、私が見落としていたことがあったとしても、ですよ?あるいは、私が聖者様に買収されたりといったことがあったとしても、ですよ?安心しなさい。刑務官は私一人じゃありません。私以外にも、監視の役目を担っている者がいます。刑務官としての目になる者は、そこらじゅうに配置されているんですよ、あなたが気づいていないだけでね」
え、あの離島の時の施設長さんみたいな人のこと?
第三者視点での評価を放つ、非正規の臨時職員とかが、他にもいるってことか?
「悪いことはできないようになっているんですよ。いつも誰かが見張っているんです。同時に、善い行いや考えをしていれば、ちゃんと誰かが見ていてくれて認めてくれます。必ず報われるようにできているんです」
お天道様は見ている、とか、そういうことなのか……。
「今回、仮釈放を勝ち取ったことだってね、私一人の匙加減や独断先行の結果だけではないですよ。あなたが旅の道中で見せた成長や人々への善意が、実を結んだんです。あなたを見てくれて評価してくれている者たちが、ちゃんと存在しているんですよ」
「うん……」
うん、そうだな。
「……なんとなく、おまえの言いたいこと、わかったよ」
私は、素直に、彼の説法を聞き入れることができた。
「……ありがとう」
礼を言うと、しばらく間があった。
彼は、次に突然、こんなことを言い出すのだった。
「これからのこと、考えていますか?夢や目標はありますか?具体的にやりたいことなんかはあるんですか?」
「んー?まあ、スヴィみたいな早期退職生活にも憧れてはいるよ。貯金に励むのも悪くないな」
「どうです、私の嫁に来ませんか」
「え」
えええ。
「よ、嫁ぇ?」
「別に、私があなたに婿に貰われてもいいですが」
こいつって真顔だから。
冗談なのか本気なのか、よくわからん。
「何言ってんだ。本気なのか?冗談なのか?」
「どっちだと思いますか?」
「スヴィって、言ってることが本気なのか冗談なのか、よくわかんないんだよな」
「この私が、こなれた冗談を言うような陽気な人間に見えますか?」
「い、いや、見えないけども」
ええ?ってことは?
「じゃあ、本気なのか?私のこと好きなのか?嫁とか、結婚の申し込みとかも、真剣なのか?」
「だったらどうしますか?」
「い、いや、困る、一択!」
「……ふっ」
すると、スヴィは笑って見せた。
おお、笑顔。
こいつのこんな顔、初めて見るかも。
「冗談ですよ」
彼は優しく微笑んだ。
なんだ、やっぱり冗談か。
結婚とか、まあ本気なわけないよな。
鉄仮面なのは職業柄、職業病で、プライベートでは実は意外に、冗談とか言ったりジョークかます陽気なにいちゃんだったのか。
「ただしね、壽賀子。忘れないでほしい。私はこれからも、あなたの人生をずっと見守り続けますからね」
笑顔は消えた。
また、いつもの仏頂面、無表情無感動の、刑務官じみた顔つきに戻った。
「いつでも私に見張られていることを肝に銘じて、自らを戒めなければなりませんよ。再犯など許しませんからね。道を踏み外すことなく、地に足をつけた、陽の光に恥じない、まっとうな人生を歩んでいくんですよ」
「わ、わかった、わかった」
「誠実な異性との出会いを経て、恋愛をしたり結婚をしたり子を産み育てたりするのでもいい。あるいは、また旅に出て、各地で様々な人々と交流したり、人助けや慈善活動を通じて見聞を広めたりするのでもいい。あなたには人生を愉しんでもらいたいんです。私は、それを、見守っていたいだけです。ただ見守るだけの役目で、かまわないと思っています」
スヴィドリガイリョフは、そんなことを言うのだった。
「私は傍観者でいい。当事者でなくてもいいんです」
お茶を飲み干すと、茶器を几帳面に揃えて片付け、立ち上がる。
書類の束の端を、机の角に沿うように直角に揃え直すと、帰り支度に取り掛かるのだった。
「では、また来週様子を見に来ます」
「わ、わかった」
「それから、それ以外での抜き打ちの見回りもありえますからね、心しておくように。常に自らを律して過ごすんですよ」
「わ、わかったよ〜」
見送りをしようと、私は先に扉の外へと出る。
すると。
出たところで、誰かが立っていることに気づいた。
小屋の外、軒下に、彼が立っていたのだ。
「壽賀子……」
私の名を呼ぶ、その声。
「ああ、今は、壽賀子じゃないんだっけ、何て呼べばいいんだっけ……」
優しい眼差しをした、大男。
ずいぶんと薄汚れた外套。くたびれた旅装束を身に纏った、無精髭の怪しい風体。浮浪者もいいところだ。
一体どれだけの距離と期間を彷徨い、私のことを探し歩いてくれたのだろうか。
「グエン!」
私は、思わず駆け寄った。そして、その胸に飛び込んだ。
ぎゅっと、しがみついてしまった。
抱きついていた。
私は、涙が出ていた。
「……い、今、触らないほうがいいぞ、汚いぞ……俺、すげぇ汚れてるし……」
「いいんだよ、私は、ずっと、こうしたかったんだ」
グエンに、彼に対して、私はようやく素直になれた。
もっと早く、こうしていればよかったとすら思うくらいに。今、感情を表現できていることが嬉しかった。
「ぎゅってしてくれ」
私がすがりつくと、彼は、抱きしめ返してくれた。
「安心する、心地がいい。ほっとするよ、グエン」
「ああ、俺もだ」
不安な時、辛い時、寂しい時、甘えたい時に、こうして頼っていいって、素晴らしいことだ。
とってもありがたいこと、素敵なことだ。
私たちは、抱きしめ合った。
大きく温かい彼の胸と、力強い腕に包まれる。
すう、と、深く息を吸い込んだ。
私はゆっくりと深呼吸する。
ああ、好きだ。グエン。
私はずっと彼のことが好きだったんだ。
彼と一緒にいたい。彼のそばにいたい。彼の隣でともに笑っていたい。彼との時間が大好きだ。
彼はとても大切な存在だ。
これからもずっと離れることなく、一緒にいたい。
こうして私たちが、しばらく抱擁を交わした後だった。
「あ、ああ、いたのか、スヴィドリガイリョフ」
グエンは、ようやく彼の存在に気付いたようで、慌てて私から離れて、向き直るのだった。
「私のことならお構いなく。どうぞ続けなさい、グエン」
「い、いや、あなたにも世話になったな。壽賀子の居場所のことでも、ずいぶん手掛かりを教えてくれたものな」
「さあね。何のことだか。私も疲労困憊の末に、もしかしたら無意識のうちに独り言を呟くような事態に陥ることもあるかもしれませんがね。私には職業上の守秘義務があるのにですよ?そんな情報をぺらぺらと口軽く教えるわけがないでしょう?」
「そ、そうだな、そういうことにしておいたほうがうまく収まるのなら、そうしよう」
「ところでグエン、今の私の立場は保護司です。保護観察中に外泊をする場合は、事前に私に申告をして、保護観察官に許可証を貰ってからにしてくださいね。無断外泊だけは絶対に許されません。私が言いたいことは、それだけです」
「が、外泊とか!そんな予定は……まだ、いや、その……」
「あとは、できたら、彼女への緊縛と耳責めだけは控えていただきたいですけどね」
「そ、そそそんなことしないよ!そんな特殊な行為には一切の興味もないよ!!」
何を言い合ってるんだ、こいつらは……。
しかし、まあ、なんだか親密な関係性が築けている上での、会話が弾んでいるようにも見える。
二人が人目のないところでは会話をしたり、手紙や合図のやり取りをして連絡を取り合っていたというのは事実だったらしい。
綿密な協力体制が出来上がっていたおかげで、私はこうして無事にグエンと再会できたのだろう。聖都で聖者様との婚姻を免れたあの時だって、グエンがスヴィに事前に相談したり合図を送ったりしていたかららしいし。
「また来るよ、壽賀子」
グエンは、そう言って手を振った。
「しばらく町のほうの宿にいるから。これからのことは、ゆっくり考えよう。今日はこれで」
「うん……」
「また明日会いに行くから。じゃあな」
グエンは私の頭に手をやると軽く撫でてから、スヴィドリガイリョフを伴って立ち去って行った。
私は二人の姿を見送った。
もう遅いし、行き先、帰り道が同じ方向なのだから、なのだろうけども。
二人して会話を弾ませて、さっさと去って行ってしまいやがって。
なんだか疎外感というか、私一人ぽつんと置き去りにされた気分でもある。
まったく。やれやれだぜ。
うーん、まあ、いいか……。
明日も会いに来てくれると言ってくれたものな。
明日も会えるんだ。
グエンに。
「ふふ」
私は自然と笑みが溢れていた。
そうだ、部屋の掃除をしておこうかな。
料理の下拵えなんかも済ましておいてやるかな。
うん、また、あの頃のように、隣に並んで食事の支度をして、一緒に美味いものを食おう。
そうして、私がいそいそとした足取りで調理場に立った、その時だった。
ふいに背後に、何者かの気配を感じたのだった。
「…………⁈」
振り返ると、不気味な形相の人物が立っていた。
真っ黒い頭巾を被った、黒衣の怪人だった。
こ、この不気味な仮面は⁈
まさか、
生きていたのか⁈
ぎゃああああ、と、悲鳴をあげる前に、私は口を塞がれた。
私の口元が、濡れた布地で覆われた。
その途端、ぐらりと酩酊した。ぐるぐると目がまわる。
だ、だめだ。
意識が朦朧として、遠のいていく。
なんらかの薬品を浸したらしき、布地。
それをかがされた私は、意識を失ったのだった。
つづく! ━━━━━━━━━━━
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