第二話 聖者と僧兵②



 ぎゃああ!

 しまった!


 彼の目を、まともに見てしまった。

 真正面から、彼の笑みを視界に入れてしまった。


 聖者様の両掌が、私の両頬をまさぐった。

 顔を固定、拘束された私は、動けなかった。

 聖者様の目を見つめるしかなかったのだ。


「壽賀子さん、私の目を見て」

「あ、あきらめたんじゃなかったのか?」

「グエンと恋人の芝居をしていたこと?」

 見破られていた。

 作戦は失敗していたのか。


「恋人のふりをするなんてね。私たちの仲を引き裂くために芝居なんて、グエンも変わってしまったよ。教団の上層部は、私の還俗化を防ごうと躍起になっている。結局、グエンも上層部と同じだ。彼も、私への盲信が過ぎて、私の真意など理解してはくれない」

 し、真意って。

「私は、還俗して、自由を得るつもりだよ」

 って。

 聖者様を辞めるってこと?

 引退するってこと?

 一般人になるってこと?

「もちろん今すぐというわけにはいかないけれど。近いうちに動くつもりでいるんだ。壽賀子さん、自由になったら、グエンや聖堂の者たちにも邪魔されることはもうなくなるからね」


 静かに語りながら、聖者様は五指を使って、私の頬やら耳やら首筋やらをさすり始めた。

 私の、乾いた唇をも。

 端からゆっくりとなぞるように弄び、そのうちに、何本かの指先を口腔内に出入りさせ始めた。


「グエンと恋人同士の芝居は、他にどんなことをしたの?」

「んっ……」 

 私は思わず呻いた。

「ん、うぅっ……」

 苦しい。

 不快感と恐怖、屈辱感。

 私は涙目になっていた。


「ねぇ壽賀子さん、グエンと何をしたか教えてくれない?接吻?抱擁?どこを触られたの?」

 唇と舌、口腔を好き放題に弄られる。

 聖者様の指は熱く、力強くなっていた。

 私は、否応なしに、被支配側に立たされているという事実を突きつけられる。


 彼の両の掌は、次に、下のほうに向かっていた。

 肩から腕にかけて、そして胸の肉を今にも掴みかけようとしているのが、目に入った。


 ま、負けるものかぁ!


「い、いや……」

 それだけ発するのがやっとだった。

 目をぎゅっと閉じて、顔を背けようとした。


「意志の強い人だ」

 聖者様は、そう呟いた。


「まだ私に抵抗する力が残っているのか。本当に、不思議な人だな、君は」

 そう言って、両の親指の先で、私の目からこぼれた涙を拭った。


 そのまま、彼の両の掌は、静かに離れていった。

 彼はゆっくりと背を向け、岩場の反対方向にある積んだ荷の隣に、腰を下ろしたのだった。


 その姿を見て、ようやく私は息を吐いた。


 やっと、拘束から解放されたのだ。

 動悸がしていた。

 相当怖かったのか、私は。


 ただ、顔を触られただけ。

 危害を加えられたわけでも、暴力を振るわれたわけでもない。

 私が勝手に、狂気を感じて彼を畏れただけ。

 ただそれだけ、だけど。


 ああ……。

 聖者様は、やっぱり、自覚があるんだ。

 異界人の私は特例として除外するとして……。彼には、自分に悪態をついたり、叛旗を翻したりする人間などいないのだという明確な自信がある。

 抵抗も拒絶もされず、今まで、ずっと自分の思い通りになってきた人なんだ。


 そういう自分の特殊能力に気付いていて、思う存分賢く利用して、恩恵を得ている。

 都にある本聖堂の上層部とやらも、そのうちに聖者様に屈服することになるのだろうか。

 それとも界隈では、そういった能力にかけては上には上がいて、上官としてきちんと彼のことを管理できていたりするのだろうか。


 まあ、そんなことは今考えても仕方がない。

 動悸はまだ止まないし、正直、彼への恐怖心は残っていた。

 だが、私は平静を装って、彼の真後ろに立った。


 大きく息を吸って吐いて、心を落ち着けようとする。


 そこで、ふと、自分の体、動きの変化に気づいたのだった。

 ん?

 首の回転がスムーズだ。

 両腕を肩甲骨に寄せたり、背中側にぐるぐる回すと、なんだか軽くなっていた。

 肩こりも治っていた。


 そして、乾いていたはずの唇、頬、肌が潤っていた。

 鼻のとおりもよくなっているような。鼻水詰まっていたのに。

 あと、口を開けた時に、両ほっぺたの肉がもたついて開けにくかったのが、なんかスッキリしているような。

 心持ち、頰肉がなくなってないか?

 両の掌で触って確かめてみる。


 荷物から手鏡を取り出して、見ると、たしかに小顔になっていた。

 輪郭、フェイスラインがシャープになっているのだ。

 おまけに耳の下あたり。大口開けた時に、ガクッと音が鳴っていたのが、今は無音で、スムーズな開閉!

 顎関節症まで治っていた。


 えええ、なんだ、これは。

 聖者様がさっき触れたところばかりが、こんな改善の一途。


 う、嘘だろう?

 これも、聖者様のなんかの能力⁈

 治癒能力、ヒーラースキル?ヒール?奇蹟?

 そんな不思議な能力を前にして、私は感動や感激、ラッキーといった念よりも先に、君の悪さを感じゾッとしてしまう。


 こ、こえぇ!

 気持ち悪いよ!どっから出てるんだ、このプラス方向のエネルギーは?出所はどこよ?


 い、いや、落ち着け私!

 ただのリンパマッサージだ、きっと!

 元の世界にだって、このくらいのことができる技術者は、ちゃんといたではないか!

 整体師とか、エステティシャンとか、T王宮風古式マッサージのセラピストとか!

 人体の構造を理解していて、ツボやら血流リンパの流れを辿れれば、このくらいの目に見える効果を披露することなど、きっと容易いのだ!

 別段、不思議な力というわけでもない!

 大丈夫!ちゃんと科学的に説明のつく技術なんだ!


 私は、もう一度、しっかりとした深呼吸をして息を整える。

 そうして慎重に、聖者様に語りかけた。


「なぁ聖者様、約束してくれ。もう二度と、その能力を私に使っちゃだめだぞ。あんたに逆らうの、すっげぇ体力持ってかれるんだからな。倒れるかと思ったわ」


「……壽賀子さん……」

「触るのもなしだぞ。人の体を承諾も得ずにべたべた触ったらだめだ」


 私が話しかけると。

 途端に振り向きざま、泣きそうな表情を見せる聖者様。


「……わかったよ、壽賀子さん……ごめん」

 情けなさを感じさせる、すがるような顔つきになっていた。

 等身大の、リアルな、実に人間らしい言動だ。

 彼は、聖者である前に一人の人間なのだから、このくらいの情けなさがあるくらいでちょうどいいのかもしれない。


「約束するよ……壽賀子さんが嫌なら、もうしないから」

 やれやれ。

 これで仲直りだ。

 しかたない、許してやるか。


 と、思いきや。


「でも壽賀子さんだって、私に謝らないといけないことがあるよね?」

 聖者様は、すっくと立ち上がって、私を問い詰めてきやがったのだ。


「私にすごくひどいことをしたよね?嘘をついて芝居までして私を騙そうとしたんだよね?グエンと二人で示し合わせて恋人のふりまでしてさ、私の恋心を傷つけて、それでいいと思ってるの?嫉妬の炎で狂ってしまいそうになったんだからね!どうにかなってしまいそうだったよ!グエンと仲睦まじそうに二人で肩を組んで歩いたり耳打ちしあったり……私には、あんなに打ち解けてくれないし、接触してくれるどころか近寄ろうとすらしないくせに!人の心を弄ぶなんて、とんでもない悪行なんだよ!」


 え、えええ!

 被害者ヅラすんなよぉ!

 こっちが悪者かよ!


 私は身の危険を心配するくらい、あんたにも、あんたの信者どもにも恐怖感じてんだ!

 しょうがねぇだろうが!

 あんた暴走して話聞かねぇし!

 グエンだって仕事だから、任務だから仕方なしに応じたわけだし、ただただ真面目な奴なだけだろ!


「壽賀子さん、二の腕なら触ってもいい?」

「いくねぇよ!腕もだめ!触んなって言ってるだろう!!」

 言ってるそばから、私の両腕の肉を撫でまわす聖者様がいた。


 やっぱり懲りない聖者様である!


 だ、だめだ、こいつ!

 早くどうにかしないと!!


 つづく!   ━━━━━━━━━━━━━

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