22、智に働けば頭角をあらわし、情に棹させるには流し目ひとつで事足りる
「なんということでしょう、長年支え合って生きてきた老夫婦二人が今まさに危機を迎えているのですぅ!」
「な、なんだって。ひどい奴がいるのだなあッ」
窓の外から謎の呼び込み声二人分が聞こえるようになったのは、それからすぐのことだった。
「どうぞどうぞ、おいでになって、この見世物をご堪能くださいませ。借金のしつこい催促、お得意のごねっぷり、そして喧嘩っ早い口論の数々。うわあ、最悪だあ」
「まだ時間があるというのに営業妨害ッ! 迷惑極まりありませんなッ」
元気いっぱいで、やんちゃな少年の声。そして、野太い男の声。
「さあさあ、どうぞ寄ってらっしゃい、見せてらっしゃい、このお店でございます!」
「なんとこのお店、甘味がうまぁいッ! そして安ぅいッ!」
「この肉体美も見ていってくだされッ」
「ボクの尻尾のもふもふ具合もごらんくださいまし!」
二人の声が場違いに明るい。楽しそうだ。生き生きしている……。
「ほーら、シャボン玉も飛ばしましょう、きれいでございますね~! 楽しいですねー!」
「はははッ、こちらは紙吹雪で対抗ですッ!」
……二人して、外で一体なにをしているのか!
桜子は京也の横顔を見た。ちゃっかり桜子の肩を抱き寄せてご満悦顔の京也は、従者二人に呼び込みをさせて自分は中田夫妻と取り立て屋のやり取りを見物している。
「い、今は店が営業時間なので、終わってから……」
「ここ数日の客入りを見てたが、この店はぜんぜん儲かってないんじゃないか? 今日一日営業したって、支払いができるようには思えないな。なら、待つだけ無駄じゃねえか」
「お願いです、もう少し時間をください」
「あんたたちのの~んびりした感覚に付き合ってたら、こっちまでじじいになっちまう。なにより、じじいになる前に上に怒られるっ」
「ああ、取り立て屋さんも上と下に挟まれてご苦労なさってるんだねえ」
「そうそう、わかってくれて嬉しい……って和みそうになっちまったじゃねえか!」
中田夫妻の嘆願にも関わらず、取り立て屋は声を荒げていく。そして、そんな店内へと呼び込みに誘われた野次馬が入ってくる。
「ほんとうだ。やってらあ」
「これはショーなのですか? ほんもの……?」
人が集まったところで、京也は桜子の注意を引くように髪を撫でた。
「ではそろそろ」
「……?」
桜子が首をかしげる中、京也は名残惜しそうに手を放して立ち上がった。
「俺の花嫁さま、俺の愛しいお姫さま。あの引き立て役を今から追い出すゆえ、格好良かったら褒美にキスしてくれたまえ」
「ええっ?」
桜子は驚いてばかりであった。「自分はさては驚くためだけに生まれてきたのか」と思い始めた桜子の目の前で、京也は帽子を脱いで取り立て屋の後頭部に投げつけた。
「えいえい」
掛け声はイタズラでやんちゃな子どものようである。
「あいたっ、なんだ!?」
取り立て屋が振り返る。そして、ぽかんとした。京也の背に、翼が出されている。
「そこの男、営業妨害をするのはやめたまえよ。そんな暇があるなら、この『あやしさ満載』とよく言われる書生姿の俺を見るがいい。仕事中の夫婦に絡むぐらいなら、俺に絡め! 絡まぬなら俺から絡む!」
京也は格好つけて
「こほっ、時間があって退屈なら、妄想もよいだろう。妄想はいいぞ、自分を強くする! ……強くなったような気がするのだ。実際は強くなっていないが」
喋る、喋る。
誰も口を挟めない。
スイッチが入ったように、京也は
「そして恋愛もよいものである。恋愛はすさまじい幸福感と苦しさの嵐を呼ぶ強欲である! 罪深い俺には自覚がある――この煙管も、
「はあ!? な……なんて? 妄想? は、羽――天狗……?」
よかった。取り立て屋も他の人たちも驚くだけになっている。
(そのお気持ち、わかります。全員きっと同じ気持ちですよね)
桜子は不思議な安堵をおぼえた。自分と他人が同じ、という安心感である。
周囲をひたすら呆然とさせた京也は、おまけとばかりに人差し指の先に小さな天狗火を
「中田夫婦の逃げた友人はあとで探すとして。金は俺が払うゆえ、取り立て屋くんは俺に従いたまえ。かつ丼を
問題の解決方法は金であった。
取り立て屋の男は京也の天狗火に「ひっ」と怯えた声をあげ、よろめいて京也の座っていた席のテーブルにぶつかった。テーブルが揺れて、置かれていた原稿が落ちる。
原稿を拾おうとした桜子は妙なことに気づいた。
「あ……れ?」
父の形見、『
「お嬢ちゃん、なんだその鏡……?」
近くにいた人がびっくりして声を上げる中、鏡は光を強めて、店内の壁に映像を映し出した。
「壁になにか映ったぞ」
「人……? これは、家だなぁ」
映像の中の人物は振り返り、顔が明らかになり――その顔を見て、中田のお父さんが叫んだ。
「こりゃ、借金を踏み倒して逃げた友人だ!」
この場所はどこだ、日時はいつだ、
「ふむ。本人が捕まえられるなら本人に責任を取らせたほうがよいのではないか」
「おっしゃるとおりでございますっ!」
取り立て屋は床に頭が突きそうなほど大袈裟にお辞儀して、びゅっと店を出て行った。
中田夫妻はお金を払わなくてもよくなるのだろうか、と安堵した桜子の視界が、ぐらりと傾く。
「……桜子さん」
「あっ」
呼ばれて気付けば、鏡は光を消していて、壁の映像もなくなっていた。そして、桜子は京也に支えられるように抱き留められていた。軽く眩暈を起こしたらしい。密着する距離に、どきりとする。
「あの家は知っている。あいつがいた場所がわかったぞ」
取り立て屋が「こうしちゃいられない」と店を出て行く。
「桜子さんには術の才能があるようだな……今、暴走気味になっていたようだが。大丈夫か?」
京也は帽子をかぶり、心配そうに眉尻を下げた。
「自分で制御できないまま無意識に術が使えてしまうのは危険なので、術を使う訓練をしたほうがよいかもしれない」
そして、原稿用紙の端部分を破り、文字を書きつけて鏡に貼った。
「暴走防止の呪符を貼っておくから、俺がよいと言うまで鏡を使わないように」
「私に術の才能が……? お父さんみたいに、いろんな映像を誰かに見せたりできる……?」
「訓練すれば、できるようになるかもしれない」
それはすごいことなのではないだろうか――桜子は信じられない思いで、壁と鏡を見比べた。
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