20、あしがながーいおじさん

 朝食を終えた二人は、馬車でにゃんこ甘味店かんみてんに出かけた。

 

 帝都では、紅葉と桜が同時に葉と花びらを舞わせている。季節感が混乱しそうな風景だが、都民はすっかり慣れた様子だった。

 

 京也は洋風帽子とマフラーと色付き眼鏡のお忍び書生姿で、煙管キセルをくるくると手で弄んでいる。

 桜子は蝶々と御所車の模様が華やかな着物に女袴姿に編みあげブーツ姿だ。大きなえんじ色のリボンには式神のもみじが留まっている。

 

「リボンとマフラーが同じ色だろう? こういうのをペアルックというのだ」

 とは、京也の主張であった。


 馬車は途中で停まり、「ここからは歩いていこうか」と手を差し出される。

 

「お……恐れ多いです」

「俺にきみをエスコオトさせてくれたまえ。手繋ぎしよう、そうしよう! さあ、さあ」

 

 おずおずと手を取ると、京也は繋いだ手を嬉しそうに揺らした。


「見てごらん、アリさんがいるよ」

「あ、アリさん……ですか。はい、いますね」


 京也は道端で地面を示して、上機嫌に言った。

 

「あのアリさんは、今自分が世界でいちばん特別で、強くて、幸せだと思っているのだ。そして、それは俺も同じなのである。きみは、夜空にかがやくお月さま。俺のことは、愚かなアリさんだと思ってくれたまえよ」

 

 桜子は真剣に返答に困った。「わかりました、私はお月さまであなたはアリさんです」なんて返事はできるはずがない。

 

「わ、わ、……わかりま、せん……」

「ははっ、そうか。わからないことを言って困らせる俺は、悪い男だな! あははっ、すまん、すまん」


 日本橋川に架けられた石造りの橋を渡る二人の横を、自転車が走っていく。


「今日はにゃんこ甘味店に行くとして、次は大型百貨店で買い物しようか。活動写真や歌舞伎鑑賞もいい。落語も楽しいかもしれないな。きみが楽しそうにしている顔を見たいんだ」


 夢見るように言う京也が自然な仕草で桜子の手を引き、前から歩いてきてすれ違い、去って行こうとしたカンカン帽子の男に足をかけた。

「ぎゃっ」

 男が転び、その手からワニ皮の紙入れが転がる。


 と、その男が来た方向から、下駄を鳴らして駆けてきた男が声をあげた。


「追いついたぞ、この泥棒め!」

 どうやらスリだったらしい。

 どやどやと騒がしさを増す現場を後ろに、京也は何事もなかったように「音楽鑑賞もいいね」とつぶやいた。


 桜子は目を瞬かせて、素直な感想を口にした。

 

「すごいですね」

「うん?」

「私には、スリだとわかりませんでした」

「ああ。悪党は全身から澱んだ気配を垂れ流していることが多いから」

「そうなのですか」

「桜子さんは澄んだ気配をしていて、一緒にいると清々しい気分になる」


 澱んだ気配。澄んだ気配。それはどんなものだろう――桜子には、よくわからないが、一緒にいてよい気分になるという言葉は嬉しかった。


 橋を渡った先は、小さな店や屋台が並んでいた。

 赤や紺の幟が道の両側で風に揺れている。


「こうして手をつないで歩いているだけで、俺は幸せなんだ。ほんとうだよ。きみには、隣にいるだけで俺を幸せでいっぱいにする力がある……」

 京也の言葉がくすぐったくて、桜子ははにかんだ。

「なんだか、私にはもったいないお言葉ばかり。私、術者の家に生まれたのに、術も使えなくて――どうお返事したらよいのか……」


 もじもじしていると、京也は蕩けそうな顔をした。

「ああっ、その慎まやかな笑顔――眩しい! 日傘だ。日傘を差そう。守らねば、この笑顔」


 太鼓をたたき、旗を持って歩く楽隊が宣伝活動をしながら歩く中、商品を陳列した棚を担いだ物売りのおじさんが動く屋台みたいに歩いている。京也はそのおじさんの棚に絹張りの洋風日傘があるのを見つけて、いそいそと買い付けた。


「俺の差す日傘が日差しからきみを守るんだ。これってすごく光栄なことだね」

「こ、光栄なのはこちらの方です」


 白い日傘を差して上機嫌の京也に、桜子はかしこまり、深々とお辞儀をした。


「なにからなにまで、ほんとうにありがとうございます、京也さま」

「くっ……なんて美しいお辞儀だろう」


 しばらく歩くと、目的の店が見えてくる。


「そうだ。これを渡さないとな」

 

 京也は店に入る直前で、桜子に鏡を持たせてくれた。

 

「……お父さまの鏡……!?」

 

 父親の形見で、宵史郎よいしろうに『譲った』東海林家の家宝だ。

 

「取り戻してくださったのですか……? ――ありがとうございます……」

 

 桜子が驚いていると、京也は肩をすくめた。

 

「俺は『嫁入り道具に家宝を持たせよ』と言っただけだ」

 

 にゃんこ甘味店の扉をあけると、入店を知らせる鐘音と来客を歓迎する声がする。

 

「いらっしゃいませえ」

 頭を下げて中へと入る京也と桜子の後ろに、賑やかな声が続く。


「ボクたちもいらっしゃいましたー‼」

「空気のように目立たずお邪魔いたしますッ」

 

 犬彦とうしまるが元気いっぱいに挨拶している。犬彦はきつね耳と尻尾をみせているし、うしまるは肌を露出した赤いふんどし姿なので、とても目立っている。注目のまとだ。距離をあけているので、同じグループとは思われていない様子だが。


「ふふ、桜子さん。あの二人、目立つだろう」

「すごく目立ちますね」

 

 京也は楽しそうに色付き眼鏡を下にずらして美しい瞳でウインクし、「あいつらは『忍べ』と言ってもああなのだが、ああやって二人が目立つことで俺が忍びやすくなるのだ」と笑った。 

 

 店内には、看板猫のミケもいる。ミケは観葉植物の近くにある丸い籠の中で丸くなっていた。猫がすやすや眠っている姿は、平和の象徴みたいだ、と桜子は思った。

 

「おんやぁ、桜子ちゃん。お休みの連絡がきていて、心配していたのよ。春告はるつげさんと一緒なのねえ。学校はどうしたの」

 

 時間はまだ午後になったばかり。普段は学校の時間だ。中田のお母さんは目を丸くしながら栗餡の饅頭をくれた。 


 店に来る前に聞いた話によると、皇宮の外で書生姿をしているときは、基本的に京也は身分を隠しているらしい。

 

 天狗の一族――皇族には、苗字がない。


 京也の「春告宮はるつげのみや」――「宮」というのは皇族の称号で、苗字ではないのである。

 そんな皇族は、市井では「宮」をはずして「春告」と苗字のように名乗ることもあり、京也もお忍び中に名前を聞かれた際は「春告はるつげ京也きょうや」と名乗っているのだ、という。


(春告宮京也様がご本名でしょう? 宮の一文字があるかないかの違いしかないけど、ばれないのね)

 

 と、桜子は思ったのだが、考えてみれば、あまり皇族の情報は人間に出回っていないのだ。

   

 桜子が視線を向けると、帽子とマフラーと色付き眼鏡の書生姿の京也は「中田のお母さん、『あしがながーいおじさん』って話をご存じですか?」と謎の話をしている。

 そして、いつもの席に座り、メニューも見ずにコーヒーとワッフルと茶碗蒸しセットを注文した。


「あっ、私、お運びします……」

「あら桜子ちゃん、お仕事の時間じゃないのだから、のんびりしていいのよ」

 

 待っているのが申し訳なくなって、桜子は注文料理を席まで運ぶのを手伝った。するとなぜか京也まで席を立ち、客なのに自分の料理を自分の席まで運ぶではないか。

 

 中田のお父さんが「なにをやってるんだ」と困惑していると、京也は着座し、眠たげな眼でコーヒーをすすって。

 

「男子たるもの、どっしりと腰を落ち着けて構えるのも大事だが、労働力を活かして社会貢献する事も大事だと俺は思うのです」と言う。

 

「お手伝いは助かるけど、びっくりしちゃう。『あしがながーいおじさん』は有名なお話だから知っていますよう。正体を隠して経済的に支援してくれた資産家のダーリンと結婚するという夢のあるお話ねえ」

 

 中田のお母さんが言えば、京也は「俺たちはまさにそんなカップルなんです」と肩をそびやかす。


「……そうでしたっけ?」

「いや、違うと思いますがな?」


 離れた席の犬彦とうしまるがヒソヒソ言っている。

  

 お忍びだからという理由もあるかもしれないが、京也は中田夫婦に敬意を感じさせる態度だった。話し方も偉そうではなく、年長者を敬うような気配がある。

  

 飲食店を利用する際、サービスを提供する店員に横柄に接する者はかなりいる。接客仕事を経験している桜子は、京也の態度を好ましく思っていた。

  

「ふたりが、『あしがながーいおじさん』。へええ?」

 

 心配そうな視線が中田夫婦から注がれるので、桜子はどんな表情を返せばいいのかわからなくなって頬を染めた。

 

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