18、なぜ子ザメを出したのだ、俺
親世代の心配を
朝の身支度のときにウサ子と一緒に顔を出したキヨは、開口一番に自分を引き取ってくれたことへの感謝を告げた。
そして、桜子が天狗皇族に見染められたことを自分の幸せのように喜んでくれた。
「本日から、ウサ子さんと一緒にお世話させていただきます」
「キヨさん! 無事でよかった」
「桜子様も、よかったですね……!」
立場上、呼ばれ方やしゃべり方は微妙に変わってしまった。けれど、キヨが元気な様子なので、桜子は嬉しくなった。髪をおさげにしてもらってリボンは自分で結んでいると、元気いっぱいの声がする。
「おはようございます、桜子様~! 本日の朝食の会場は、『あさひの間』にすると仰せつかっておりますっ」
迎えにきた犬彦だ。
きつねの尻尾がはしゃぐように揺れている。
「おはようございます、犬彦様」
にこやかに挨拶をすると、犬彦は目を丸くした。
「桜子様。犬彦に『様』はつけなくて結構でございます」
「そうですか? 犬彦様は、あやかし族ですし。私は人間ですから、身分は私の方が低いのでは」
桜子は当然のようにそう思ったのだが、犬彦の考えは違うようだった。
「桜子様は、京也様の奥様になられるのでしょう? ボクは京也様の臣下でございます。ご主君の奥様は、臣下よりえらいのでございます! それにボク、個人的にも桜子様には好意を抱いていているのですよ」
まっすぐな声と眼差しで好意を伝えられて、桜子は首をかしげた。
人はどういう理由で誰かに好意を抱くだろう。桜子は犬彦に個人的になにかをしただろうか? ……と考え込んでいると、犬彦はそんな心中を読んだように言葉を足した。
「桜子様はミケちゃんに優しくしてくださったでしょう? あの子、ボクのお友達なのでございますよ」
ミケちゃんというのは、雇われ仕事先『にゃんこ甘味店』の看板猫だ。
「びっくりです」
「ふっふふ。さようですか。世の中って、意外と狭くて、つながっていたりするものでございまして」
目的の部屋の前まで来ると、犬彦は足を止めて
「少し、かがんでいただいてもよろしいです? こう、頭を低くしていただいて」
犬彦が言うので、桜子はそのとおりにした。すると、犬彦はびいどろの髪飾りを桜子の頭のリボンの上につけてくれた。
「ミケちゃんのお礼でございます」
「わあ、ありがとうございます。あの、お金払います。それか、労働で……」
「桜子様は、なにかをもらうたびに対価を払おうとする癖を直してくださいませっ。ただのお礼でございます。決して、京也様のお供をしていたときに桜子様を見かけてそれ以来ずっと気になっていたとかでは、ないのです。ほんとうのほんとうに、ただのお礼なのですから」
小声で言う犬彦は、照れたように背中を向けて部屋へと案内した。
「いぬひこ、よこれんぼ!」
もみじがふわふわ揺れている。
「横恋慕っ? い、いえ! ただの親愛の贈り物でございますよ!?」
犬彦はぎょっとした様子で周囲を見て、「誤解されたら大変ですから、そういうこと言っちゃいけません」ともみじに言い聞かせた。
「さんかくかんけい!」
「違いますっ」
* * *
「さて、さて。こちらが、『あさひの間』でございます」
あさひの間は上品な和風の部屋だ。
名前のとおり大きな窓から朝日がそそいで、風情ある屏風や生け花を明るく照らしている。
そんな部屋で異様な気配を放っているのが、美しい目元にうっすらと
ぶつぶつと音読している声が聞こえる。
「その瞳に宿る星々は、まるで宇宙の謎へと人類を誘う道しるべ。ならば俺はきみという宇宙に迷い込んだ海の子ザメなのかもしれぬ……と、いうセリフは意味不明すぎるな。昨夜の俺はなにを考えてこれを書いたのだ? 正気を疑うぞ。いや、正気じゃなくても仕方ない。『俺の嫁がかわゆいショック』のせいだ。それにしてもなぜ子ザメを出したのだ、俺?」
うんうんと唸る様子の京也は、桜子が入室しても気付いていないようだった。
「あ~~、京也様は、締め切りが近いのでございます。徹夜していたらおかしくなられて……。食事の席についているだけでも珍しいのでございます。あの方、生活リズムが絶望的に乱れきっておりましたので。気にせず桜子様は栄養を摂取なさってくださいまし」
犬彦は慣れている様子で説明してくれる。その間も、京也は独り言を続けていた。
(すごい集中力……)
桜子は邪魔しないように静かに頭を下げ、自分用に用意された座布団へと座った。
朝食は二人だけで摂るようで、テーブルには二人分の和食御膳が運ばれてくる。
「私、運ぶのを手伝います」
「まあ、桜子様」
鮮やかな光沢のあるけやきのトレイに料理が載っている。和風だ。
左側にある茶碗の中身は炊き込みごはんで、えんどう豆やタケノコが混ざっている。蓋つきの汁ものの
トレイの右側には、黒い弁当箱がある。
弁当箱の
緑黄色野菜のサラダが追加で運ばれてくるが、二人分を見比べるとちゃんと量が調節されていて『品数を多く用意し、食事を楽しめるようにしつつも、桜子が無理しなくても完食できるように』という配慮を感じる。
キヨの手による絶妙な焼き加減のビフテキもあって、桜子は顔を輝かせた。
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