第3話
「今日はもう上がっていいよ」
祖母からそう言われ、クーリアはカウンターから奥の部屋へと向かった。
そこは従業員の休憩部屋のようなものだった。
簡素なテーブルと椅子が置かれただけの小さな部屋。だが、いまさっきまで(クーリアが思う)最大の愛想を浮かべて接客していたので、疲れていたクーリアにとって、落ち着ける空間だった。
椅子に座ると、テーブルの上に置かれたパンが目に入る。遅めの朝食兼昼食。
クーリアは祖父が焼いたパンが大好きだった。特に甘いパンが。
それを目にしたクーリアは一段と瞳を輝かせ、パンに手をのばした。
そしていざ食べようとしたとき……ふいに扉が開いた。
もう既にパンを咥えていたクーリアは、その状態のまま、入ってきた人物へと目線を向けた。
「あらあら。可愛らしい食べっぷりね」
優しい笑みを浮かべながらそう言った人物。それは…
「ふぁふぁ!(ママ!)」
そう。クーリアの母だった。
パンを咥えたまま、そう叫ぶクーリアに笑みを向けつつ、はしたないと咎めるのを忘れないあたり、立派な母親であった。
「んぐ…どうしたの?」
口に入れていたパンを飲み込み、クーリアがそう尋ねた。クーリアが疑問に思うのも仕方ない。クーリアの母は普段、食堂で働いているのだ。
故に今は働いている時間帯であり、ここに来ることはないはずなのだ。
「ちょっとお話したいことがあってね…今いいかしら?」
いつになく真剣な様子で母が尋ねてきたことにより、クーリアは思わず姿勢を正して、続きを促した。
「…クーは、ママが再婚するって言ったら、賛成してくれる?」
クーリアは一瞬、何を言っているのか分からなかった。
だが、直ぐにその事を理解すると、難色を示した。
「…その人はいい人?」
クーリアにとって、父親といえば自身を罵って暴力を振るってきたあの人物しか知らないのだ。
故に頭では分かっていても、父親とは皆そういうものなのではないかと考えてしまうのだ。
「そうね。とってもいい人ね」
そう言う母の顔は、恋する乙女そのものだった。
そんな顔をされて言われてしまっては、母が大好きなクーリアは賛成せざるを得ない訳で……
「…ずるいや」
思わずそんな言葉が零れる。
「ママがそんなに嬉しそうなら、私は賛成するしかないじゃない」
これまた親しい人にしか分からないふくれっ面でクーリアはそう言った。
「ふふっ。ごめんなさいね。だけど、大丈夫。あなたも好きになると思うわ」
そう言って母は去っていった。
1人残されたクーリアはしばらく悩んでいたが、目の前のパンを見て全て吹っ飛んで行った。
クーリアにとって、母の恋より食い意地の方が大事であった……
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