せんぱいの声が嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで

絹乃

1、せんぱいは、賢うてええなぁ

 せんぱいはかしこい。

 うちはあほ。


 せんぱいが、そう言うとったから。

 どんな相手でも理論で言い負かせる。せやから、すごいんやて。

 勝てへんかった相手は、にがくてしぶい漢方薬をぐぐっと飲みくだすようなひしゃげた表情をして、ちいさくて重い長雨の季節のしめりけを凝縮したような息を吐く。

相手がため息をつきながら首をふったら、もしくは「はいはい。もうええです」と背中をむけたらせんぱいの勝ち。


「まぁ、ぼくは賢いですから。ぼくぐらいになると、大概の事は知っていますよ」とせんぱいはうすい胸を張る。鼻の穴がちょっと開いて、目ぇは去っていく相手の背中をひたと見すえている。

 うち、三橋みつはしゆかりは街の大学に進学して、せんぱいみたいな人を初めて見た。


「ああいう無知な輩は、まさしく自分の内ばかりに目を向けて、己の方が格上だと誤認してぼくに突っ掛かってくる。さして実力もないくせに。だから威嚇する必要が有るんですよ。怒鳴るなんて下卑た行為はぼくはしない。相手が女でも男でも。そんな無教養な野蛮人ではないからね。豊富な知識と語彙力、冴えた頭さえあれば簡単にあんな奴らは打ち負かせる。造作もない事です。ほんの暇潰し。まぁ今後はぼくに恐れをなして突っ掛かってくることは無いでしょう。いや、推量ではなく断定、そう断定に決まっている。『無い』だ。奴は己が如何に卑小であるか思い知っただろうから、反省してもらわないと。下の者には上の人間の考えなど読み取る事も出来やしない。思考の深淵を覗く事も叶わない、そもそも地頭が違うのだから。別に鼠に人間の考えを理解して欲しいとも思わない」


すごいなぁ。自信があるんやなぁ。

たしかにせんぱいは早口やったけど。怒鳴ったりはしてへんかった。冷静に、矢継ぎ早に相手のことばを封じて反論してただけ。「話にならへん」とか「屁理屈をこねるな」って相手の顔が赤なって声がおおきなって最後には「なにが論破や。もうええ」ってキレて去っていっただけや。


うちはまちがっても自分がかしこいなんてよう言わん。だってうちなんかよりも勉強ができたり、知識が深かったりする人はぎょうさんおるねんから。


 せんぱいは頭がええのに、眼鏡がちょっとずれていて、銀色のほそいフレームがつねに右側にかしいどう。眼鏡のおかげやろか、生真面目でかたい雰囲気がちょっとやわらいで抜けた感じになってる。せやから初対面ではよう嘗められるんやって。

 小学生のころから、ずっと通っとうってゆう理容室で切ってもらってるせんぱいの髪は、くせがなくてほそくて、前髪がおでこを半分くらいかくしてて。ふだんからパーカーとかチェックのシャツを着とうせいか、ぱっと見た感じは中学生っぽい。それも中学一年生。

 実際、教授にも「お前、ほんまに大学生か?」って尋ねられてたくらいやから。

 いつまでも若う見えてええなぁ、せんぱいは。


 それにくらべてうちは、どこからどうみてもふつうの大学生や。特筆すべきところもないし、部活にもはいってへんから大学に友達もおらへん。

「三橋さん。あんなんとよう話すよな。めんどくさない? あれチー牛やん」って、おんなじ国文の女子、名前はなんやったっけ、に鼻で嗤われたけど。

 チー牛。みんなは、ようわからん言葉を使う。

「チー牛ってゆうたら、チーズ牛丼のことやで。あ、お嬢さんは食べへんか」

「実家が太いと、こういうの疎いよなぁ」

「三橋さん、いっつもええ匂いさせとうしなぁ」

 女子二人が顔を見あわせて、くすっと笑う。「実家が太い」て、どういう意味やろ。大きいの間違いやろか。それに「お嬢さん」ってからかわれることが多いけど、ほんまは「田舎そだちは、チーズ牛丼も知らんの?」なんて本音が隠れとうような気がして。教室のかたい椅子にすわりながら、うちはへらっと笑顔をはりつけてブレスレットを指先でなでる。

 ひとつだけついた、白い母貝の平らな花の飾り。すべすべして内にぬれたような光を秘めてるのは、海の名残なんやろか。

お花の飾りが何個もついてるのを、お父さんは買うてくれるて言うたけど。店員さんも「お嬢さまによくお似合いですよ」と勧めてくれはったけど。お母さんが「ヴァンクリは高いんやから。そんな目立つのをつけて、ゆかりが大学で浮いてしもたらこまるで」と一つだけお花がついてるのんにした。

 自分のも、選ばんかった方のも値段は知らへん。

 百貨店に行くのも新幹線に乗らなあかんしってゆうたら、保育所からのお友だちの紗代さよちゃんは「近い町の百貨店とちゃうん? 天井が低うて、店員さんがお客さんよりもようさんおって、派手なおばさん用の服を売ってるとこ」と首をかしげた。紗代ちゃんとうちの思い描く百貨店は、かなりずれてる。

 実家の村からは車で隣町まで出んと、牛丼屋さんどころか飲食店もスーパーマーケットもない。

子どもの頃にお母さんにくっついて買い物に行った家族経営のちいさいスーパーマーケットは、とうに閉店してしもて、いまではざりざりした赤い錆のういた鉄骨がそびえる廃墟になってる。夏休みにラジオ体操であつまった駐車場も、車が入らんようにチェーンがかけてあるけど。車を停める区画のラインはとうに消えてしもて、ほんのわずかに白い塗料がシミのように残るばかり。割れたコンクリのすきまから野放図にはえた草のなかに車を停めるひとなんかおらへん。


 コンビニに行くんかて車が当たり前。

 老人や大人はいまでも「村」って言葉をつかうから。うちもそうゆうけど。村やったんは、うちが生まれるよりも前のこと。

 隣の市と合併してるから、もう郡のなかの村やのうて市のなかの町やねんけど。そんなん名前だけ。

 そのころに住宅街をつくる計画があったようで。山の斜面を削って、いくつもの住宅地の区画ができた。けっきょく、計画は頓挫したんか一軒も家は建たんかった。

 そうやんな。なんぼ市のはしっこに加えてもろても、駅が近なったわけやない。電車の本数が増えたわけやない。お店が学校が幼稚園が会社が病院が銀行ができたわけやない。

 むきだしの痛々しい黄土色の斜面が台風でちいさい土砂崩れを起こして道をふさいで、住民が犬の散歩ができんようになって。それでハザードマップで土砂崩れの特別警戒区域に指定されただけやった。

 整然とコンクリで分けられてた区画は、今はぼうぼうに伸びたすすきやら、とげの多いナワシロイチゴ、はかない花を風にそよとゆらす萩でおおわれて、近所のおばあさんがビニール袋を手にナワシロイチゴの実を摘んでるばかりや。

 ガーネットを数粒たばねたみたいな、ふかいふかい赤のナワシロイチゴの実は、ほんまもんの宝石みたいに透きとおって陽射しに輝いてる。思い出すだけで、口のなかがきゅうっとすっぱくなって、けど淡い甘さもよみがえる。

 ナワシロイチゴがようさん生えてる場所も、いちど土砂にのみこまれた。

大雨が降るたびに、うちはなんども実家が赤い色に取り込まれてへんことを、黄色い範囲にもはいってへんことをハザードマップで確認した。いま下宿してる地域やのうて。


 故郷は、街になる幻想をはかなく砕かれた夢の残骸やった。

 大学生になって下宿して、近くのコンビニまでは徒歩三分。速足やったら二分で行ける距離で、アイスクリームが溶けへんうちに帰ってこれる。うちは、はじめてコンビニエンスストアがコンビニエンスであることを知った。

 けど、チーズ牛丼。

 そもそも和風のおだしやらおしょうゆ味の牛丼というものに、チーズが合うかどうかもぴんとこぉへん。モツァレラチーズやったらあっさりしとうから、牛肉の脂に合うんやろか。

 せんぱいがなんで牛丼なんかはわからへん。都会の人しかつうじへん暗号なんやろか。けど、せんぱいの良さをうちは確信してる。

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