第3話 中国での小学校生活〜青島編1.〜

さて、いよいよ中国での生活について書いていこう。

アラサーの私が6歳の頃の記憶を思い出すのには限界があるので、覚えていることを一つ一つ淡々と描いていきたいと思う。


青島での学校は、幼稚園、小学校、中学校、高校の一貫校であった。学校の中には宿舎も完備されていて、敷地内には売店、理髪店もあった。

現地の中国人向けインターナショナルスクールだったが、 全世界からの留学生も募っており、その子供たちの来訪者(保護者)が泊まる宿泊施設、レストランも併設されていた。

なのでとにかく広い学校だった。

どう例えたらいいかわからないけれど、東京ディズニーランドもしくはそれよりちょっと小さい位の面積はあったと思う。


ここから私が覚えている記憶の話をしようと思う。


私の母親は、私がここの小学校での生活に慣れるまで、しばらく学校敷地内の宿泊施設に泊まっていた。まだ幼稚園だった私の弟も一緒だった。

ある日母親は私と弟を連れて学校の事務所のような所へ行った。

部屋の内装やその場にいた人たちの事は一切覚えていないけれど、床は大理石でできており、肌寒感じがしたと思う。大理石を濡れたモップで水拭きした時の独特のかび臭い匂いが今でも記憶に残っている。

そこで母親は大量の札束をそこにいた女性の事務員に渡していた。女性は札束を受け取った後、その札束を数えていた。今思えばそれは入学金の支払いだったのかもしれない。

なぜ この記憶の断片がいまだに頭の片隅にあるのかはわからない。生まれて初めて見たこともない大量の札束を目にしたからなのだろうか。それとも大理石のかび臭い匂いが今でも子頭の中にこびりついているからなのだろうか。

母はその時どういう心境でその札束を女性職員に渡していたのかわからないけれども、入学金らしきものを支払ったその日から、私が小学校生活に慣れ、母が弟を連れて日本へ旅立つ日までのカウントダウンが始まったのは間違いない。

こんな小さい子供を異国の地へ置いていくのは正しいのかどうか、寂しさ、覚悟、決意、申し訳なさと日々葛藤していたに違いない。


次に記憶に残っているのは、母親がいきなりストレートパーマをかけたことである。

私の母は剛毛、硬い、くせ毛。 の厄介な髪質である。

私もその遺伝子を受け継いでいる。

だいぶ扱いにくい髪質ではあるが、頭の形のシルエットに沿い、ふんわり丸いショートヘアーだった母親がいきなりストレートヘアーになってびっくりしたのを覚えている。

なんでそんな髪型にしたのかを私は聞いた。

記憶が正しければ、小さい弟を連れ、入学手続きや諸々のことをするのに大変で、ドライヤーに時間をかける余裕がないからと言っていたような気がする。

私は新しい母親の髪型が大っ嫌いだった。あの丸いシルエットが好きだった。ストレートヘアはママじゃないと思った。

これから何か普通じゃないことが起こるんじゃないかと言う不穏な雰囲気を感じたのだろうか。

巷でよく聞く「小さいながらに何か異変を感じとったのかもしれない」というセリフはまさにこの時の私の心情だと思う。

ちなみにその時以降私の母親はストレートヘアにした事は今も含めて一切ない。小さい頃のあの時の場面が蘇るからなのだろうか。

だからこれからもしないでほしい。

やっぱり私の母といえば丸いショートヘアだ。これからもそうであってほしい。


次からは、いよいよ入学してから母親が日本へ帰国することについて書いていく。

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