第34話 再びの白昼夢

 ニースまでは船旅である。


 いつかカラツォ国に二人で行ったあの日を思い出す。リダファが命を狙われた、あの日。一晩中海の中でリダファを抱き締めていた、あの日。しかし、今まで自分の中で誇らしい思い出のその日に、リダファはモルグという女中と……。いくら薬のせいで混乱していたとはいえ、ララナにとっては苦しみの種だ。


 ちゃっかり王宮に入ることに成功したモルグと、リダファの息子でもあるフィリスは、我が物顔で王宮内を闊歩しているようだった。モルグはリダファに取り入ろうと必死で、始終ベタベタと跡を追い回しているのだと、ウィルが話していた。そんな話を聞くたびに、ララナの心は沈んでゆくのだ。


「少し風が出てきましたね。ララナ様、中に入りましょう」

 甲板で海を眺めていたララナに声をかけてきたのは、ウィルである。

「寒くありませんか?」

 そう言って肩に手を回そうとするウィルを、やんわりと制する。

「ありがとうございます。大丈夫です」

 そう言って船室へ向かおうとすると、リダファがこちらを見ていた。睨み付けるようにウィルを凝視している。


 ウィルはフッと顔をほころばせ、ララナに

「先に戻ってください。私は少し、リダファ様とお話を」

 と言い、リダファの前に立ち塞がった。


「……なにかおっしゃりたそうですが?」

 ウィルが訊ねると、リダファは船室入り口ドアに寄りかかり腕を組む。

「随分ララナになれなれしいようだが?」

「……おや、もはやリダファ様には関係のないお方なのでは?」

 にこやかに笑ってはいるが、その実、棘丸出しである。

「何を考えてるんだ、お前?」

「なに、とはまた無粋な。ララナ様は今や帰る家もないただの女性ですよ? 可哀想なララナ様を、私は幸せにして差し上げたいと、」

「はっ?」

 最後まで話を聞かず、リダファ。


「お前、ララナをっ」

「リダファ様こそ、なにか思い違いをしておいででは? 離縁なさるのですよね? 今や側室に、血の繋がったご子息様までいらっしゃるわけですし、まだお若いのですから焦らずともこの先いい縁談話がいくらでも、」


 バキッ


 鈍い音と、甲板に転がるウィル。近くにいた船員が慌てて駆け寄る。

「リダファ様! おやめください!」


 その声を聞き、船内からイスタが顔を出す。床に倒れ口から血を流しているウィルと、船員二人に取り押さえられているリダファ。


「なにしてるんだっ?」

 割って入ると、ウィルが顔を押さえて立ち上がる。

「どうもこうもありません。私が失礼なことを口にしたのが悪いのですよ」

 騒ぎを聞きつけ、船内からわらわらと人が集まる。と、


「ウィル様っ?」

 ララナがウィルに駆け寄った。

 その姿を、リダファが茫然と眺めている。


 ウィルはララナの肩を借り、船内へと消えていった。すれ違いざま、リダファに向けにっこりと笑いかけて、だ。


「おい、どうしたんだリダファ。お前がこんなことするなんて、」

 昔からリダファをよく知るイスタが驚いている。そうだろう。こんな風に激昂することなど……ましてや人に手を上げることなど今までなかったのだから。


「……どうすりゃ、いいんだよっ」

 船員を払いのけ、甲板のヘリに向かう。海を見ながら、自問自答する。


「……リダファ、階級無視で、お前の友人として助言するぞ。ララナ様を手放すな。お前には彼女が必要だ。そうだろう?」

 手摺を握る手に力を籠める。

「お前は、ララナ様を覚えてなくても、ちゃんと愛してるんだよ」


 イスタの言葉が、じんわりと胸に染みていった……。


*****


 ウィルの手当てをし、部屋に戻ったララナは、今まで見たこともないリダファの行動にただ驚いていた。そして、心配していた。あの時のリダファは、怒っていたのではない。酷く、傷付いていた……。


「リダファ様……」

 少しでもいい、話をすることは出来ないだろうか。そう考え、そっと部屋を出る。ウィルに見つかれば捕まってしまうだろう。なんとか気付かれないよう、船内をゆく。部屋の中だとしたら会うのは難しいかもしれない。けれど、外なら……。


 船内から、外を覗き見る。もう、陽は落ちかけている中、リダファは甲板で海を見ていた。近くには……イスタ。


 リダファより先にイスタがララナに気付いた。ホッとしたような笑顔を向け、イスタがリダファの肩をポンポン、と叩く。そのままララナの元に歩み寄ると小さな声で

「ララナ様、リダファ様をお願いします」

 と言った。

 ララナは大きく頷くと、リダファの元へと、進む。どんな顔をされるかわからない。もしかしたら追い返されるかもしれないけれど、それでも、放ってはおけなかった。


「……リダファ、様」


 小さく声を掛けると、弾かれたように振り向くリダファ。そして見る見る間にその顔が赤に染まる。それは夕焼けのせいだけではない。バツが悪そうに、恥ずかしそうに、目線を落ち着きなく動かす。


「あの……リダファ様、手は……、」

「手?」

「大丈夫でしたか?」

 そっとリダファの手を取り、見る。少し赤く腫れているようだ。

「……ララナ、あのさっ、」

 ララナに手を握られ、動揺しながらも話を続けるリダファ。

「あの、俺……さ、」

「はい」

 じっとリダファを見つめ、二の句を待つララナ。リダファは口をモゴモゴさせながら言葉を探している。


 ――ヤマガ、ヒヲフクヨ


「えっ?」

 頭の中に響く声に、驚く。


「……ララナ?」

 様子がおかしいことに気付いたリダファがララナを見る。


 ――ホラ、ヤマガヒヲフクヨ、リュナス


 !


 リュナス、という言葉に、心臓がドクリと跳ねる。そして一気に、これから起こるであろう光景が流れ込んできた。今までとは違う。この光景は、だ。


「リダファ様!」


 ララナはリダファの胸に飛び込んでいた。その身に触れ、小さく震えながら今までのこと、そしてこれからのことを矢継ぎ早に話し始めたのである。始まりはリダファの事故。マシラと話したクナウの歴史と巫女の話。土砂崩れの夢、ウィルの屋敷で見つけた書物に書かれていたことも、今、目の前に見た白昼夢も全部……。


 そんなララナの話を、リダファは時折頷きながらじっと聞いていた。陽が完全に落ちて、空には星が輝く中、ララナをぎゅっと抱き締めながら……。


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