第20話 いつか二人で

「え? ララナ、知ってるのか?」

 リダファが聞き返す。


「私、知ってる。歌…、」

 そう言うと、ララナはその歌を口ずさみ始める。


「マイナル、マイナリ、ヴィダラルゥス

 ハシャル デリナ ミクワノーズ

 キラバ キラレ キルナ ルシードゥ

 マイナル、マイナリ、ヴィダラルゥス」


 美しい声で、音楽を奏でる。


「すごいな、ララナ!」

「本当! とても素敵だわ!」

 リアンヌが手を叩いた。

 ジャコブは驚いた顔でララナを見つめている。


「どうして知っているんだ? ニースでこの詩について随分聞きまわったが、誰も知らなかったぞ? 相当古い文献だから、もうこの詩を知る者はいないものだとばかり……。ニース国王にも幻の島について訊ねたことはあるが、王宮にもクナウに関わる文献はないと言っていた。この文献も古美術商から手に入れた貴重なもので、どこから発見されたかも曖昧なんだ」

 ジャコブは興奮気味に語る。


「ララナ、その歌は誰に習ったんだ?」

 もしかしたら王宮にだけ伝わる、特別な歌なのでは? と思ったのだが、違うのか。

「私……なぜ知ってるかわからない。小さい頃に、聞いたかも」


 子守歌のようなものだったのだろうか?


「ますます気になるな。やはりニースはクナウに大きく関係しているのかもしれないぞ」

 ジャコブはすっかり研究者の顔になっていた。

 しかし、この話はここまでだった。そろそろ式典が始まる時間なのだ。


*****


 式典はつつがなく執り行われ、無事に終了した。


 リダファとララナはエルティナス国王、王妃に別れを告げる。またおいで、と、昔と変わらぬ優しさで見送ってくれるジャコブに、リダファは改めて深い敬愛と信頼を寄せたのであった。


「疲れたか?」

 帰りの馬車の中で、珍しくうとうとし始めたララナに、リダファが声を掛ける。

「ごめんなさいっ、」

 慌てて姿勢を正すララナを見、リダファは席を立ち、隣に座り直す。肩に手を回し、ララナの頭を自分の方へと凭れ掛からせた。

「俺も眠いんだ。少し眠ろう」

 そう言って目を閉じる。


 ララナはそんなリダファを見上げ、安心したように自分も目を閉じた。すぐに規則正しい寝息が聞こえ始める。


 リダファは左肩にぬくもりを感じながら、今回のことを頭の中で思い返す。


 占い師に言われたこと。

 幻の島、クナウの古い歌。


 ララナは偶然アトリスに輿入れさせられただけではないのかもしれない。何か、もっと大きなことが、これから起きるのかもしれない。そして彼女の出生の秘密が、これから先の未来に影響を与えるのかも……、


(なんてぇのは影響受けすぎか)


 占い師があまりにも壮大な言いっぷりをするものだから、つい、その気になってしまったが、どんな夫婦にだって困難はつきものだ。要は、それをドラマチックに表現しただけだろう。劇的であるほど、絆は深まるのだ。演出というやつに違いない。


 クナウの歌についてもそう。


 元々ニースがクナウの移民で作られたというのなら、古くからの歌……例えば子守歌などは口伝えに伝承されている可能性だってある。王宮ではなく、ララナの母親……愛妾である母から聞かされた子守歌だという線が濃厚なんじゃないだろうか。

 などと考え、ふと、思う。


 ララナの母親は、健在なのか?


 結局、彼女が王の娘であるという書簡を見たこと以外、ララナの過去をなにも知らないということに今更ながら驚く。ララナがどこで生まれ、どう育ち、いつ王宮に入ったのか。母親の生死さえも。


(今度きちんと聞いてみなければ)


 そうだ。そして一度、二人でニースにも行ってみたい。ララナが育った島を、自分も見てみたい、とリダファは思ったのだった。


*****


 ふわふわする。


 リダファ様が優しく肩を抱いてくれたからふわふわするの?

 それとも…、


 夢の中だとわかる。


 何故なら自分の髪が伸びていたから。

 地面につきそうなほどに長く、風に揺られているのが見えたから。


 ここは何処だろう? と、首を傾げる。


 見たことのない場所。嗅いだことのない匂い。そして音は……聞こえない。いや、遠くからなにか…あれは、


「歌だ」

 今日、自分が歌った、あの歌だ。


「マイナル、マイナリ、ヴィダラルゥス

 (歌を  歌って  神に捧げます)

 ハシャル デリナ ミクワノーズ

 (願い  込め  祈ります)

 キラバ キラレ キルナ ルシードゥ

 (現在 過去 未来 共にあれと)

 マイナル、マイナリ、ヴィダラルゥス

 (歌を  歌って  神に捧げます)」


 懐かしい。


 確か、二番では『舞を舞って神に捧げる』のだ。子守歌というより、これは何か儀式で歌われるような歌だった。


 でも、そんなこと誰に教わったのだろう?


 辺りを見るが、歌の主はいない。声が聞こえるだけだった。そして自分が何者であるかを、夢の中の自分は知っている。


 知っている?

 なにを?


 光が、降り注ぐ。

 七色のそれはなぜか自分に向かって降ってくる。その光を全身に浴びると、その瞬間、地面が消え去った。まるで大きな鏡のように天と地が同じものになったのだ。


 映し出される、光景。


 戦をしている民。

 笑い合っている家族。

 今、まさに燃え尽きる命。

 生まれ来る、未来。

 明日のこと、明後日のこと。

 ありとあらゆる事柄。


 風が吹く。長い髪がふわり揺れた刹那、今度はそれらを映した鏡がぱちりと消えた。


 この記憶は目が覚めれば消えてなくなる。

 何故かそう確信した。


 そして、再び深い眠りの中に堕ちてゆく。


*****


 フッと意識が戻る。


 うっすら目を開けると、リダファの寝顔が見えた。ララナはふふ、と笑ってリダファの肩に頬を摺り寄せる。


 幸せを感じる瞬間、同じだけ胸が痛む。


 結局、自分は嘘をついたままここにいるのだ。自分が誰なのか、親がどんな人間だったのか、どこで生まれたのか、何も知らない。ララナでもないし、本当はヒナでもない。ヒナ、は施設で付けられた名前だ。


(私の、本当の名前……。本当の私)


 考えても仕方ない。わからないものはわからないのだ。

 ただ、今は……。


(この人を、守りたい)


 リダファの寝顔を見ながら、強く、そう思わずにはいられないララナなのである。

 いつか、何の痛みも感じることなく、二人で笑い合える日が来ると信じて、ララナは再び目を閉じた。



~第一部 完~

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