31.”愛してる”
side.リリー
「リリー」
真っ暗な世界で誰かが私を呼んだ。ここはどこだろう?
「リリー」
「誰?」
優しく、そして子宮に響くような甘い声。誰が私を呼んでいるの?
「こっちにおいで、リリー」
私は声のする方を目指した。
警戒する必要はなかった。だってこんなにも甘い声で私を呼ぶんだもの、私に危害を加えるはずがない。
貴族令嬢として生まれた私だからこそ、警戒心の大切さを教わる。平凡な貴族令嬢や無価値な平民女と違って私は可愛い。それだけでも価値がある。だからこそ、親からは常に警戒するようにと。誰が私を拐かすか分からないから。そう教わっていたのにも関わらず、この時の私にはその考えすら思い浮かばなかった。
それが知らずに操作されていたことだとも気づかずに。
「リリー」
美しい、人外の美しさを持った人がそこにいた。
腰まである黒い髪に血のような赤い目をした、とても美しい人。神様の最高傑作のような人だ。その人が「リリー」と美しい声で私を呼ぶ。
「あなたは誰?」
男は私に手を差し出した。まるで「その手を取って」と「こっちに来て」と懇願しているようだった。私は迷わずその手を取った。
だって、それが正しいから。拒むなんて烏滸がましい。望まれたら、望まれた分だけを渡さなくてはいけない。
そうでなければ、神様に怒られちゃう。
男は優しい手で私に触れる。愛しそうに私を見つめる。
ああ、こんな素晴らしい人を自分のモノにできたら、きっとみんな羨む。もっと私を特別に扱う。○○○○にだって思い知らせることができる。私の方が上なのだと。彼女の方が私よりも下なのだと分からせることができる。
「リリー」
私を呼ぶ彼を私は見る。彼は私を見つめる。だから私も彼を見つめる。「愛している」と言って見つめる。彼は「愛している」と返してくれなかったけど微笑んでくれた。
それだけで十分だった。
そうね。彼のような人を前に「愛している」なんて陳腐だったわね。でもね、あなたに与えられる高尚な言葉は持っていないの。だから、そんな陳腐な言葉でしか表現できない。そんな私を許してねという代わりに彼にキスをする。彼は受け入れてくれた。
私は服を脱ぎ、彼の服も脱がす。白くて、筋肉質で、彫刻のような芸術品のある肢体。ああ、なんて美味しそうなのかしら。こんな男が私のモノになる。それだけで気が狂いそう。
彼の首筋にキスをして、痕をつける。美しい体を撫でるように触りながら、その手は徐々に下へ向かう。彼はすべて受け入れてくれた。
私たちは愛し合った。時間の感覚も忘れるほどに。深く、深く、愛し合った。
彼はただ私を受け入れた。それだけで至福だった。
◇◇◇
目を覚ました。そこは私の部屋だった。
「・・・・・夢?」
その割にはリアルだったし、子宮で覚えている。彼の味を。だからこそ余計に喪失感が酷かった。
もう一度会いたくて目を閉じる。けれど、眠気はこなかった。やがて、空が白くなり、使用人が私を起こしにやって来る。
私は気を紛らわせるために買い物に出かけた。しかし、何も買えなかった。店側から拒否されたのだ。
意味わかんない。
すぐにそのことを父に報告し、私を拒否した店を全て潰してもらおうと思った。けど、父からはなぜか謹慎を言い渡された。
「お前が友人の悪評を広めて、貶めていたことが貴族間で問題になっている」
「何それ、見に覚えなんてないわ」
きっと私の可愛さに嫉妬した○○○○ね。何よ。婚約破棄されたのは自分のせいなのに、私まで巻き込む気?性格が悪いとは思っていたけど、ここまでとは。付き合う相手を間違えたわ。
友達として使ってあげていたのに。
「ああ、お前がそんなことをするとはもちろん思っていない。しかし、貴族は信用が第一だ。色々と問題が出て来ているんだ。ほとぼりが収まるまで屋敷で大人しくしていてくれ」
「・・・・・分かったわ」
可愛さって、特別な人間に与えられる神様からのギフトだけど時々厄介なのよね。選ばれなかった平凡な人間がこんなふうに時折、心無いことをしてくる。
仕方がないわ。これでも選ばれた人間の、特権のようなものとして享受しましょう。
「しばらく一人にして」
部屋に入り、使用人全員を下がらせたあと私はベッドの上に寝転がる。目を閉じると、体がゆっくり沈んでいく感覚がする。ああ、これだ。この感覚だ。これでまたあの人に会える。
「リリー」
ああ、会えた。あの甘い声。私だけの王子様。私の愛しい人。
「会いたかったわ」
私は彼に駆け寄り、抱きつく。彼は私を受け入れてくれる。
私だけの愛しい人。
私は彼とのまぐわいを楽しむ。時間の許す限り。何も問題はない。だって私たちは愛し合っているんだもの。
起きるたびに感じる虚しさが余計、私たちの愛を加速させた。そんなことを続けると当然、現実世界で支障をきたした。
「どういうことだ、リリー」
父も、母も険しい顔をしている。こんな顔を私に向けたことは今までなかった。どうして、そんな顔をするのだろう?
母は私の膨れたお腹を見る。
「いったい、誰の子なの?どうして、急にお腹が・・・・昨日まではなんともなかったじゃない。いったいどうやって隠していたの?」
「私たちは愛し合っているのよ。どうして責めるの?いいじゃない、別に。これは愛の結晶なのよ」
「お前には婚約者がいるだろう」
父の言葉で、そういえばそんなのいたなと思う。そこで、婚約者に罪悪感を覚えたりはしない。するはずがない。だって、あんな冴えない男が私の婚約者なはずがない。それに、私に愛される努力をしなかった向こうが悪い。
「男爵を呼んで、婚約について話し合わなくては」
「あなた、男爵と提携する予定の事業は?」
母の不安そうな声に父は首を振る。へぇ、この婚約に事業が関わってたんだ。提携すれば?別に婚約が破談になっても向こうは何も言えないでしょう。だって、こっちは子爵。向こうは男爵。男爵なんて貴族の最底辺階級よ。文句を言える立場にないわ。
◇◇◇
「・・・・・」
どういうこと?
数日後、男爵が私の婚約者を連れて屋敷に来た。でも、その婚約者の姿が問題だった。私の知っているキャンベル・ココじゃない。夢の中で愛し合ったはずの男だった。
「このような裏切りはとても遺憾ですな」とかなんとか男爵が言っていて、父も母も何故か平謝り状態で「お金の炎上を」どうたらこうたら言っていたけど私の耳には入らなかった。
「彼よ」
「リリー?」
みんなが怪訝な顔をする中、私は彼を見つめながら言った。
「私のお腹の子の父親よ。この子は彼との子なの」と言い終える前に「ふざけるなっ!」という男爵の怒鳴り声が被さった。
「令嬢は私の息子に、不貞の子の父になれと言うのか?」
「不貞ですって?私は不貞なんてしていないわ」
「あなたのことは息子や息子の友人からよく聞きますよ。息子のことを恥ずかしい存在だから婚約者として紹介もできないと、よく息子に言っていたそうですね」
「リリー、そんなことを言っていたの?」
「リリー、なんて失礼を」
「だって、仕方がないじゃない」
私の知っているキャンベルは私に不釣り合いな平凡な容姿をしていたんだもの。だいたい、何でそれが彼に変わっているのよ。まさか、私に会いに来てくれたの?
「仕方がない?そうですか、そうですか」
「待ってくれ、男爵。娘のことは再教育する。だから」
「ご冗談を。これほどの侮辱を受けて、それに耐えてまでこの婚約を続けるメリットはこちらにはない。あなたご自慢の可愛らしい娘さんじゃないですか。探そうと思えばすぐに相手ぐらい見つかりますよ。不釣り合いで、平凡で、恥ずかしい私の息子なんかよりも相応しいのがね。年齢を気にしなければ、処女じゃなくても良いと言ってくれる相手はいくらでもいますよ。没落を免れたいのなら、視野に入れることをお勧めします。では、我々はこれで」
「ねぇ、待ってよ。私に会いに来てくれたのよね?」
私が問いかけても彼は苦笑するだけで答えてはくれない。どうして?
男爵は「どこまでも身勝手な令嬢だ」と吐き捨てて彼を連れて行ってしまった。どうして何も言ってくれないの?どうしていつもみたいに私を受け入れてくれないの?
◇◇◇
「いやっ!どうして私がっ!私は彼と結婚するの。だいたい、相手を選ぶには年齢差がおかしいでしょう」
相手は私の祖父を名乗ってもおかしくはない年齢だし、しかも死別した妻がいる。
つまりは後妻。この私が、可愛くて、特別な存在である私が後妻なんてあり得ない。
「こうなったのも、お前の責任だ。お前と男爵の婚約によって、借金まみれの我が家を金銭的に支援してもらっていたのだ。しかし、婚約は破談になった。しかもこちらの瑕疵によってだ。男爵は支援した額と婚約破棄による慰謝料を払えと言ってきている」
なんてがめつい親父なの。それに父も、父よ。言いなりになるなんてどうかしているわ。
「払えば良いじゃない」
「そんな金はない」
「じゃあ、踏み倒せばいい」
所詮、相手は男爵。爵位はこちらの方が上なんだから問題はないでしょう。
「お前と、まともな対話ができないのはよく分かった。先方は子供も一緒で構わないと言ってきている。子供が産まれ次第、結婚して、出ていけ。二度と我が家の敷居を跨げると思うなよ。婚姻までこいつを閉じ込めておけ」
「やだ、ちょっと、放してよ。どうして、私が」
父は本当に私を部屋に閉じ込めた。しかも部屋には常に三人以上の使用人がいて、私を見張っているのだ。あの日から、夢であの人に会うこともない。
気鬱が続くようになりながらも迎えた出産日。産声は上がらなかった。代わりに「シューシュー」と言う空気が抜けるような音と出産に立ち会った、産婆や使用人たちの叫び声が聞こえた。
「何?えっ、何?何よ?」
使用人も産婆も蜘蛛の子を散らすように出ていき、残された私は赤子を見ようと仰向けのまま視線を下げた。すると、股の間から出てきて、這うように私の上に乗っかるのは無数の黒蛇。
「リリー」
久しぶりに聞いた甘い声。視線を向けると愛おしいあの人がいた。私は助けを求めるように手を伸ばした。そんな私は彼はニンマリと、笑った。その口は頬まで裂け、口のかにある歯は鋭く、人間のものとは違っていた。しかも、そこから出る舌も蛇のように細く、長い。先も二つに別れていた。
・・・・・化け物。
「さぁ、お前たち。ご飯の時間だよ」
甘い声で化け物が言う。すると黒蛇たちは小さな口で私に齧り付いた。ちまちまちと私から肉を引きちぎっていく。痛くて、痛くてたまらない。いっそう殺して欲しいのに、千切られる量が少ないため、絶命することもない。
涙や涎、穴という穴から体液を流し、恐怖で顔を引き攣らせる私を彼は愛おしそうに見つめる。
「リリー」と化け物が呼ぶ。化け物は私の頭を撫でる。
「大丈夫、殺さないよ。僕はね、君がとっても気に入ったんだ。だからね。邪神様にお願いして、君をもらうことにしたんだ」
「・・・・邪神?」
そうだ。どうして気づかなかったんだろう。子供の頃、読み聞かされていたじゃないか。黒蛇は邪神の化身だと。
「僕はね、邪神様の眷属なんだ。君のドス黒い感情、だぁいすき。君の恐怖に歪む顔はもっと好き。今みたいに苦痛に耐える顔はもっと、もっと好き」
怖い。化け物の愛の言葉が怖い。私は、どうなるの?
「また、たくさん愛し合おうね。そして、子供を作って、今みたいな顔をたくさん見せてね」
私は、何度もこの苦痛を味あうの?死ぬことも許されず。
「・・・・いや、いやよ。いや、お願い、助けて」
「あは。おかしなことを言うな。リリーは僕のことを”愛してる”んでしょう?僕も”愛してるよ”」
使用人が当主を連れて部屋に戻ってきた時、そこにはリリーも生まれたはずの子供の姿もなかった。
完全に消えたのだ。
当主はリリーを血眼になって探したがついぞ見つけること叶わず、ロヴァル子爵家は没落した。
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