第17話

「エステル様、ここは……?」

「あら、はじめてですの? 会場にはいくつか談笑席が設けられていますのよ」

「それは知りませんでした。その……あまり長居はしないもので」


 彼女が最後は、控えめに笑って締めた。格式高い貴族達ばかりが集まっているので、そうほいほい移動できないという事情が伝わってきた。


「ところでリリーローズ様、彼はアルツィオ・バラン・ヴィング第三王子殿下ですわ。……とてもいい人ですの」


 彼の方を手で示したところで、エステルは『いい人』という台詞が少し遅れた。


 アルツィオは、輝くほどの笑顔を浮かべていた。


 エステルに促されてそちらを見たリリーローズも、目を丸くしている。


「えぇと、とてもにこやかな人なのですね……?」


 たぶん、あなた限定で、とエステルは心の中で答えた。


 打ち合せていた台詞を告げたあとは彼の方で進めると、エステルは言われた。


 けれど、大丈夫なのか少し心配になる。


『お手柔らかに進めますので、大丈夫です』


 ――なんて先日、打ち合わせた際にアルツィオはエステルに約束していたわけだが、不安だ。


 別荘に泊めた彼の部隊の部下達も、なんとも言い難いと正直に申していた。


 リリーローズは貴族付き合いも慣れていないし、同年代の異性とは話し慣れてもいない。


 調査報告書から見ても初心なのは分かっているとアルツィオが語っていた際に、エステルはどうしてか、女性としてものすごく心配になったものだ。


「えー……事故が起こったあと、私の〝一番のよい友人〟になりました」


 ひとまず、引き続き友人であることを押しておく。


「今回、彼にどうしても、あなたを紹介して欲しいとお願いされましたの」

「えっ?」


 どうして?とリリーローズが小首を傾げる。


 アルツィオの笑顔が二割増しで輝いた。


 本来だと、このような紹介の仕方はしない。だが相手が彼だったから、エステルは彼にお願いされた通りにそう言ったのだ。


(戸惑わせるのは、すっごく分かるんだけど)


 好きな女性を前に、来るたびストーカーまでしていたこの男が、お手柔らかに進めるはずがない。


 すると案の定、アルツィオが早速リリーローズに向く。


「始めまして。私はヴィング王国のアルツィオ・バラン・ヴィングと申します。どうぞアルツィオ、と」

「えっ、あ、わ、私はエルボワ子爵家のリリーローズです、殿下」

「王子とは呼ばれていますが、軍人としての方が多いですので気軽に名前でお呼びください。リリーローズとお呼びしても?」

「も、もちろんです」


 でも名前は呼べないと、半ばパニックになってリリーローズが言っている。


(――距離が、近いのよ)


 エステルは二人を眺められる位置にいるから、それがよく分かった。


 アルツィオは一人掛けソファの肘掛けから身を乗り出していた。座高も長いものだから、すぐそこまで迫られてリリーローズはたじろいでいる。


「御覧の通り、私はエステルに信頼をおかれて友人になりました。そう警戒しなくても大丈夫ですから」

「け、警戒だなんてっ、そんなの、してません」

「そうですか? なら、アルツィオ、と呼んでみてください」


 はたから見ると、甘い声であるのはよく分かる。


 かわいそうに、リリローズは「うー」と言って頬を染めて混乱していた。


(というか、自分てでそう紹介する人ほど信用ならないのよね……)


 そこに思い至らないのがまた、リリーローズの魅力の一つなのかもしれない。


 舞踏会はこのあとに、ダンスの時間だったりあるわけだが、エステルの目的はそこにはない。


 彼女は長くなることを見越して、係りの者を呼び紅茶を三人分お願いした。


 その間も、アルツィオはリリーローズにぐいぐいいっていた。


「そ、それでは……アルツィオ様、と……」

「はい。よくできましたね」


 予測していたのか、ちょうど紅茶が出そろったタイミングでアルツィオがにっこりと笑う。


 戸惑っている様子も可愛かったから、鑑賞していたのだろう。


(いい性格した男だわ)


 それを眺めつつ紅茶を飲んでいる自分も、どうなのだろうとエステルは思う。


 でも――彼が素敵な紳士であることは確かだ。


 配慮ができ、何よりとても好いていてリリーローズへのアプローチを堂々とする。


(そんな恋は、私にはできなかった)


 エステルは、どうかリリーローズには幸せになって欲しいと思った。


 自分はもう公爵家か、王命によって見知らぬ男に嫁ぐしかできないが、彼女には自由がある。


 いい性格はしているが、だからこそアルツィオは絶対に守ってもくれるだろう。


 とても素敵な相手であるのは確かだ。


「あっ、ご、ごめんなさいエステル様。私ばかり話していて――」

「いいのですわ。あなたを紹介するために、ここへ来たんですもの」


 ティーカップを持ったリリーローズが、冷めやらない顔を右へと傾げ、疑問符を浮かべる。


「あの、そういえばどうして私を……?」


 しはらく話をしていたが、そこはまだ理解していないらしい。


 というか、混乱に混乱が続いているのも原因な気がする。


 エステルが伝えるわけにも行かない。彼女はアルツィオを立たせるべく、紅茶を飲んで聞いていなかったふりをする。


 するとアルツィオが、またしてもリリーローズ側へと肩を寄せた。


「リリーローズ、実はお話したいことが――」


 一度肩をはねたものの、耳打ちされたリリーローズが次第に興味津々と言った様子で聞き入る。


(何を話しているのかしら)


 ヒロインは聞こえなくて首を捻った。砂糖菓子のワゴンを押している係りの者がいたので、「こちらにも」と言って、ひとまず円卓へと一皿分もらう。


「まあ、アルツィオ様はそんなことをされているのですか?」


 砂糖菓子を、ころんっと口の中に転がした時、かなりびっくりしたのかリリーローズのそんな声が聞こえた。


 口の中の甘さに、本来は参加したくなかった社交の場への緊張もほぐれる。


 視線を上げてみると、リリーローズがこちらを目を丸くしてみていた。


(何かしら?)


 エステルは、彼女のエメラルドの目にきらきらとした輝きを見て取った。


「はい。それから、実は今夜……」


 足を組んでいたアルツィオが、にっこりと笑いかけて手招きする。


 リリーローズが今度は自分から耳を寄せた。


 なんともうまい男だ。ぐいぐいいって少し鳴らしたかと思うと、少し手を緩めて、安心感を与えて――。


(一度慣れてしまえば、という手でやっているのかしらね)


 そのせいでリリーローズは心を落ち着ける暇がないのだが、彼はそれだけ彼女に本気なのだろう。


 リリーローズがいると、とにかくずっとにこにこしている。


「ふふっ」


 すごく楽しそうだなと思ったら、つい口元から笑みがこぼれた。


 やりとりが聞こえたと思ったらまたひそひそと二人が話している。


 取り残された気分ではあるけれど、二人の仲が深まるのならいいかとエステルは思い、砂糖菓子で甘くなった口に紅茶を入れる。


 と、アルツィオが背を起こした。


「というわけです。一度席を離れますが、嫉妬などされないでくださいますか?」


 何やら話し終えたらしい。


(席を、離れる?)


 いったいどんな話があったのか、リリーローズは高揚したようにこくこくと頷く。


「もちろんです。えっと、そももそ嫉妬も何も、アルツィオ様はエステル様と先にご友人になられた人です」

「あなたも友人だと?」

「そうでしょう?」


 エステルは苦笑を浮かべてしまった。


 さて、アルツィオばどうするのだろうと思って紅茶をまた一口飲んだ。しかし彼の次の言葉に「ごほっ」としてしまった。


「リリーローズ、私はあなたをくどいているのです」

「えっ」

「ですから勘違いをされたくなくて、そう申し上げました。ふふ、これで伝わってくれたようで、よかったです」


 何もよくない。


 エステルは彼の輝くような笑みをげんなりと眺めた。


 リリーローズは、もう耳まで真っ赤だった。


「おや、エステル。口元に紅茶が」

「――これは失礼いたしました」


 エステルはアルツィオの涼しげな指摘に、流れるようなしぐさでハンカチを取り出して口元をそっと押さえた。


「アルツィオ、そもそも私はいらなかったのではないですか?」


 正直、浮かんだ感想を口にした。


「そんなことはありませんよ。あなたの方も解決しなければ、私はリリーローズに求婚できませんからね」

「解決?」


 いったいなんの、と思った時だった。


「きゅ、求婚……!?」


 リリーローズの方からガタンと音がした。

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