第14話

 予定では、会場内の入り口近くで落ち合うはずだった。


 時間が似合えば、協力してくれた公爵にも一度挨拶をしたい、と。


 彼は今日の舞踏会のため、エステルの代わりに別荘へ泊まっていた。同じく転移魔法が得意な部下達も滞在している。


「手厳しいですね。すみません、つい彼女が入場するまでを観察していました」

「えっ、ストーカーしたのですか、んむっ」


 アルツィオが、エステルの肩を抱いて自然にエスコートの姿勢を持っていきつつ、慣れたような手で口を塞いでいた。


「走っていく馬車が安全かどうか、見届けていただけです」


 彼が、耳元でそっと囁く。


 はたから見るといい感じに見えたのだろう。近くで女性達が小さく騒ぐ声が聞こえてきた。でも、アルツィオが邪魔して、そちらは見えない。


(まさかの、馬車から……)


 また、お得意の風魔法でも使ったのだろう。


 現れる瞬間まで騒がれないところを見るに、姿を認識させないか、隠すような魔法も持っているとはエステルも勘ぐっていた。


「淑女の口を塞ぐなんて――」

「エステルには、お詫びを」


 解放されてすぐ、振り返った時にはアルツィオがすでに紳士の礼を取っていた。


 エステルは見事に指摘するタイミングを失った。


「さ、行きましょうか」


 流れるように手を取られ、彼の腕に冴えられてエスコートの形を取られた。


 その話し方と、慣れたような立ち居振る舞いに一本取られた気分を味わった。


 相当楽しみにしているのだろう。


 すでにリリーローズがどこにいるのか彼は把握しているようで、迷うことのない足取りでエステルを連れる。


(これだけ堂々とになっているのなら一人でいけるのではないかしら)


 けれど、彼が心底リリーローズを〝気に入っている〟のを思い出した。


 それでいて『絶対に逃がしたくない』のだ。


 彼は第一印象から、そして進めからから何もかも〝完璧に〟するつもりだ。


 これまでで分かった彼の性格から、エステルは正しく察せた気持ちになった。


 だが『まったく……』と思いながらエスコートに身を委ねたエステルは、ぎくんっと身体が強張った。


「あっ……」


 殿下、と思わず口の中に声が落ちた気がした。


 こんなにも貴族の姿が溢れているというのにアンドレアの姿を見つけてしまった。


 それは、彼の視線がこちらを向いていたからだ。


 真っすぐ目を向けられていて、エステルは足が竦みそうになる。


 すると、アルツィオが彼女をさりげなく、優雅に引き寄せた。周りから途端に声援みたいな黄色い声が上がる。


「ちょっと、アルツィオ――」

「なんでしょう?」


 これでは、まるで見せつけているようではないか。


 そう言い方ものの、見上げた彼と近くからぱちりと目があったら、懐っこい目で笑いかけられてどちらか途端に分からなくなった。


「よろけられたのかと思って、支えてあげただけですよ」

「そ、そう……」


 それにしては、告げたあとのにこにこ笑顔が気になった。


(どうしてこんなにも近く殿下が)


 ちらりと見つめ返したエステルは、いまだ動かず、じっと見つめているアンドレアに心臓がぎゅっと痛んだ。


 プラチナブロンドの下から覗く、美しい彼の藍色の目は睨んでいた。


(――私が、そんなに嫌なの?)


 まだ、婚約者でいることが許せないのだろうか。


 エステルは震え上がり、咄嗟にアルツィオがエスコートしてくれている腕に視線を逃がした。


 ショックだった。久しぶりに見たアンドレアの顔が、怖いものになるとは思ってもいなかった。


 婚約者のままでいるのはエステルの意思ではない。


 何も悪いことはしていないのに、彼の滅多にない睨む顔を思い返すだけで、何か自分に悪いところがあったのだろうかと考えてしまう。


(もしかして、伯爵令嬢を守るため……?)


 空気が悪くなるから、なぜお前がここに、と彼の視線は訴えているのか。


「舞踏会が始まったばかりなら、貴賓席に近いところにいるとばかり……」


 いつもなら、そうだ。


 けれどその腕にユーニを連れていたら?


 どっくんと胸が不安な鼓動を立てる。案内をして挨拶に連れているのだとしたら、可能性はありえる。


 あそこにアレス伯爵達のグルーブでもいるのだろうか。


「すみません、私の情報収集不足だったようです」


 上から、不安な鼓動も吹き飛ぶような場違いな声色が聞こえた。


 気のせいか、にっこにっこと笑顔でいう声のような――。


「…………」


 見上げてみたら、間違いではなかった。


 アルツィオは目が合った拍子にもう一度「すみません」と言ってきたが、その割ににっこにっことしていた。


(案外、性格がお悪いのかしら……?)


 そんなことを思い浮かべて、そもそもその気は可能性がゼではなかったと思い出す。


 恋に破れ、魔力をほとんど手放すという行為に出て心もくたくたになっていたエステルを、初恋の人の第一印象をよくするためだけに使ってる時点でしたたかな人だった。


「ふぅ」


 エステルは、一度心を落ち着ける。


 目的を忘れてはならない。ひとまず、支えてくれている彼を少し押し返した。


「そう思ってくださっているのでしたら、早く行きましょう」

「あなたを見る限り、それがよさそうです」


 話しながらわざと人混みへと彼を引っ張ったエステルは、もうアンドレアの方を見ることはできかった。


(願わくば、もう見ることがありませんように……)


 まだ婚約者同士であるせいか、彼以外の男性のエスコートを受けていることへの後ろめたさに逃げ出したくなる。


 だが、彼女の精神力は一気に消費されてしまったらしい。


 心臓はどくどくと速く脈打っていた。アルツィオを引っ張る形で急ぎ足を進めてほんのわずか、身体がぐらりと揺れた。


(あ。――だめ、お願い)


 ここへ来るまでの身支度、そして会場に入ってからも極度の緊張があった。


 背筋を伸ばし、一人毅然と歩くだけでも体力を奪われていたのに、アンドレアのことがトドメになったみたいだ。


 転倒、となったら魔力を失った事件でまた騒がれる。


 そう予感して背筋が冷えた直後、倒れる先にアルツィオが回った。


「大丈夫ですか?」


 エステルは、彼に抱きつく形になってしまった。けれど倒れてしまうのだけは免れたくて、咄嗟に有難い思いでしがみつく。


「あ、ありがとうございます。どうしよう、これから、いかなくては」

「大丈夫ですよ。試してみましょう」

「え? 何を――」


 戸惑っている間にも、アルツィオがエステルの両腕を取った。


 次の瞬間、水色の柔らかな光が彼の手から起こった。


 温かな魔力の風を感じた。休憩して水を飲んだ時のような身体の軽さが、彼の腕から全身へと流れ込んでくる。


(あ――魔力だわ)


 干からびた身体が、美味しい、と言うみたいにコクコクと飲み込んでいくのを感じた。


 気づけば足のふらつきはなくなっていた。


「いかがです?」

「だいぶ楽になりました……今のは……」

「魔力を分け与えました。あなたの魔力容量にかなりの空きがあるため、魔力属性は関係ないようでよかったです」


 癒しの属性に近い、風魔法を発動してみたという。


(ああ、だから、よく感じるのね)


 彼が現れるたびに察知し、つられて芽を向けてしまうのはそのためでもあのか。


「ありがとうございます、アルツィオ」


 彼の手を借りて、立ち姿勢を直した。


「――あら? 何をにこにこされておいでなのです?」


 ふっと視線を上げると、やけに『にっこにっこ』としているアルツィオがいた。

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