21-3(アウレリア)

 ディートリヒが傍にいては、夢を見ないかもしれない。


 眠る直前に沸いたそんな疑問は杞憂だったようで、アウレリアはそれからいつも通りいくつもの夢を見、そして目覚めた。自らの悲痛の声に導かれるように。そして、傍らのディートリヒの声で、正気を取り戻すのだ。


 触れていたら夢を見ないことと言い、アウレリアにとって、いや、『女神の愛し子』にとって、彼は何か意味のある存在なのかもしれないと、そんなことを思った。『女神の愛し子』もしくは、レオノーレ女神にとって。彼、というよりは、彼に封じられた魔王が。




(兄様が女神と魔王の伝承が何か残っていないか調べてくれているはずだから、そちらはそれを待つしかないわね。もしくは、私が十九の年を迎える日、女神と対話する機会が与えられるはずだから、……本当に女神に会えるのならば、その時に訊ねてみても良いわ)




 夜着からまたドレスへと身支度を整えながら、アウレリアは一人、そんなことを考えていた。


 『女神の愛し子』とは、この世界で唯一レオノーレ女神と繋がっている者。もちろん、だからといって女神と言葉を交わせるわけではなく、だからこそああして、夢を通して女神から未来を教えてもらうのだが。


 唯一度だけ。『女神の愛し子』が無事に十九の年を迎えることが出来たら、女神を讃える神殿で、言葉を交わせるのだという。『女神の愛し子』の中で十九の年を迎えた者があまりにも少なく、アウレリアも、本心では全く信用していないのだが。


 もし、万が一、女神と話すことが出来たならば。直接、魔王について聞いてみたいとそう思った。




「それにしても、良かったですね。殿下。ちゃんと、夢を見ることが出来て」




 考え事をしていたアウレリアの耳に、ふとパウラのそんな声が入ってくる。「気にしてらっしゃったじゃないですか。見えなくなっていたら、って」と言いながら、その手はくるくるとアウレリアの長い黒髪を緩く結い上げていた。




「殿下は夢を見て、民を護ることを誇りに思っていらっしゃるでしょう? それに、殿下が夢を見ることが出来なくなれば、魔物の襲撃が分からなくなり、命を落とす者も増えるでしょう。そうなれば、殿下が悲しまれるのではないかと、私たちも心配していたのです」




 梳いては結い上げ、また束ね。鏡の向こうで彼女は髪だけを見つめて言葉を発する。アウレリアは衝動的に開こうとした口を一度閉じ、「そうね」とだけ、応えた。


 ディートリヒと共に眠ることが出来るようになっても、以前と変わらず夢を見ることが出来た。それはとても、喜ばしいこと。けれど。




「……『女神の愛し子』だもの。民を護れて誇らしいわ」




 アウレリアは一つ息を吐き、そう呟いた。まるで、自分に言い聞かせているようだと、そんなことを思いながら。


 食事を終え、昨日と同じく兼用の寝室へと足を運ぶ。広いベッドの方へと向かえば、昨日とは違い、そこにはすでにディートリヒが夜着に着替えて腰を降ろしていた。それも、ベッドの真ん中に。


 昼間に触れた時に思ったけれど、眠れずにしっかりと休むことが出来なかったせいか、彼の肌は荒れている。しかし、帰還式で見た時よりは、少しだけ頬がふっくらとしたような。気がするだけかもしれないが。


 ディートリヒはアウレリアの姿を見つけると、とんとんと自らの隣を叩く。「こちらへ」と言う彼の声が少し硬くて、アウレリアは数度瞬きをした後、ベッドに上がり、大人しく彼の隣へと座った。ベッドサイドのチェストの上に、つけていたベールを置いて。




「どうしました、ディートリヒ。来るのが遅かったですか?」




 怒っている、というよりは、ただの無表情。しかし、いつも穏やかな表情を浮かべている彼の無表情は、少しだけ違和感があった。


 今日もまた少し話して眠るのだろうか。昨日は気付かぬうちに眠っていて、彼が寝かせてくれたらしいけれど。


 思っていたアウレリアに、しかしディートリヒは、今度は枕を示す。「横になって、アウレリア」と言って。




「久しぶりに仕事をしたんだろう? 疲れてるだろうし、休まないと。ほら、大丈夫。俺と一緒なら、眠れるだろう? 眠れないなら、横になって話しても良いから」




 どうやら彼は、アウレリアのことを随分と心配しているらしい。休むようにと言う顔は真剣そのものだから。


 アウレリアはくすりと笑って軽く首を振る。「大丈夫よ。慣れているから」と言いながら。




「これまでは、眠る度にああやって夢を見ていたのだから。眠れるようになっただけでも、素晴らしいことなのです。……もちろん、あなたには、驚かせてしまって申し訳なかったけれど」




 困ったように眉を下げて、アウレリアは言う。叫び出し、取り乱す自分を見れば、心配にもなるかもしれない。けれど、それがアウレリアの日常なのだ。気にするようなことではない。




「でも、ああやって夢を見ることで人々を救えるから。……ちゃんと見ることが出来て、良かった」




 そう。本当に良かったのだ。夢を見ることが出来て。民たちを救うことが出来て。


 だから大丈夫。何度夢の中で刺されようと、食われようと、千切られようと。民を救えるならば、それで。




「……本当に?」




 それは、率直な問い。一瞬、自分が口に出したかと思った。


 本当に、良かったと思うのか。そう。




「本当に、良かった? 夢をまた、見ることが出来て。……あんなに苦しい夢を、見ることが出来て」




 顔を上げれば、静かな表情のままのディートリヒがこちらを真っ直ぐに見つめていた。こちらの心の中を覗き込もうとするような、真っ直ぐな、赤い目。


 どくりと、心臓が鳴った。生唾を呑み込み、一度口を閉じる。


 本当に。本当に。




(……本当は、……本当は)




 民を救いたい。救える自分の仕事が誇りなのだ。そのことに間違いはない。何一つ。でも。


 でも。




「……もう、死にたくない……っ」




 それがきっと、心の底に押し隠した、アウレリアの本心だった。

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