2-3(アウレリア)

「木とか草とか言った手前、煩くしてごめん。さっきから、どうしても気になってて。……君、すごく顔色が悪いよ。こんな所よりも、控え室とかに行った方が良いんじゃない?」




 申し訳なさそうに、心配そうに、騎士は言う。

 真面目な上に、優しい人らしいと思うも、気付いた。顔色、ということは。




「こんなに暗いのに、見えるのですか?」




 思わず、顔を上げる。

 ちなみに、いくら目が慣れてきているとはいえ、アウレリアからは傍らの彼の顔色どころか、その顔形さえぼんやりとしか確認できない。確かに夜目は利かない方だが、それにしても顔色の判別が出来るというのは見え過ぎではないだろうか。


 黒騎士は一拍の間を空けた後、「見えないのが普通か」と、小さく呟いていた。




「闇魔法を使う修行をしたせいか、人よりちょっと、目が良くてね。……そんなことより、体調が悪いから休みに来たんだろう? ……そんなに、仕事が大変なの?」




 世間話のように気楽な口調で訊ねられ、アウレリアは数度瞬きをする。再び前を向いてぼんやりと空を見上げた。


 仕事が大変か、と問われれば答えは一つだろう。




「少し、大変ですね」




 ぽつり、とアウレリアは呟いた。


 アウレリアが担っているのは、この大陸で唯一、アウレリアだけに与えられた役割であった。それも、自ら選んだわけでも、王女という肩書で選ばれたわけでもない。


 女神、レオノーレが自ら選び、アウレリアに与えた役割である。


 人々はアウレリアのことを、『女神の愛し子』と呼んだ。




「仕事の内容が大変、というわけではないのですが、昼も夜も、まともに眠ることを許されないので。顔色が見えるのでしたら、分かりましたでしょう? こんな顔になったのも、そのためです」




 女神は目を閉じ、浅い眠りについたアウレリアに、夢という形で教えてくれるのだ。明日か、一週間か、はたまた一か月か。近い未来に人々を襲う、魔物の存在を。それを、父や兄に伝えることで、騎士を配備するなどの先手を打ち、魔物の襲撃を防ぐのである。


 もちろん、その夢は女神が言葉で教えてくれるような、そんなものではなかった。近い未来に、魔物に襲われる人物に、アウレリアの意識が憑依するのだ。だから。




(もう、何度、魔物に食い殺されたか分からない……)





 腕が。足が。身体が。果ては頭が。鋭い牙を持つ獣の姿をした魔物が、生きたまま自分の身体を喰らうのだ。毎日、毎日。


 ごりごりと、すぐそこで自らの骨を嚙み砕く音が、鮮明に思い出せる。何度経験しても、慣れることなど出来るはずもない。


 そんな夢を見ながら、身体が休まるはずもなかった。


 知らず、両腕で自らの腕を抱いたアウレリアに、騎士は静かな口調で、「……そうなんだ」と相槌を打った。




「休みたい、とか思わないの? ……辞めたい、とか」




 ぽつり、と騎士が再度訊ねてくる。

 彼はアウレリアを侍女だと思っているから、当然の疑問だろう。そんなに大変ならば、と。普通の仕事ならば、休んだり辞めたりすることも出来るから。


 けれどアウレリアに与えられた『女神の愛し子』という役割は、休むことも、辞めることも出来はしない。それに、もし辞めることが出来ていたとしても、だ。




「少しだけ休みたいと思うことはあります。けれど、……辞めたいと思ったことは、一度もありませんね」




 本当に、一度もなかった。この役割をアウレリアが担うことで、多くの国民が救われることを知っていたから。

 『女神の愛し子』は、その過酷さから早逝することが多いと、アウレリア自身も知っている。それでも、辞めたいとは思わなかった。


 騎士は「仕事に、誇りを持っているんだね」と言って、小さく笑ってくれた。




「それに、ここに来たのは体調が悪いからではないんです。先程も少し話しましたが、その、……私は醜いでしょう? なので、とある招待客のご令嬢に、冷たい言葉を投げられてしまいまして」




 「ああいう言葉は、不思議と耳に入るものですね」と、アウレリアは冗談を言うように笑った。


 と、ふと思う。このような話題を振られても、返答に困るだろうと。考えが足りなかったと、「いえ、別に自分でも思っていることを言われただけなので、それほど……」と慌てて口にするけれど。


 「何それ」と、聞こえた声は、ここで言葉を交わした中で聞いたどの彼の声よりも、低く、冷たかった。まるで、憤っているとでも言うように。




「君が仕事を頑張ったために、そんなに疲れた顔をしているのに、悪く言うヤツがいたの?」




 先程までの気安い雰囲気とは違う、冷えた空気。


 明らかな怒気を感じて、アウレリアは驚きつつも、困ったように笑って見せた。そこまで親身になってくれるとは思わなかったから。




「私が何をして疲れているのか、どんな仕事をしているのか。知っている方は知っているかもしれませんが、知ろうとしない限りは耳に入りませんから。仕方のないことです。口にした令嬢も、まさか聞こえているとは思っていないでしょうし」




 「思わず呟いた、という感じでしたし」と、軽く両手を振りながら説明する。だからお互いにどうしようもないことなのだと、そう伝わるように。


 騎士はそれでもなぜか不服そうに、「君がそう言うなら、良いけど」と、少しも良いとは思っていなさそうな口調で呟いていた。

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