フィスタ再び
「……あら?」
館内放送はフィスタとマステマのいる研究室にも響いていた。
マステマはちょうど、設備の上に入り込んだ銃を取ろうと手を伸ばしている最中だった。
『おいフィスタ聞こえるか!? こっちは、俺ととっつぁんは敵を倒したぞ! じいさんとマァトもきっと敵を抑えてる! だから背中は心配すんな! お前は……マステマの野郎をぶっ飛ばして爆発を止めるんだ! スコアをひっくり返してやれ!』
「あらあら、こっちの状況が分かってないのね。貴方たちの仲間はもう無残な肉の塊、電気羊ならぬ、ただの羊肉なってしまったというのに……。」
マステマは悠々とモップをロッカーから持ってくると、設備の下にある銃を引っかけて取り出そうとする。もう彼女にとって勝負は決まったようなものだった。
一方で、フィスタの肉体は機能を停止していたが、頭部の中にあるAIはまだ作動を続けていた。フィスタは肉体が起きないという、ある意味二度と醒めない夢の中にいた。
以前は夢の世界が崩壊しかけていたが、今ではフィスタの体も石膏像のように白く染まり、体さえも朽ち始めていた。打つ手がないことを理解していたフィスタにとっては、既に自分の肉体の機能が停止した今、後は脳のコンピューターも止まるだけだった。それはあきらめというより、導き出された結論だった。
「……どうしてあきらめちゃうの?」
そんなフィスタの前には娘が立っていた。いつもは夢の中では鮮明な娘だったが、今はフィスタと同じように朽ちようとしている。
「仕方ないよ、体が動かないんだから……。」フィスタは力なくつぶやいた。
「動かないんじゃなくて動こうとしてないんじゃないの?」
「……AIの作った幻のくせに精神論?」
「そうだよ? だって、最後に物事を動かすのはいつだって根性なんだから。根性が奇跡を呼ぶんだよ?」
「あら可愛い、こんな状況じゃあなかったら、よしよししてあげても良かったんだけどね」
「……ひねてるのはママらしくないよ」
「だってさ……勢いでここまでのこのこやってきたのはいいけれど……結局あたしには何もないんだよね……。あんたの言うような根性出せるモチベーションなんてさ……。負けたらそれで終わりっていう思考にしかならないよ……。」
「ママには何もないわけじゃないよ、わたしがいる。ママの娘のわたしが」
「だから、あたしはあんたのママじゃあないっての……。」
「じゃあ、誰がわたしのママなの?」
「誰って……だってあんたは……。」
フィスタは娘の目に涙を見て息をのんだ。
「わたしはまだ産まれてもないんだよ……?」
娘がうつむくと、涙が床にこぼれて消えた。
フィスタは震えながら娘を抱き寄せる。
「ごめん……あんたにはあたししかいないんだもんね……。」
「おいフィスタ聞こえるか!?」
突然、フィスタと娘の周囲以外はまったくの無音だった空間に叫び声が響いた。空気さえも振るえているようだった。
「……チャカ?」
フィスタは周囲を見渡す。しかしチャカの姿はなく、果てしなく真っ白な空間が広がっているだけだた。
「こっちは、俺ととっつぁんは敵を倒したぞ! じいさんとマァトもきっと敵を抑えてる! だから背中は心配すんな! お前は……マステマの野郎をぶっ飛ばして爆発を止めるんだ! スコアをひっくり返してやれ!」
娘も周囲を見渡していた。そしてフィスタに微笑む。
「わたしにはママしかいない。でも、ママは違うんだよ。ママを待ってる人たちが、わたし以外にもママを必要としてる人たちが外にはいるんだよ……。ママが関わった人たちが……。」
「あたしが関わった人たち……。」
フィスタと娘しかいない白い空間だったが、誰かがそばでささやいた。それはメンデルの声だった。
──私というものは私が自分を認識する事だけを言うものではないと私は思っています。私を私だと思う人々に囲まれること、そうやって私は私になるんじゃないでしょうか。フィスタ氏が誰かと関わって何かが起こること、そのすべてをひっくるめてフィスタ氏がこの世界に存在するということになるんじゃないでしょうか
「メンデル……さん」
フィスタはゆっくりと立ち上がった、ボロボロの石膏像のような体で立ち上がると所々が崩壊したが、それでも歩きはじめた。フィスタの視線の先には白い空間が広がっているだけだった。しかし、フィスタにはその先には誰かが待っているのだという確信があった。
──俺にとってお前との三年間には価値があった。今お前に確かなものがないなら、俺にとっての三年間は確かだと思ってくれればいいだろ
フィスタは頷く。朽ちかけていたフィスタの体が、元のくっきりとした輪郭を取り戻し始めていた。
さらに歩いていると、テセウスの声が聞こえてきた。
──フィスタ、おめぇの娘との記憶が嘘でもよぉ、気ぃ落とすこたぁねんだよ。俺みてぇに嘘の人生で生きていくってのも一つのやり方なんだからなぁ……。おめぇはいっぱしの女だ、こんな空っぽのジジイが言うんだ間違いねぇ。
フィスタが苦笑する。
フィスタの体が、真っ白な石膏像のような色合いから元の色鮮やかな体に戻りつつあった。
──来月の二十日はお前と俺が会った日だ。だから、あれだ、その日は盛大にお前の誕生パーティーやるぞ
「そうだね、約束したもんね……。」
フィスタの体が完全に表の姿と同じになった。もはや崩壊しそうな危うさはない。いつもの自信に満ちた、躍動感のあるフィスタの姿だった。
後ろから娘の声が聞こえた。
「……行くの?」
「うん」
「ねぇママ、わたしたちの願い、覚えてる?」
フィスタが振り返ると、そこには娘とルシア・ライカがいた。
「……うん。あたしたちにとって、一つだけ確かなことがあるってことでしょ」
「そう、わたしたちにとって一つだけ確かなこと、それはわたしたちが繋がってるっていうこと」
「分かってる」
娘とルシア・ライカの声が重なった。
妹たちを救って
フィスタは親指を立てた。
「お姉ちゃんにまっかせなさい!」
そしてフィスタは虚空を押した。虚空であったが、そこは扉となって開き、フィスタはそこから外へ出て行った。
「かぁっはぁッ!」
フィスタは息を吹き返した。体を大きく反らせ、失った分の呼吸をするかのような激しい呼吸をする。
「これはこれは……想像を超えてくるわね」
銃を取ろうと機材の下にモップを突っ込んでいたので、マステマは四つん這いになっているところだった。そして取ろうとしている銃はモップで余計に押し出されて奥に行ってしまっていた。
「はぁ! はぁ! ……はぁ!」
「ふふ、けれど、そんなボロボロの状態で戦えるのかしら?」
「戦ってあんたを倒さなきゃあ……爆発を止められないでしょ!」
フィスタはマステマに向かって行く。今できるパフォーマンスは30%程度、しかし逃げるための体力などは考えない。自分のバックには仲間たちがいるはずだった。
マステマは余裕の笑みを浮かべていたが、内心不安に思いながら腕のリングを見ていた。すでに薬物の効果は切れていた。また筋肉増強剤を投与しなければならないが、短期間で薬物の再投与した場合の人体への影響はまだ検証中の段階だった。
しかし、マステマのプロンプトは憎悪だった。安全策を取るよりも、目の前の敵を打ちのめすことに思考が動いた。
マステマは再びリングを作動させ、筋肉を肥大させた。
「ふぅううううう! ふぅうううううう!」
マステマの鼓動が速くなり、体にはミミズのような血管が走り、呼吸も熱く荒くなっていた。
フィスタはピーカブースタイルで構え、左右に上体を振りながら距離を詰める。
しかし、先ほどのキレがフィスタにはなかった。フィスタは体を動かし続けていたが、マステマの連続のヨプチャギ※が顔面にことごとくヒットしてしまう。
(ヨプチャギ:テコンドーの技法。体を横に向け、膝を上げた状態から連続して打つ、素早くコンパクトな蹴り。)
「が! ……う!」
フィスタの頭がマステマの踵で弾かれてバウンドし、顔がみるみる腫れていく。両目の上下が青く膨らみ、もはや何も見えていないのではというほどだった。
「あらあら、どうしたの? せっかく起き上がったというのに、これじゃあもう一度潰されに来たようなものじゃない……。」
「あ……う……。」
フィスタはよろめきながらもマステマに近づく。
「ほらほら、サンドバックよ?」
マステマは次は左のジャブでフィスタの顔面を突いて弄ぶ。
フィスタは反撃しようとするが、視界が潰され体力もないフィスタのパンチは、マステマの手のひらで簡単にはたき落とされてしまう。
勝利を確信しているマステマは両腕を後ろで組み、「殴ってみろ」と言わんばかりにフィスタに顔を突き出した。
「この!」
フィスタが殴ろうとするが、マステマのカウンターの右ストレートが顔面に入った。フィスタは鼻血を飛び散らせながら白目をむき、その場に膝から崩れ落ちた。
「ざ~んねんっ」
マステマは愉し気に崩れ落ちるフィスタを見下す。
「がぁ!」
しかし、倒れる寸前、フィスタは執念でマステマの右腕にしがみついた。
「ちょ……何してるの……往生際が悪いわね!」
「ふぅ……ふぅ……。」
マステマが右腕を振るが、フィスタは両腕でしがみついて離れようとしない。戦う意思などなく、ただ意地で抵抗しているようにしか見えなかった。ずるずるとフィスタの体が引きずられる。
「何してるの……よ!」
マステマが腕を思い切り引っ張ろうとした瞬間、フィスタはその手を放した。
「ちょっ?」
手を引っ張った勢いでマステマの体が大きくよろめいた。たたらを踏み、設備に腰を掛けるように倒れこむ。
「まったく、ふざけるのもいい加減にしなさ……。」
マステマは異変に気付いた。体のバランスを崩した自分の左脚に、フィスタが絡みついていたのだ。
顔を腫らしたフィスタが歯を見せる。笑っているようだ。
「だから言ったじゃ~ん、経験の差だって~」
そしてフィスタはヒール・ホールド※でマステマの左ひざの靭帯をねじ切った。束ねた繊維が引きちぎれるような歪な音がマステマの体内で響いた。
(ヒール・ホールド:柔術、レスリングの技法。関節技。相手の左脚にかける場合は、相手がやや足を曲げている時に両足を相手の太ももに絡めて固定して、相手の足首から先を左腕の脇ではさみ外側に曲げ、右手でも足先を抑えて両腕で足先を包み込むように固定する。そして体を捻って相手の足を外向きに回して膝の靭帯を破壊する。)
「あ、あがあああああああああ!」
マステマは左ひざを抑えながら崩れ落ちた。
「う……く……よ、よくも、こんな……!」
設備に手をかけて何とか立ち上がろうとするマステマだったが、左脚が完全に破壊されていて思うようにいかない。
「形勢逆転だね~」
フィスタは立ち上がり、手の指の関節をぽきぽきと鳴らす。
「おのれ~~~! げふっごふっ!?」
人間の体を手に入れたばかりのマステマだった、声量のコントロールをミスして声を枯らしていた。
「さてと……今度はあんたがサンドバックなる番だよ。あたしが爆発止めるまで大人しく寝てな!」
すると、突然施設内の灯りが赤くなり、けたたましい警報音が施設内に鳴り響いた。
「……なに?」
「く……くく……。」マステマがかすれた声で笑い始める。
「……え? うそ、もしかして……。」
「ば~か! なに勝ち誇ってもたもたしちゃってるのぉ!? 時間切れ! もう爆破が始まっちゃうのよ~! ば~かば~かッ!」
マステマは残された体力で必死にフィスタをののしる。
「……そんな」
フィスタは絶望して両膝をつく。
「ふ、ふふふ……私の勝利ね! そして、ここから私のポスト・ホモサピエンス計画が始まるのよッ!」
勝利を確信したマステマは足を引きずりながらも天を仰ぎ、陶酔したような表情を浮かべる。
「ようこそ、私の世界へ……。」
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