電気羊は子狐たちと30万年の明日を生きるか
鳥海勇嗣
プライベーター
分断戦争
きっかけは2022年に起こったロシアの第一次ウクライナ侵攻だったというのが現在の統一された見解である。連鎖するように起こった「紛争」は、次第に国々が傾くほどに大きくなり、やがて流通の分断、通信の分断、そして文化の、文明の分断を引き起こしたため、後世ではその一連の紛争をひとくくりに「分断戦争」と呼ぶようになった。そして戦争が終わっても、人類は分断されたまま各々の社会の時計は進み、分断された世界は交わることなく別世界となっていった。
分断により国家の枠組みも変化したが、戦後の都市が大きく二つの傾向に分かれることは共通していた。統一性を目指し秩序を重んじる代わりに自由を失ったロウズと、多様性を目指し自由を重んじる代わりに秩序を失ったケイオスだった。
──21XX年
セントラルディストリクト“シェンシャー”
都市タイプ─ケイオス─
周囲の荒野の暗闇ため、その都市はまるで夜の海の上に浮かんでいる孤島のようだった。死人の肌のような白い光と、鮮血のような鉄の臭いに包まれ、周囲は長い年月を掛けて積み重ねられた猥雑な壁に囲まれている。
そんな都市のゲートの前に一人の少女・エルが立っていた。ゲートの脇には、来訪者の顔を認識するためのモニターが付いている。
モニターが突然光った。エルの体がピクリと動く。
『IDをお持ちですか? お持ちではない場合は“はい”とお持ちではない場合は“いいえ”を、また“いいえ”の場合は別の認証を──』
辛うじて聞き取れるくらいに雑音交じりの案内が終わるのを待たされて、最後にエルは指紋認証と虹彩認証をセンサーで行った。この街の者ではなかったが、彼女の判定は犯罪履歴がなかったので簡単に街に入ることができた。ケイオスは犯罪履歴さえなければ、入ってくる人間を選ぶことはしない。唯一求めるものは自己責任のみである。
ゲートをくぐったエルは多くの人の気配する場所へ向かった。そこは市場のようだった。
露店の並ぶ商店街に足を運ぶと少女は顔をしかめた。店頭に並べられているのは、果物や動物の干物などではなく、ホルマリン漬けになった人間の臓器といった、体の一部だったからだ。
「じろじろ見てんじゃないよ、嬢ちゃん」
フードを被った店主の老人が少女を見る。老人の両目にはカメラのレンズのような機械が埋められていた。
レンズが動き小さなモーター音がする。少女を凝視しているようだった。
エルは身をすくめると無言でその場を去った。
店主だけではなく、この街にいる人間は体の一部が機械化していた。手先、顔の半分、足、寒くもないのに厚手のコートで体を覆っている者も、体の一部を隠すためだろう。エルは人間の中にいる気がしなかった。淡々と稼働するプレス機の中にいるようだった。
エルはなるべく生身の多い人間を見つけては声をかけ、持っていた地図の場所を訊ねる。彼女はよそ者丸出しだった。しかも無防備であることもすぐに分かる。そんな彼女が目をつけられないわけがなく、彼女の後を黒い影がつけていた。
「ちょっと、あなた」
声をかけられたエルがふり向くと、そこには中肉中背の男が立っていた。少し癖のある長髪だったが、顔は若かった。三十代前半の東アジア系で、長く白いコートに身を包んでいるが、見た限りは機械化をされていないようだった。
「……なんです?」
「あなたが、プライベーターを探してるって聞いたんですけど?」
害意のない顔で男は言った。
少女が目を見開く。
「知ってるんですか?」
「ええ、ぼく、彼らのたむろっている場所を知ってるんですよ。案内しましょうか?」
「お、お願いしますっ」
「こっちですよ」
と、目を細めて男は言った。
男は建物の陰の路地に入っていき、エルは後に続く。ようやく見た生身の人間、しかも好青年だったので、エルは警戒心を解いていた。
「……あの」
エルは暗闇を先導する男に訊ねる。
「なんだい?」
ふり向かずに男は言う。
「その……プライベーターってなんですか?」
「あなた、そんなことも知らないで彼らを探してたんですか?」
男は驚いてふり向いた。浮かんでいる笑顔には少し嘲笑の気があった。
「……はい」
「あははっ、いいですよ、教えてあげます。こういったケイオスの治安ってのは、街軍と自警団が維持してるんですよ。けど街軍は大きな犯罪組織相手の時とか、事態が本気でまずくなった時にしか動かないし、自警団は規模が小さい上に有志の人たちがやってるから、捜査はできない。そんな時にプライベーターがお仕事することになるんですけど、ん~何て言うんだろ……いってみれば彼らは行政の後ろ盾のある強盗団って感じですかね」
「え?」
「強盗が強盗に遭っても被害を出せないじゃないですか、そこを利用してるんですよ。面白いですよね、大きな力がない場所だから、ならず者はならず者を使って取り締まるしかないんですよ、悪い人たちの悪事に目をつむるから「取り締まってください」って。けど、犯罪者から巻き上げた金品と行政からの報酬じゃあ割に合わないじゃないから、プラスアルファ、あなたみたいな依頼人から依頼料を受けるってわけなんです」
「でも、それって普通の強盗とどう区別するんですか……?」
「彼らは厳しい法律で管理されてるんです。一般人に手を出せば、軽犯罪でも厳罰になるんですよ。過失傷害レベルなんかだと、死刑にはならなくっても、まぁライセンスは剥奪ですよね」
男の説明に驚きを隠せないするエル、倫理観の違いは見た目だけではなかった。
「……ところで、あなたは彼らに払えるくらいの報酬を持ってるんですか? いま言ったように、彼らってお金にシビアだから、払えるものを持っていないと、お話も聞いてもらえませんよ?」
「はい大丈夫です、一応それなりの支払いは……。」
「へ~……。」
男は立ち止まった。
「……この先ですよ」
男が視線の先には、右に曲がる角があった。
「あ、ありがとうございます」
エルは男の前を通り過ぎる。そして角を曲がると、そこはすぐに行き止まりになっていた。
「え?」
──ちょろ過ぎるでしょ、あなた
男はエルの背後に立ち少女の口を塞ぐ。男の白衣がはだけると、その背中から長い義手が2本伸びていた。職種は脊椎に直に移植されている。
「むぐぅ!?」
エルの体に義手の先端が近づく。その先端にはレンズがついていた。レンズは生き物のように少女の体を観察する。
「へ~、やっぱりナチュラルなんですね~」
義手にはセンサーがついていた。
「ん、んんんっ!?」
「心もそうだけど、体も手付かずなんですね。よほど運が良くない限り、ナチュラルってのはないんですけど、もしかしてあなたって、ロウズから来たんですか?」
男はエルを宙へ放り投げると、男は改めて背中から伸びる太い義手で、空中できりもみしているエルを器用にキャッチした。
捕えられたエルは正面の男に訊ねる。
「な、なにをするつもり?」
「そりゃもちろん売りますよ。健康な肉体を欲しがる人間はこの街に大勢いますからね。君の体は髪の毛の一本、五臓六腑の隅々まで使えますから。これだけ健康なら、移植もできるし実験もできます」
「……そんな」
男は悪意のない顔で笑う。
「頭悪いですよね、あなた。あんなところであなたみたいな娘がうろつくなんて、早い者勝ちで自分を奪ってくださいって言ってるようなもんですよ。頭が悪い人っていうのは、武器を持つとか体を改造して身を守るしかないんですけど、あなたはそれをやっていないわけですよね。だったらこの街で利用されるのは当たり前の結果なんじゃないかなっておいらは思いま~す」
「や、優しい人だと思ったのに……。」
男は愉快そうに肩を揺らす。
「そんなわけないでしょ~。自分がそう思ってるから相手もそう思ってるって信じるなんてのは、究極のバカがやることですよ」
「う……く……。」
「じゃ、おいら達がここに入ってるのを見られてたら面倒だし、生きてたら運びづらいんで、いったんその体バラバラにさせてもらいまー……ごっ!?」
男は股間をすぼめてうずくまり、伸びていた義手も怯んでエルを解放した。
「目立つターゲット選んでるあんたも、そうとう頭悪いけどね」
「おぅ……く……。」
悶絶してうずくまる男の背後には人影があった。
頭部にはフルフェイスのプロテクターが装着されているが、体のラインから女だというのが分かった。しかし鋭い体つきだった。エメラルドグリーンのボディースーツが、引き締まった筋肉でまるで甲虫のように輝いていた。背丈は高い方ではなかったが、まっすぐな立ち姿で、その体を実際よりも大きく見せていた。飛翔中のアシナガバチのような、小さいながらも危険さを直感させる佇まいだった。
「悪いね、大切な生身の部分を潰しちまった。でもまぁ、片方はスペアだって言うしさ」
女は首を傾ける。プロテクターから漏れる声は嗤っていた。
「うごぉ……お……。」
股間を抑えて男は女を睨む。
「あんたの選択肢はふたつ。大人しくして酷い目に遭うか、抵抗して酷い目に遭うかだ」
女は右手でちょいちょいと手招きをした。
男は両手を前に出して、取りつくろった笑いを浮かべて言う。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、何で突然こんなことするんです? こんなことしてもお互いにメリットなくないですか? ぼくはもうここをやられて動けませんから、これ以上はやりたくないですよ。あなただって、無駄に戦いたくないでしょ? ぼくはここで帰りますから、これで終わりにしましょう。その子はあなたに差し上げます、それでウィンウィンにしましょうよ」
「そうはいかない、あたしの獲物はあんたなんだからね」
「……まさか」
男の顔から笑みが消えた。
「察した? ご紹介いただいたプライベーターだよ、これよりあんたを現行犯で始末する。あたしの生活費になってちょうだいな」
女は両の拳を握って構える。一見するとボクシングのオーソドックススタイルのようだった。
男は動かなかったが女を警戒していた。
女が前に出している右手を少し下げた。
男の眼の光、口から発する呼吸、顔の皮膚が微動した。
その刹那、コンクリートが弾けるような甲高い音が響いた。
「あ、う、うぎゃぁあああ!」
そしてエルがその音を聞いた次の瞬間には、片目を抑えて転げまわる男の姿があった。抑えている手の間からは血が流れている。
女は一瞬で男の左目へ二本貫手※を打ち、眼球をえぐり取っていた。
(二本貫手:空手の技法。まっすぐに伸ばした人差し指と中指で、相手の目玉や喉といった急所を突く。)
「目ん玉も生身だったみたいだね。で、これであんたは玉ふたつ失ったってわけだ。考えて動きなよ、次は最後のタマぁを失うぜ」
女は目玉を放り投げた。少女はその光景から顔を背ける。
「う、ぐ……ちきしょう!」
男は体から突き出る義手を四肢のように使い立ち上がり体勢を立て直そうとする。
すると、女が男の右側に回り込んだ。予備動作もなく、まるで瞬間移動のように。
回り込まれた男は、時間が止まったようにぴたりと動かなくなった。そしてがくりと膝をついて倒れた。
「……え?」
不可思議な光景にエルが困惑する。
女が行ったのは、右のストレートリード※で喉への、左のボディブローで脇腹への、そして男の右側へ回り込みながらの右ストレートでの延髄への攻撃だった。
(ストレートリード:ジークンドーの技法。半身に構え、前に出した拳を縦にして飛び込むように体重を乗せて打つ。初速とリーチに優れる。)
女は三つの攻撃を加えていたが、エルに見えていたのは女が細かくステップを踏んで、男の背後に回ったところだけだった。
「あ……く……」
男の背中から出ているワイヤー状の義手がうねうねと動いていた。弱った男は右手一本で立ち上がろうとする。
「な、なにが……ん?」
女は立ち上がろうとしている男の横に立ち、そして内回りで足をふり上げた。上げられた女の足の先は、頭の上どころか肩よりも後ろにあった。
そして女は足を振り下ろし、踵を男の後頭部に叩き落とした。男の頭部がコンクリートと女の踵に挟まれ、鈍い音を立ててバウンドする。
男は完全に動かなくなった。
「……さぁてと」
女は動かなくなった男の両腕を後ろに回すと、手錠を取り出して両手にはめた。
「あ、あの……。」
エルは言った。
「ん? なにさ?」
「た、助けてくれて……ありがとうございました」
「助ける? か~ん違いしないでよ。こいつがカモだったから跡をつけただけだよ」
「カモ?」
「そ、カモを追いかけるカモ。獲物狙ってる動物は、当の自分が一番無防備だからね。馬鹿な奴だよ」
エルは「わたしもカモなんだ……」とかすかな声でつぶやいた。
一方の女はてきぱきと男を拘束していく。
「その人、死んだんですか?」
「いんや、見た目は優男だけど、けっこう丈夫な奴だよ。見えてるところ以外は機械みたいだ。脳は生きてるし、生きているなら裁ける」
「裁く?」
女が親指を立てる。上空にはドローンがあった。
「信号を送ったんで、このままほっとけば街軍の奴らが捕まえに来てくれる。あいつがあんたを襲ったところと、あたしにのされたところの映像もあのドローンちゃんが撮ってるから、それが証拠になるんだよ」
「それってもしかして……。」
エルは「わたしが襲われるまで待ってたの?」と言いそうになった。
女はそんな少女の表情から胸中を察したようだ。
「仕方ないでしょ、こちとら仕事なんだよ。それであんたも助かったんだからウィンウィンじゃないのさ。……さて、あんたを泳がせてれば、こいつみたいな馬鹿がまた釣れるかもしれないけど、あたしはもう店じまい。こっから先は大人の世界だよ、色んな意味でね。大人しくお家に帰んなお嬢ちゃん」
「帰るところが……ないんです」
「同情を引こうったって無駄だよ」
「お願いします」
エルは両手を合わせて女に頭を下げる。
女はしばらく少女を見るとフルフェイスのプロテクターを脱いだ。
現れたのは、二十代後半の女の顔だった。顔の左の四分の一を覆う赤紫色の痣のせいもあって人種系統は不明だったが、鋭い体つきと先ほどの戦い方とは似つかない、愛嬌のある顔立ちだった。セミロングの髪色はプラチナをベースにターコイズブルーやスカイブルーが混じっていて彩りがにぎやかで、そんな容姿の軽さからも、女の先ほどの立ち回りが嘘のように思えてくる。
意外なマスクの下の顔立ちに、エルはしばらく沈黙する。
しかしそれは女も同じだった。顔立ちから険しさがみるみる引いていく。
「……プライベーターを探してるんだって?」
「え?」
「ついてきなよ」
女は歩き出した。
エルは、女を優しい人なのかと思い始めていたが、さっき男に言われたことを思い出して首をふった。自分が相手を疑わないからと、相手も応えてくれるとは限らない。いましがた高い授業料を支払わされそうになったところだった。
「あんた、プライベーターに仕事を依頼するってんなら、相応のもんは持ってんでしょうね?」
「相応のものって?」
「金だよか~ね~」女はふり向くなり、エルの目の前で指をパチパチ鳴らした。「現行犯じゃないなら依頼がないと動かないようちらは」
「あ、あては……あります……。」
「ふぅん……。まぁ、持たない奴は持たない奴なりのものカードを切らされるからね。この街じゃあ、さっきの男が言ったように体なんて爪の先から髪の毛に至るまで換金できるんだ」
「……じゃあ、この街の人が所々機械なのは、そうやって体をお金に換えたからですか?」
「人によっていろいろ。歯、毛根、網膜、んで臓器……働き口がないけどとにかく今すぐ金が要るって奴らは体の一部を売って、それで体が動かなくなってろくに働けなくなって、また体の別のところを売るんだよ。でもね、それだけじゃあないのさ。土地が汚染された場所で生まれた奴は、生まれつきどこかが欠けてたり機能しなかったりする。五体満足だったとしても、こんな場所だとちょっとした怪我でも取り返しのつかないことになったりもするしね。だから、あんまり人の体のことは突っ込まないんだよ。それがこの街の唯一のマナー」
女は親指を後ろに向ける。
「で、さっきの男みたいに体の一部をサイバネティクス手術で強化してる奴もいるからね。ああいうのを可愛らしくパッチワーカー何て呼んでるけど、手術で可愛げどころか人間性まで捨てちまってる奴らもいる。だから触らぬ神にたたりなし、人の体のことには触れないってことなんだよ」
エルはずいぶんと親切に教えてくれるんだなと感心して女を見ていた。
そんなエルを見て女はバツが悪くなったように話を切り替える。
「ところで名乗ってなかったね。あたしの名前はフィスタ、アクトレスの名前で通ってる。フレッシュってのもあるけど、それを使う奴はだいたい敵だ」
「で、あんたは?」
「あ、え……エルですっ」
「へ~、良い名前だね」
フィスタは微笑んだ。この街に相応しくないような、暖かくまっすぐな笑顔だった。しかしこの人物は今しがた、男と一人を半殺しの目に遭わせたばかりだった。
少女が案内された場所は薄汚れた建物で、外からは廃ビルにも見えた。建物の中は塗装は剥がれ、天井は穴が開いて電気のケーブルが見えていた。フロアに並んでいる長椅子は、破けてスプリングがむき出しになっている。フロアにはプライベーターなのか浮浪者なのか判断しづらい人間がちらほらいた。
「ホームレスの避難所と変わりないだろ。似たようなもんさ。よぉ、テセウスのじいさん、寝てるの死んでるの?」
フィスタは長椅子に座っている老人・テセウスに訊ねる。総白髪で顔はほっそりとした70代の老人で、顎にはごま塩のような無精ひげが伸びている。見まごうことない高齢の老人だが、目にはラップ型で幅広のサングラスを掛けており、どこか老体とアンバランスさを感じさせるものがあった。
「あうあうあ~」
テセウスはあいまいに答えた。
「ちょっと大丈夫?」
フィスタがテセウスを抱きかかえる。
「あ~え~わ~、さすがのフレッシュじゃのう、若返るわ~」
テセウスはフィスタの体に抱きつくと尻に手を回した。
フィスタは一本拳※で老人の眉間をこつんと叩く。
(一本拳:空手などの技法。拳を作る際に、人差し指の第二関節が突き出るように握り、突き出た人差し指の第二関節で相手の急所を叩く)
「ぎゃぁ!」
テセウスは眉間を掌で覆いつつうずくまる。
「じじい、寿命を待たずに死にてぇか」
フィスタは「ろくでなしばかりだろ?」と言うと、エルを連れて
受け付けを案内した。受付にはロボットの係員がいた。
「マァト、おつかれさん」
丸い頭とモノアイ、足は車輪という旧式のタイプの受付のロボットは、
『ええ、本当に疲れることばかりだワ……。』
と、機械音声で答える。機械音声だというのに、その声は物憂げだった。
「いったいどうしたのさ?」
『この職場、おとこばかりでショ? 礼節をわきまえてないのばかりで、いつも失礼な態度をわたしにとってくるのヨ。女を給仕みたいなものとしか考えてないんだワ……。それにね、たまに、わたしをむさぼるようないやらしい目つきでみてくるの……まるで獣ヨ』
「おっとぉ、セクハラですかぁ?」
受付のロボット、マァトは小さく首を振って『まったク』と言った。
「マァト、こういう時は声を上げないと。“私たちは黙らない”その強い意志が必要なんだから。最初は小さな声でも、きっとそれは群衆のシュプレヒコールになっていくんだよ」
『そうね……そのとおりだワ』
「初心ぶってちゃあダメ、そんな態度はクソ男を調子に乗らせるだけなんだから」
『なんだか勇気がわいてきたわ、フィスタ』
「そうよ、見せてやりなさい、あなたは“鉄の女”なんだって」
『見た目でひとにあだなをつけるのはよくないと思うワ』
「あら、ごめんなさい。素直に謝るよ、あたしの今生のテーマは“誠実さ”だからね。……ところで現行犯をとっ捕まえたんだけど、データ行ってる?」
マァトは認証機のパネルを差し出した。フィスタはそれに手をあてる。
『探してくるわ……まってテ……。』
マァトは受付の奥にあるパソコンに向かい、端末に自身の指をさした。
「……フィスタさん」
「ん? どしたの?」
「あのロボットさん、もしかして6D協定とか……。」
「この街の売りは、そういうのは曖昧にするところさ。いったろ、人のことにつべこべ言わないって」
「よぉ、フィスタ。なんだその娘、とうとう見つかったのか?」
「ん?」
フィスタが振り向く。彼女に声をかけたのは、長椅子に座って新聞を読んでいるアフリカ系の男だった。黒いジャケットに黒いズボン、ブーツも黒かった。全身黒づくめだったが、男の頭部だけは白いヘルメットで目まで覆われていた。
「おや、チャカじゃん、元気ぃ? あいにく、娘じゃあないよ。この子を襲った男を現行犯で捕まえたのさ」
「お前……また悪い癖が出やがったな。ひとりでやりやがって」
チャカは小さく首をふる。
「心配しなさんなって~、見るからに弱そうな奴だったし、じっさい弱い奴だったんだって」
フィスタは手を振りながら明るい声で言う。
『今回あなたが捕獲したのは、連続殺傷の容疑がかかっていた、ピエトロ・マサカーよ、ごくろうだったわネ……。』
マァトは物憂げに話す。
そのアナウンスを聞いて、チャカが口を歪めた。
「……ラッキー。まぁ、でもこの子は依頼者でもあるんだよ、でしょ?」
「父が失踪したので捜査依頼を……。マイルズっていうブローカーにさらわれたんです。たぶん体を……。」
「マイルズか……違法な人体売買をやってる野郎だ。まぁ悪人には違いないが、ちょっとやそっとの金額で受けるにはコスパが悪いな」
「あてはあるんでしょ?」
「は、はい、父が残したお金です……。」
エルはポーチから大量の貨幣を取り出した。
「……あちゃ~」
それを見てフィスタは顔を手で押さえ、チャカは新聞で顔を隠した。
「え? なにか?」
「通貨が違う、それはここじゃあ使えないよ」
「え、そんな……だって、お父さんがマイルズって人の所で働く前金だって……。」
「あんたたち、他所から来たんだね。可哀想に、そいつに騙されたんだよ。ここじゃあ使えない通貨を渡されてる」
「しかもそれだと両替してもかなり安いな」チャカは言った。
「ああ、あの……だったら……。」
「なんだい?」
「だったら、わたしを売ります! さっきの人が言ってました、わたしなら高く売れるんですよねっ?」
「めったな事を言うもんじゃないよ。一旦そういうことをやり出したら際限がなくなるんだ。あのじいさんを見てみな、酒代ほしさに網膜まで売っちまったんだよ」
フィスタはさっき体をまさぐってきたテセウスを指さした。
「余計なもんが見えなくなっててハッピーさ~」
と、テセウスは酒の瓶を掲げる。
「……ああはなりたくないだろ? 申し訳ないけど、あんたの親父さんも軽率だよ。そんなやり方で金を作ろうなんざね」
「それは……わたしのためだったんです」
「おい、ちょっと待て嬢ちゃん、そいつの前で身の上話はやめろ」
チャカが割って入る。
「ケチな男だね、身の上話くらいさせてやりなよ。続けて、エルちゃん」
「父は、わたしがまだ子供だから、お金さえ用意すればロウズの都市に入れるって……。自分は無理だけどせめて娘のわたしだけはって……悪い人だとは知ってたけれど……」
「まぁ……。」
フィスタは口に手をあてる。
「もうほだされてやがる……。」チャカがぼやく。
「それにしてもロウズかぁ……。だいたいの都市が同調圧力でがっちがち、人に同じロゴをつけて棚に並べてるような、安全と安心しかないようなところだね」
「ここはどうなんです?」
「ここには──」
フィスタが言いかけると、
「お前ら動くんじゃねぇ!」
と、銃を乱射しながら二人の男が乱入してきた。
「……隠れてな」
フィスタはそう言うと、エルを柱の陰に隠した。
銃を構えた男が絶叫する。
「ここがプライベーターの事務所だってのは分かってんだ! だったら金があるってことだろ! 俺たち強盗団から巻き上げた金を返しやがれ!」
「お前さんの目の付け所は悪くはないが、どうにもこうにも頭が悪いようだ」
新聞を読みながらチャカが言う。
「なんだとぅ」
強盗がチャカに銃を向ける。
「目の付け所が良いと言ったのは、確かにここには金があるってことだ。……そして頭が悪いと言ったのは──」
銃声と共にチャカが読んでいる新聞に穴が開いた。
「……あ?」
新聞だけではなかった。銃を向けていた男の眉間にも穴が開いていた。
チャカが読んでいた新聞がはらりと床に落ちる。ソファに座っていたチャカは銃を構えていた。チャカは新聞を手放した一瞬で銃を取り出し、そして強盗の眉間を打ち抜いたのだった。手を離した新聞が宙で形を崩す前に打ち終えるほどの早業だった。
「ここがプライベーターの集会所だってことだ。狩人のど真ん中に獲物が迷い込んでどうしようってんだ? 狩人はしとめる前から取り分の相談を始めるぜ」
「く、くそ」
もう一人の男はテセウスの首に腕をまわし、そのこめかみに銃を突きつけた。
「お、おい、黙って俺の言うことを聞けっ! でないとこのジジイの命日が今日になっちまうぜ!」
「マジで?」
フィスタが口に手を当てる。
「チャカ、葬儀屋に連絡してあげて。全部用意してんのに、じいさんってば死ぬ死ぬ詐欺繰り返してたからさ、これでようやく墓標に命日刻めるのだわ」
「なっ!」
「それに人質にしたいんだったら、もうちょいましなの選びなよぉ」
フィスタは髪をかき上げ、体のラインを手でなぞり腰をくねらせる。
「ここにいるでしょ? 全人類が欲情しちゃうような、とびっきりの美女が。人質にすれば、五秒で億の身代金が集まるよ?」
フィスタは演技臭く驚きながら耳に手を当てる。
「おやおやぁ、メンズたちのズボンがテントを張る音が聞こえるねぇ?」
強盗はさらに強く老人のこめかみに銃を押し付ける。
「くだらねぇおしゃべりに付き合ってる暇はねぇんだ、とっとと金を出せ。そして逃走用の車もだ!」
「わがままな奴だね、次は何を要求する気? 熱々のピザ? 税金の免除? それとも核の廃絶?」
「うるえせぇ! ……ん? 何やってんだジジイ?」
テセウスは右手でピストルの形を作り、人差し指の先端を強盗の下あごに突き付けていた。
「あんさんも、動きなさんな。でねぇとテメェの脳しょうが飛び散って、天井にユーモラスな柄作ることになるぜ」
指のピストルを当てられながら強盗が言う。
「……ジジイ、いかれてんのか?」
「そうだよじいさん」
フィスタがため息交じりに言う。
「それ、セーフティがかかってんじゃん」
「おお、そうじゃった」
テセウスはそう言うと、小指をかちりと動かした。
そして中指を動かすと、老人の指先が爆音と共に火を噴いた。
強盗の頭のてっぺんは血と脳しょうを吹き出し、フロアの天井には老人が言ったように血の跡が広がっていた。
「物騒な人体改造しちゃって、それ火葬の時に爆発しないよね?」フィスタが言った。
チャカは何事もなかったかのように、穴が開いた新聞をまた読み始める。
「じいさん、掃除するも奴の身にもなってやれよ……ちぇっ、特売日の日付に穴が開いてやがんの」
チャカは新聞紙を丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
「……で、さっきの続きだけど」
フィスタはエルに言う。
「ここには安全と安心以外のすべてがある。……まぁ確かに子供には毒だわさね。親御さんの気持ちも分かるかな。そりゃあたしだって──」
「父はわたしのためにすべてを捧げようとしたんです。今度はわたしが父のために自分を使う番です。わたしはまだ父に何もしてあげてない、わたしの全てを差し出します、どうか、どうか父を……。」
「どうしようチャカ、あたしのヒューマニズムが爆ぜそう」
「まったく……こんなドブみたいな世界で情に厚いってぇところはお前の美点だよ。だが、もうちょい主義ってやつを持て。俺の主義はシンプルだ。どんな簡単な仕事だろうと誰の紹介だろうと、ただで仕事はしない」
「ちょっと、空気読んで話を進めてよチャカ、トラブルに巻き込まれた少女をアウトローの主人公が助けてあげるってのは鉄板の走り出しでしょ」
「何の話をしてんだよ?」
「だいたい、世の中は金がすべてじゃないんだよ、チャカ」
「これはけじめだ」
「そっかぁ、う~ん……ま、あたし独りじゃ無理だねっ。お嬢ちゃん、地道に稼いで、依頼料をつくりなよっ」
フィスタはスイッチを切り替えたように明るく言う。
「でも、その間にお父さんは……。」
「人生にはもっと大変なことがいっぱいある。親が死ぬってイベントなんて、遅かれ早かれ必ず起こるんだから、前を向いて歩きな。困ったことがあったら何でも言ってよ。あたしにできる事なら、機嫌が良い限りなんだってやるからさ」
「その切り替えが早さもお前の美点だよ、フィスタ」
「お嬢ちゃん、お腹すいてるでしょ? 外でハンバーガー売ってるから御馳走するよ」
「……。」
フィスタはエルの背中に手を添えて、建物の外に連れて行く。
「あたしのおごり、あんたのおかげで収入があったからね。お嬢ちゃん、運が良いよ。この街じゃあ何も知らないとドブネズミの肉を食わされることだってあるんだ。でも、あたしの行きつけの店ならその心配はない。……ほらあの店さ」
フェスタは屋台を指さす。肉に火が通る香ばしい匂いが漂い、脂が跳ねる軽快な音がしていた。
「あの店では何の肉を?」エルが訊ねる。
「ファンシーラットさ」フィスタが言う。
「ドブネズミのことだろ」
後ろについてきていたチャカが言った。
「何であんたも来てんのさ」
「俺も腹減ったんだよ。大丈夫だよ、嬢ちゃん。ドブネズミでもきれいなところで育てたドブネズミだ。その女と嬢ちゃんくらい違う」
「あたしだってナチュラルだよ」
「俺は育ちが違うって言っただけだぜ?」
チャカは笑った。
「ふんっ」
フィスタとチャカは店頭で並び注文を始める。
「今日は何にしようっかなぁ……。」
フィスタがメニューを眺める。
「おい、とっつぁん、メニューが値上がりしてないか?」チャカが言う。
「流通が厳しいんだ。ドブネズミ食いたくなかったら我慢しな」店主は言った。
「いったい誰が政治をやっとるんだっ」
フィスタはカウンターをささやかに叩いた。
「だいたい、ハンバーガーに挟んでる野菜だって、この間食ったやつビニールみたいな味がしたぞ」
と、チャカが店主に訴える。
「じゃあ緑色のビニールなんだろ。うちじゃあ薄くて緑色なら、そいつは野菜って呼んでいる。本人たちがそう自認してるってんなら、そう扱ってやんのさ。おれは差別主義者じゃねぇ」
「当事者じゃねぇのが人のアイデンティティに口出しすんのが差別主義っていうんだぜ、おっさん」
「部外者じゃねえ、俺が仕込んで客にだしたらもうファミリーさ。耳をすませば、俺には素材たちの歌声が聞こえるんだよ」
「アニメで見た!」
フィスタが嬉しそうに言う。
「ファンタジアかよ」
チャカがぼやく。
「やめときなよチャカ、おっちゃんが正しいよ。見た目とか構成している分子構造とか、そんなので物を判断して良い時代じゃないんだ」
「どんな時代なんだか、まったく……。」
「ねぇ、あんたはどうす──」
注文していたフィスタたちが振り向くと、エルは大きなドローンに捕まれて空の上にいた。エルが悲鳴を上げる。
「「あ」」
エルをつかんだまま飛び去って行くドローン、それを見ているチャカのヘルメットが機械音を立て、所々が目玉のように赤く光った。
「ありゃあ……マイルズんところのドローンだ」
「さっすがぁ。で、どうする? 現行犯だよ、これなら報酬確定だ」
「俺は……口にした主義を一日くらいは貫く主義だ」
「決まりだね」
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