幸福世界と『できそこない』ちゃん

北山の人

第1話 幸福世界と『不幸』な人たち

 「またこんなところで黄昏てんのかっと」

 近くで聞くにはうるさくやかましい声とともに、首元に冷たい物体を押し付けてくる。

 遠くに見える富士山と日没を見届けつつ、今後の日本社会の在り方について脳内国会議事堂で議論していたが、どうやら今日は閉廷のようだ。

「水、いる?」

 奴は俺の横に並んで屋上の脆いフェンスに腕を預ける。

 俺は嫌悪のアピールとして舌打ちをしたが、そんな意図も汲み取らず視界に入り込んでくる。

「な、可愛い子居た?」

「うるせぇな……」

「お、喋った! ところで聞きたいことがあるんだけど巨乳と貧乳どっちが好き? ちなみに俺は尻が好き!」

「……選択肢以外のものを選ぶなよ」

 あっという間に頭がお花畑な会話が繰り広げられ、溜息を大きく吐く。

 だから話したくなかったんだ……、こうなるのが分かっていたから。

「な、お前はどっち派なんだよ!」

「どうでもいい」

「んだよつまんねぇの~」

「お前の話に乗っかるだけ無駄だからな」

「ほ~ん。じゃあどういう話なら良いんだよ?」

「そうだな……。SDGsは本当に世の中のためになるのか、日本経済の発展において今出来ることは何か、とかだな」

「うっわ一番ダルいタイプだよ。てか休憩時間中に話したい話題じゃないわー」

 既に飽きを感じているのか、奴は背伸びと欠伸を同時にする。

 橙色のぼさっとした髪を雑に搔き、眠たげな瞼を擦る姿が夕陽に照らされ輝く。

 そんなだらしない奴の名は牧ヶ原 未来まきがはら みらい

 『自主奉仕センター』に属する同期だ。

「冗談だ。そんなことを考えても俺たちに出来ることは何もない」

「絶対そういうのも考えてる。オレ断言出来る」

 偏見だけで勝手に断言し、自分の推理に満足そうにうんうんと首を縦に激しく振る。

 ……まあ事実ではあるが。

 いちいち行動が煩いのが牧ヶ原の特徴と言っていいだろう。

 そんなことを言っているうちに、また今度は大袈裟に両手を合わせて俺の方に顔を向ける。

「そいやこれ聞いた? 昨日作業中に脱走した人たち、全員捕まったって話」

「ああ、朝聞いた。――ここから逃げ出すなんて無謀だって、しばらく居れば分かる話なのにな」

 今日何度目の溜息だろうか、吐いた息が白くなる。

 ずっと大きな声を上げていた牧ヶ原もその空気に呑まれ、小さくぼやく。

「どうすれば幸せになれんだろう」 

 なれないさ、どうせ。

 俺たちはあの『幸福』に満ち溢れた風景に馴染めないのだから。

「……もう18時だ。仕事行くぞ」

「――居る」

 乱れた精神を統一し、いざ行かんというときに肩を掴まれる。

「んだよ急に」

「可愛い子。ほら、あそこ」

 牧ヶ原が指した方向を見てみると。

 素朴な紺のブレザーとマフラーに身を包めつつも、凛とした顔立ちと透き通るような美しさを持った青髪ロング。

 背筋は糸を張ったようにまっすぐ伸びている。

 まさに品行方正という言葉を体現したような少女だ。

 確かに他の歩行者より一際目立つ存在感を醸し出している。

「めっちゃ可愛いやん! ほらほら、ファンサしてもらおうぜ!」

「一般人にファンサを求めるな。しょうもないこと言ってないで仕事行くぞ」

「クッソオオオォォォ!! 労基に訴えてやるゥゥゥ!!」 

 おもちゃを買ってもらえなかった子供の如く駄々をこねる牧ヶ原の首元を掴みながら、俺たちは屋内へと戻る。


 「これより鉄道整備事業に必要な資材を運搬する。終了予定時刻は明日の午前5時。3分以上の休憩は処罰があるので気を付けるように」

 さっきまで床に横たわっていた老若男女問わず100人近くの労働者一同が、勢いよく立ち上がり整列する。

 全員居ることを確認し、俺は列の先導として歩み始めた。

 その時。

 俺の行く手を拒む人が1名。

「なんだ」

「まだ働くのですか? もう腰が限界です。どうか今日はもう休ませてください」

 老婆が深々と頭を下げてそう言った。

 老婆の皺は数多あり、杖でなんとか姿勢を保っていたり、腰が曲がり切っていたりと、とても肉体労働には向いているとは言えない。

 だが──。

「なら死ぬか」

「……なぜです」

「私たちは一度赦された存在だ。それなのにまだ自分を優先するのか。厚かましいにも程がある」

「それは理解しています。ですが──」

「これ以上業務を妨害するならここで殺す」

 感情を押し殺し、ジャケットの中に忍ばせていたハンドガンを老婆の額に突き付ける。

「すみませんでした……」

 死への恐怖に負け、老婆は横へとはけてそのまま膝から泣き崩れる。

 そうして開けた前方へ再び歩み出す。

「ほんと、指揮官って残酷な奴だよな。休みなんて全く無いし」

「指揮官って私たちが居る休憩室にいっつも居ないよね」

「どうせ俺たちがひもじく過ごしている間に贅沢してるんだろうな。良いよな、上の立場って」

 後方で微かに聞こえた会話に俺は唇を噛む。

 ゆっくりと息を吐き出し、乱れた心を落ち着かせた。


 『私たち全国民が、等しく幸福であれ』

 そんな当時の総理大臣の鶴の一声で始まった政策、一億総幸福平等社会。

 労働が廃止され、働かなくてもよくなる。

 商品やサービスは全て無料。

 子供たちの間の平等を確保するため成績という制度も無くなり、受験も無くなる。

 労働も受験も無くなり自由になった国民は、娯楽を大いに楽しみ、全国民が幸せと言えるようになった時代。

 そんな幸福な政策の『穴埋め』をする、陰の組織。


  自主奉仕センター。


 大小問わず罪を犯した者たちが入れられる、いわばである。


     ***     


 「進捗はどうですか?」

 背筋が思わず伸びてしまう凛とした声が響く。

「今日の鉄道整備事業ですが、運搬作業がスムーズに行われた影響もあり、予定より5日ほど早く終わる見込みとなりました。特に懸念される事項はありません」

「そうですか」

 上司に淡々と進捗を伝える。

 正直ここまで早く終わるのか、と自分も内心驚いていた。

 これは人員が増えたことが理由として説明できるだろう。

 そんなことで空いた5日間の活用の仕方について、帰りの道中で思い立ったことを提案してみる。

「ここ数日の重労働で奉仕員たちも心身共に疲弊しています。この5日間を休養日に充てたいと俺は思ってるんですけど、どうですかね」

「──内務省の方々から伺ったのですが、連日続く記録的な寒波の襲来により水道管の破裂が多数起こり、断水が発生している模様です。また医療用品についても工場の生産がシステム障害により停止し供給が滞っている様子です。その2件について即時対応を執るように、とのことです」

「休みは無いんですかそうですか……」

 これからも重労働に精を出す期間が続きそうだ。

「その2件も大事ですけど、俺からすれば他のセンターの人員不足が気になります。ここは良いとして、北海道・東北地方では人員不足もそうですけど奉仕員の抗議活動も激しさを増しているという社内ニュースも見ましたし」

「よそはよそ、うちはうちです。――言い忘れていました。年末を目安に中高生の奉仕員が新たに加わることになりました。引き続き指揮官として新人教育をお願いします」

「だから人は足りてるんですって—―って、中高生ですか」

「はい。普段の生活態度や思想を加味し、社会に相応しくないと判断された中高生数名です」

「……ん、犯罪者じゃないってことですか、その人たちは」

「そういうことになります。来年より国民幸福推進法が改正されるからでしょう」

「こりゃまた大きく出たもんですね」

 国民幸福推進法。

 国民の幸福の在り方について長々と書かれているので詳細は省くが、要するにかつての治安維持法とやっていることは変わらない。

 思想が政府と違えば逮捕する。

 そして今回の改正で、自主奉仕センターはこれまで犯罪者で構成されていたものが、もはや罪無き一般人まで動員されるようになった。

 人員不足もここまで響くか、と言いたくなるものだ。

 だがこれを他人事として捉えてはならない。

 俺たちはこの現実に声を上げるべきだ。

 思い切って俺は頭を下げる。

「申し訳ないですがセンター長。私たちは犯罪者だからその分奉仕する、というのは百歩譲って理解できます。ただ何の罪もない一般人を巻き込みたくはありません。従って、その人たちの受け入れは出来ません」

「出来ませんというのは不可能です。もうそうなることは事実なのです。いい加減受け入れてください」

「はい……」

 だがそんな作戦は完膚なきに打ちのめされ、下げていた頭がさらにうな垂れる。

 面倒くさい。疲れる。

「まあ、そう言いたくなるつもりも理解できます。実際、その中高生らは—―癖が強いです」

「はぁ……」

 そう言われると余計やる気が失せる。

「特に渋塚しぶつか青髪ブルーヘアは要注意とのことです」

「渋塚の青髪ブルーヘアて……。どういう異名ですか」

 付けられる方も堪ったもんじゃないな、と他人事のように思っていた最中。

「……どうしました?」

「いえ何も。中高生に社会の闇でも叩き込んでやろうかなって思っただけです」

「余計なものまで教えないでくださいね」

「冗談です。――ところで、今日の夕飯の支給品にカップラーメンってあります?」

「あるにはあります」

「じゃ、疲れたんで今日はひとまず休んでカップラーメンを美味しく食べて寝ますわ。そんじゃ」

「そのカップラーメンを沸かす水が出ないのです」

「……水道管、直してきます」

 

 「にしても、問題児ばかりか……。ただでさえこの人数で手一杯ってのに」

 無事水道管の修復を終え、すっかり夜の闇に溶け込んだ静かな街角の公園で、支給されたホットの缶コーヒーを飲む。

 これも日課の一つだ。

 開けた蓋から湯気が一目散に逃げていく。

 なんとか熱を取り込もうとつい一気飲みしてしまう。

「……そろそろ帰るか」

 今の気温は推定5℃。

 くしゃみをしたのを頃合いに飲み干した缶コーヒーをゴミ箱に捨て、公園を出ようとしたとき。

「あ」

「え」

 真っ暗な視界の中で微かに動く何か。

「うわあああぁァァァ!!!」

「え、ちょっと!」

「幽霊が出たああああァァァ!!」

「それは聞き捨てなりません!!」

 俺は咄嗟の判断で電灯の点かない夜道を全力疾走。

 しかし背後からの足音も大きくなる。

 ──今こそ重労働で鍛えられた体力を活かす良い機会だ。

 足に更にギアを入れようとした時。

「待ってください! 私は幽霊でもエイリアンでもありません!」

「――え?」


 「野宿?」

「はい」

「それで公園のベンチで寝ていたところで俺に遭遇」

「はい」

「幽霊だと勘違いした俺を追いかけた、と」

「そうです」

「別に追いかけなくて良かったんじゃ」

「幽霊と言われるのは聞き捨てなりません。生きている人に対して失礼だと思います」

「じゃ、ホームレス?」

「それも失礼です。茶化しの意味で軽々しく言っていい言葉でもありません」

「すいませんでした……」

 ベンチの上で土下座する俺。

 ここが人気のない暗闇で良かったと同時に安堵する。

 対する幽霊――じゃなかった、フードを被った少女らしき声の主は氷のような眼差しで俺を見下ろす。

 ……女の子の前で何してんだろ、全く。

 そういうへきを持っている輩ならご褒美かもしれないが、生憎一般人の俺にとってはただの恥に過ぎない。残念。

「というか、こんな極寒の野外でどうして野宿? ホテルでも泊まれば良いじゃないか。無料なんだし」

「――身分を証明するものが無いんです、私」

 そう言って少女は視線を落とす。

 無料のサービスを受けるには身分証明書──国民証が必要不可欠。

 未所持者の大半は奉仕員だが、見慣れない顔からするに奉仕員ではなくワケあり少女だと推測される。

「……寒いだろ? 泊っていくか、俺んとこに」

「嫌です襲われそうですし」

「善意なのに……」

 あまりに早い即答に俺の良心がチクリと痛む。

 むしろさっきまで襲われかけていたのは俺だったのにな、なんて冗談は心に閉じ込めておく。

 というか、身分証明が出来ないってことはもしや──。

「5分だけ待ってろ」

「? はあ」

 戸惑う少女を一度置いて、寒く暗い夜道に震えながら走り、センターで湯を沸かし、まだ固い麺の上からゆっくりと湯を注ぎ、割り箸で蓋を挟み、バレないように、そして溢さないようにこっそりと外へ。

「お待たせ」

「カップラーメン、ですか。こんな夜中に食べたら健康に悪いですよ」

「こんな寒い日に野宿なんてしてたら風邪引くぞ。少しでも身体あっためとけ」

「風邪なんて引いても私は別に構いません」

「そう自棄になんな。――ほら、どうぞ」

「……いただきます」

 そしてすっかり柔らかくなった麺を啜りだす。

 あつっ、とぼやいた後、熱さを和らげようと小さく息を吹く。

「その様子だと両親も不在って感じか?」

「はい。母とは死別、父は逮捕されています」

「そうか。よく頑張って生きてきたな」

「それはどーも」

 言葉に棘はあるものの、スープを飲む少女の顔が少し綻んでいるのが暗闇から僅かに見えた。

 健康に悪いとか言っていたのになんとも可愛らしい奴だ。

「私の心配をするのは結構ですけど、あなたこそこんな時間まで居たら危ないですよ? 真夜中に発砲音が聞こえるとかいう噂もありますし」

「まさか。幸福度ランキングトップを謳ってる国でそんなこと起きてるわけ無いだろ」

 そんなたわいもない話をしているうちに、器の中は汁も麺もなく、すっかり空っぽになっていた。

「とにかく、両親が居なくなっても頑張って生きているのは本当に凄いことだ。胸を張って生きていけよ」

「そんな上を見上げながらキザな台詞吐かれても――って、電話鳴ってますよ」

「マジか──、げ」

「彼女さんからですか?」

「いや──……うん、まあそう」

 いや、この電話番号は──。

「……もしもし?」

『こんな時間まで外に出て何をしているんですか? まさか夜の街でワンナイト、とかしていませんよね?』

「いやいやまさか。俺の性欲はとっくに枯れてますから」

『それは年齢的に不安な要素ですが……。ともかく速やかに帰ってきてください』

「……はい」

 しょんぼりと頭を垂らしていると、少女が少し笑う。

「怖い彼女さんですね」

「……まあ、人をよくこき使う人だよ、よく」

「早く帰った方が身のためですよ」

「そうだな。そんじゃ、元気で居ろよ」

「あ、あと」

「何?」

「……カップラーメン、ありがとうございました。美味しかったです」

「おう」

 俺は少女に背を向け、手を上げて歩きながら別れを告げる。

 一度やってみたかったポーズでもある。

「さて、と」

 今日の夜飯、どうしようかな。

 明日からの仕事、どれぐらいかかるんだろうな。

 そんな先のことを考えて憂鬱になりつつ、一人夜道を歩いた。


 少女はこれから何が起こるかなど、全く予想もしなかっただろう。

 学校生活を突如奪われ、地獄の労働生活が年明けから待っていることなど。

 そして彼もまた予想しなかっただろう。

 渋塚の青髪ブルーヘアが彼女であることも。

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