第2章「黒猫が訪れたパン屋」

第1話「魔法でできること できないこと」

 ルアポートに降り注ぐ雨は、永遠に止まないんじゃないか。

 そんなことを思ってしまうくらいの激しさで、雨はルアポートに襲いかかっていた。

 それなのに、パン屋の主人であるモーガストさんの死が奥さんに告げられる頃には、雨の姿はどこにもいなくなってしまっていた。


「少し休んでください」

「ありがとうございます……」


 窓の向こうにいるノルカと奥さんの様子を見ていられなくなった俺は、店の外で黒猫探しを再開する。


「突然死らしいわよ」

「気の毒ね……」


 黒猫探しに集中したいのに、みんなから慕われているモーガストさんの死を惜しんで人々がパン屋へと集う。

 予期しない急死ということもあって、人々は言葉を紡ぐことをやめられないらしい。


「夫婦で仲良くやってたのにね」

「これからってときに……」


 国から任命された魔女でなくても、2人の魔法使いが傍にいた。

 それなのに、黒猫の来訪と共に人間には災いがもたらされた。

 2人の魔法使いは、人の命を救うことができなかったということ。


(声が聞こえた気がするのに……)


 探索魔法は、探しているものの情報があればあるほど成功率が上がる。

 人の顔と違って、世の中に何千匹いるかも想像つかない黒猫たちを見分けるのは難しい。

 黒猫の見分けるための情報を持たない俺が探索魔法を使うことはできず、久々に自分の手を使って黒猫を探す。


(黒猫が殺したのか、黒猫は死を予知しているだけなのか……)


 もしも人間に悪さをするようなことがあったらってことを考えて、黒猫に魔法を跳ね返す防御魔法を施した。

 でも、その防御魔法は結界としての役割を果たしてくれなかった。

 黒猫の登場と共に、モーガストさんはこの世を去ってしまったのだから。


「っ」


 自分の手で茂みを掻き分けたり、自分の体を使って細い路地を覗き込んだりして、目的の猫を探し続ける。

 雨で濡れた草木に安全なんて言葉は存在せず、自分の手は次々と草木に傷つけられていく。

 かすり傷も、刺さった棘も、魔法の力で治すことができる。

 でも、モーガストさんの命は、どんなに偉大な魔女ですら蘇らせることはできない。


「んにゃぁ……」


 か細い声が、聴覚に届く。


(どこに……)


 鳴き声だけでは黒猫かどうかなんて分からないけど、猫が近くにいるのは間違いない。

 手にできた傷が染みるのを感じるけど、感じる痛さだって気のせいだって思いたい。

 だって、ご主人を亡くした奥さんは、俺なんかよりももっと深い傷を心に残してしまったのだから。


「にゃ……」

「アンジェル」


 パン屋から出たゴミ袋の陰に、弱っている黒猫の姿を見つけた。

 それと同時に、店の中からノルカが姿を見せる。


「騒がないで」


 黒猫が見つかったことを報告すべき相手は、真っ先に声を出すなと警告してくる。


「あなたが騒いで、街の人たちが黒猫を見つけたらどうするの」


 黒猫は抵抗することもなく、逃げ出すこともしなかった。

 正確には、できなかったっていうのが正しいかもしれない。


「その子は殺されちゃうかもしれない」

「…………」


 弱り果てた黒猫が街の人たちに見つからないように、慎重に抱きかかえながら宿屋へと戻る。

 あまりに激しく衰弱している姿を見て、昨日パン屋に現れた黒猫とは別なのかもしれないとすら思ってしまう。


「よし、着いたぞ」


 人を殺したかもしれない黒猫を助けるっていうのが、正しい判断なのかは分からない。

 けど、このまま何もせずに息を引き取る瞬間を見届けるのも苦しいなって思った。

 一方的に抱いている苦しいっていう気持ちを晴らすために、黒猫の介抱をするのも正しいとは言えない行為ではあるけれど。


「回復魔法を……」

「モーガストさんは亡くなってるの」


 昨日まで元気だった黒猫が弱っている理由は明らかで、モーガストさんを殺した際に使用した魔法が跳ね返ったせいだ。

 そんな思い込みを打ち消すように、ノルカは俺の腕の中にいた黒猫を奪い取っていく。


「黒猫がモーガストさんを殺したのなら、魔法はあなたの結界を打ち破ったはず」

「結界は壊れてない……」


 この黒猫には、自分が施した防御魔法で使われる結界が確かに残っている。

 それは、この黒猫が昨日パン屋を訪れた黒猫だという証明にも繋がる。


「捕まえた黒猫は、モーガストさんを殺害していないってこと」


 黒猫は、跳ね返ってきた魔法に苦しんでいたわけではないらしい。


「なんで、こんなに弱って……」


 黒猫が弱り果てた原因を取り除くために魔法を使おうとすると、ノルカは黒猫をタオルに包み込んで暖炉の傍へと運んでいく。


「火」

「はいっ!」


 なんでもかんでも魔法に頼ろうとする自分に対して、ノルカは適材適所。

 だんだんと暖炉の活躍が減ってきた時期では、薪の数や着火剤の用意が不十分。

魔法と魔法以外の物を組み合わせるところが、ノルカならではの発想だと思った。


「あんなに激しい雨の中、外にいたのよ? 誰だって体温が下がっちゃうわよ」


 黒猫が弱っている理由は、低体温。

 黒猫と言葉を交わしたわけでもなく、魔法で体調不良の原因を調べたわけでもなく、黒猫の様子を見ただけでノルカは黒猫の不調の理由を言い当てた。






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