第17話 恋狂い



 冬らしい風が吹く朝。


 休日ということで外出した私リアは、南人みなと兄さんを連れてショッピングを楽しんでいた。


 地域最大のショッピングモールは、すでに冬物のセールが始まっていて、親子やカップルで賑わいを見せていた。


「ごめんね、兄さん。買い物に付き合ってもらっちゃって」


 突然のお願いでも快く引き受けてくれた南人兄さんに、私は申し訳ないと思いながらもショッピングバックを預ける。


 カジュアルなスーツで見た目だけはカッコイイ兄さんは、自然と視線を集めていた。


「構わないですよ、大塚おおつかさん。相智あいちくんのために綺麗になりのたいなら、いくらでも付き合います」


「兄さん……先生になってから、ずっとその口調だけど。オフの日くらい普通にしてよ」


「相智くんの将来の花嫁にそんな無礼な口のききかたはできません」


「前々から思ってたけど……兄さんは秋斗の何なの? 秋斗をまるで王様みたいに扱っているけど──」


 私が素朴な疑問をぶつけていたら、突然兄さんの表情かおに緊張が走る。


 と思えば、胸ポケットから素早く出した竹筒に息を吹きかけた。


「フッ」


 すると次の瞬間、私の近くを歩いていた人影が倒れた。


 チェックのシャツにジーンズを着たその人は、田橋たはしまさきくんだった。


「え!? まーくん!?」


「休みの日にこっそりついてくるなんて、田橋くんは常識がなってませんね」


 言って、兄さんは忌々しそうに見下ろした。


 けど、相変わらずタフなまーくんは、すぐさま起き上がって主張する。


「違う! 絵筆を買いにきたら、たまたまリアの匂いがしてついてきただけだ」


「まーくんは絵を描くの?」


「そうだよ。リアの絵をたくさん描いてるんだ」


「え? 私?」


 まーくんは持っていたスケッチブックを見せてくれた。

 

「すごい! まーくんって絵が上手なんだね」


「いつも見間違えるわりに、上手ですね田橋くん」


「あれ? たまに秋斗が混ざってるけど」


「え? 全部リアだよ」


「まーくん、メガネで確認しなよ。後半は全部秋斗だから──ん?」


 まーくんに指摘していると、


 近くからよく通る声が聞こえて私は目をみはった。


「あれ……秋斗?」


 見れば、すぐ近くの紳士服売り場で秋斗が年上らしき女の人と仲良く喋っていた。


 ──秋斗と……誰だろう?

 

「綺麗な人……」


 女の人は洗練された大人の女性という感じで、オフショルダーの黄色いワンピースを綺麗に着こなしていて──隣の秋斗はシャツにセーターというラフな格好だったけど、いつもより大人っぽく見えた。


 なんてお似合いの二人だろう。


 それにくらべて私は……。


 フーディにジーンズの野暮ったい自分の姿が子供っぽく思えて、悲しくなってしまう。


「やっぱり、秋斗みたいな人には、ああいう綺麗な人がお似合いだよね」


「リア、どれが秋斗あいつの絵なの? 全部リアじゃないか」


「田橋くん、今はシリアスなシーンなのでなるべく黙ってください」


「私……帰ろうかな」


「大塚さん、あの人はきっと相智くんのお姉さんですよ」


「……秋斗は一人っ子だよ」


「だったら親戚じゃないですか?」


 懸命にフォローしてくれる南人兄さんの気持ちはありがたかったけど、私はそのまま兄さんたちに背中を向けて歩きだした。


 秋斗はいつも積極的だけど、私のことをからかっているだけかもしれない。そう思うと、苦いものを感じた。


「やっぱり私みたいな平凡な人間が、秋斗と釣り合うはずないよね」

 

 秋斗のアプローチを本気だと思っていた自分がバカみたいに思えた。


「大塚さん、気にしてはいけませんよ」


「気にしてないよ。ちょっと自分のことを思い知っただけで」


「リア、あいつの絵なんてどこにもないよ」


「あなたは同じネタでしつこいですね──フッ」


「リア、どの絵があいつに見えるの……むにゃむにゃ」


 立ったまま眠り始めるまーくんを置いて、私はその場から立ち去った。




「……リア!」


 モヤモヤしたままショッピングモールの外に出ると、ふいに背中からよく知る声に呼ばれて、私は足を止めた。


 けど振り返る勇気がなくてじっとしていると、声の主が私の前に回り込んでくる。


「リア」


「……秋斗」


「どうして泣いてるの?」


「え? 私、泣いてる?」


 秋斗たちを見て思った以上にショックを受けていたらしい。


 いつの間にか溢れた涙を、私は慌ててフーディの袖で拭う。


「これは、ちょっと目にゴミが入っただけだから、気にしないで」


 私が笑顔を見せると、秋斗は怪訝けげんな顔をする。


「何があったの?」


「何もないよ? 今日は南人兄さんと買い物に来ただけだよ」


「二人きりで?」


 秋斗は声のトーンを下げて、訊いてくる。


 秋斗だって女の人と二人でいるくせに──そう思っても、なんだか妬いているみたいで言えなかった。


「秋斗は用事があるって言ってたから、兄さんについてきてもらったの」


「むにゃむにゃ……僕もいるけどね」


「え、まーくん?」

 

 どうやってついてきたのだろう。


 立ったまま寝ているまーくんが、いつの間にか側にいた。


「どうして田橋こいつもいるの?」


「ショッピングモールで偶然会っただけだよ。偶然ってすごいね。秋斗もいるし」


 私が笑って誤魔化していると、秋斗の後ろから黄色いワンピースの女の人が現れる。


「まあ、その子が秋斗の?」


「ちょっと、リアに近づかないで」


 女の人は私を見るなり、大きな目をキラキラさせて詰め寄ってくる。


 近くで見ると、華奢で本当に綺麗な人だった。


 二人が並ぶ姿が眩しくて、胸の奥がぎゅっとしめつけられた。


 ……私、思ってた以上に秋斗のことが好きなのかな。


 今までなるべく考えないようにしていたけど、確実に秋斗を好きになっていることを自覚した私は、嫉妬を無理やり飲み込んで笑顔を作る。


 すると、後からやってきた南人兄さんが私を宥めるように肩をポンポンと叩いた。


「大塚さん、ここは私に任せてください」


「兄さんは何も言わないで」


「リアと小金こがね先生は、何をこそこそと話してるのかな?」


 秋斗が嫉妬むき出しで訊ねてきたけど、私は「急いでるから」と言って身を翻した。


 けど、秋斗に腕を掴まれて足を止める。


「待って、リア。僕も帰るところだから、送らせて」


「まだ昼間だし、南人兄さんもいるから大丈夫だよ」


 私は助けを求めるように兄さんに視線を送るけど、兄さんはかぶりを振った。


「先生は田橋くんを捨て……いえ、送る予定なので、大塚さんは相智くんに送ってもらってください」


「ちょっと、兄さん」


 兄さんはまーくんを背負うと、あっという間に走り去った。


 こういう時、兄さんはすぐに秋斗の味方をするんだから。


 私の血縁者なのに、秋斗を優先する兄さんに、少しだけ不満を抱いていると──黄色いワンピースの女の人が「あらあら」とゆったりした動作で頰に手を置いた。


「お友達は帰っちゃったの?」


「僕はちょっとリアを送ってくるので、先に帰ってください」


「わかったわ。遅くなってもいいわよ」


「母さん、下世話です」


「うふふ……じゃあね、リアちゃん。今度うちにもいらっしゃいね」


「……へ? 母さん?」


 私が目を瞬かせていると、女の人と秋斗が顔を見合わせる。


「もしかしてリア、母さんのことを他人か何かだと勘違いした?」


「え……本当にお母さんなの? こんなに綺麗で若いのに」


「まあ! 嬉しいわ。リアちゃんにそんなことを言ってもらえるなんて」


「この人は紛れもない、僕の母親だよ」


「……そうだったんだ」


 私はなんだかホッとして、秋斗のお母さんを見つめる。


 よく見ると、その人は確かに秋斗に似ていた。


「もしかして、本当に勘違いしてた?」


「……そんなことは……ないよ」


 勘違いでショックを受けて、涙まで浮かべたことが急に恥ずかしくなった私は、秋斗の顔をまともに見れなくなるけど──そんな私の手を、秋斗が引いて歩きだす。


「母さん、自分でタクシー呼んでくださいね」


「私のことは気にしなくていいから、ゆっくりしてきなさい」




 ***




 まだ日が高い住宅街。


 秋斗のお母さんのことを付き合っている人だと勘違いした私は、恥ずかしくて何も言えずに歩いていた。


 しかも秋斗に泣いているところを見られてしまったから、言い訳も難しくて隣の秋斗を見る勇気もなかった。


 そんな風にしばらく沈黙が続いたのち──先に口を開いたのは、秋斗だった。


「ねぇ、リア……もしかして、妬いてくれた?」


 一番言われたくないことを言われてしまった。


 さっきまでの自分が恥ずかしくて、頭から火を噴きそうだった。


「や……妬いてなんか」


「でもずっと、泣きそうな顔してた」


 弾む声に、私はどう返していいかわからず「違う」と告げるけど……。


「ねぇ、リア。キスしてもいい?」


「やめて、こんなところで」


「そう言うと思ったから、我慢してるんだよ。でも今日はこんな嬉しいことが起きるなんて、思ってもみなかった」


「……人の気も知らないで」


「それはこっちのセリフだよ。いつも僕ばかりがヤキモチを妬かされて、フェアじゃないから」


「……ヤキモチなんか、妬いてないよ」


 一緒にいた人がお母さんだと聞いて、安心した自分を認めたくなかった。


 いつかは秋斗から離れるつもりでいるけど、逃げられなくなるのが一番怖かった。


 これ以上、深みにハマったら、きっと私は逃げられなくなってしまう。


 そう実感した私は、勇気をふりしぼって秋斗に告げる。


「秋斗、あのね」


「なに? リア」


「私……やっぱり、秋斗とは付き合えない」


「……え?」


 この状況で、まさかそんなことを私が言うとは思っていなかったのだろう。


 秋斗は一瞬ポカンとしていたけど、そのうちこれまでにないくらい怖い顔になった。


「それは本心じゃないよね?」


 責めるような口調に、私は視線を彷徨わせる。


 私のマンションの前で立ち止まる秋斗。


 逃げ腰の私がなんとか踏みとどまると、秋斗は苦笑して告げる。


「リア、僕がそう簡単に諦めると思う? 今までどれだけ待ったと思うの?」


「でも……私、今日改めて思ったの。やっぱり秋斗の隣には、あんな風に綺麗な人が並んでいるほうが素敵だって」


 言いながら、胸が痛んだ。


 けど、そんな言葉とは裏腹な気持ちに蓋をして、私は続けた。


「私は平凡な未来がいいんだ」


「僕と一緒じゃ、幸福は掴めないって言いたいの?」


 秋斗の言葉に、私は静かに頷いた。


 思っていることを言えないまま我慢したくはなかった。


 言えないまま流されるのは、違うと思うから。


 けど、私はわかっているようで、わかっていなかった。秋斗の身の内に潜む狂気を……。


「僕から離れたいなら逆効果だよ、リア」


 そう言って、秋斗は私を抱き寄せて口づけた。


 突然の、しかもあまりに深い口づけに、私は逃げようとするけど……体に力が入らなくて逃げられず、ひたすら秋斗を受け入れるしかなかった。


 そして長い時間をかけてとろかされた私に、秋斗は静かに言い放つ。


「僕の母さんって、リアくらいの時に僕を産んだんだよ」


 言って、秋斗は暗い顔で笑った。


 私はなんだか怖くなって、息をのむ。


 そんな私に、秋斗は再び口づけようとするけど──


「相智くん、いけません」


 南人兄さんが割り込んできて、ショッピングバックを持つ手で秋斗を制した。


「邪魔をするな」


「大塚さんのことをよく見てください」


 兄さんに言われて、秋斗はハッとする。


「ごめん……リア」


 気づくと私は、小刻みに震えていた。




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