第2話
「へぇ、部活でもないのに、花壇の水やりに来てんだ」
「うん。あ、手伝うよ」
「え、いいよ。自分で起こせ、うっ」
倒れたままだった自転車とともに立ち上がろうとして、右足に痛みが走る。
「怪我したの?」
花壇の向こう側から回り込んできた半澤が、立てずに顔を歪めた俺を覗き込む。
「ああ、なんか捻ったらしい。困ったな。これから向こうの方に買い物なんだけど」
坂を下り、学校を抜けた先にスーパーマーケットがあり、そこにおつかいを頼まれていたのだが。
「足、それだと大変だよね。ちょっと待って」
「いや、気にしなくていい。家に帰って話せば済む……って、聞いてねぇし」
半澤は花壇の陰からリュックサックを引っ張り出し、何やらがさごそとやり始めた。とことんマイペースなやつだ。
「あ、あった! これ」
半澤がリュックの中から出したのは、真っ白い包帯だった。どうやら手当てするつもりのようだが、捻挫は包帯巻いてどうにかなるものだったろうか、と少し頭を抱えたくなった。
そんな俺の思いは伝わっていないようで、半澤は待ってて、と包帯を俺に渡すと、自転車を起こし、かしゃんと止め金を下ろした。それから俺の方を向き、しゃがみ込む。
「どっちの足?」
「右」
答えると半澤は無遠慮に俺の右足のジーンズをめくり、靴と靴下を脱がせた。おい、と声をかけるが聞く耳持たずで、俺の手から包帯を取ると、少し赤い足首に手早く巻いた。随分と慣れた手つきだ。華麗な、と形容しても過言じゃないほどの手さばきで包帯を巻き終える半澤を、俺は唖然として見つめていた。
「はい、終わり。じゃ、手を貸すから、立とう」
「お、おう」
マイペースな雰囲気からのてきぱきとした行動に、俺はされるがままになっていた。半澤の肩を借り、立ち上がる。
右足は時折つきん、と痛むが、どうにか自転車に取りつき、自転車を支えにして立った。
「と。もしよければ、買い物、一緒に行こうか? 一人じゃ大変だろうから」
「いや、いいって。俺、帰るし、お前、水やりあんだろ?」
半澤の申し出はありがたかったが、そこまでしてもらうのはさすがに気が引ける。そう思って断ろうとしたのだが、半澤はリュックを背負い、じょうろを仕舞ってさくさく準備を終えてしまった。
「水やりはもう一通り終わってるし、たしか、海道くんちって坂の上でしょ? その足じゃ登るのは辛いと思うよ」
それは確かに。というかちょっと待て。
「なんで俺んち知ってんの?」
「園崎さんから聞いたんだ。ほら、美術部の」
「……リンの野郎」
園崎、と聞いて思い当たるのは一人しかいない。
そうは言えども、半澤の言うとおり、あの急で長い坂を登っていくのは少々きついものがある。
「僕の家はあっちの方だし、帰りは父さんか母さんに頼んで、家まで乗せていけるよ。うちで休んでいってもいいし」
「んー、何か悪いような気がするけど、うん。今日はご厚意に甘えさせてもらうよ」
そうして、俺は半澤と並んで歩き始めた。
「しっかし、休日に学校来んのに制服なんて、真面目な奴だな」
黙って歩くのも何なので、話題を振ってみることにした。自転車を引いて、右足を引きずるような不自然な歩き方になってしまっている俺の歩調に合わせてゆったり歩く半澤は、そうかな、と自分の手元に目を落とす。
「僕さ、水やりもそうなんだけど、花、好きなんだよね。だから眺めたり、あとこれやったりしてるとさ、部活の人たちが登校してくるから」
首から吊り下げたデジカメを示して言う。
「さっきから思ってたけど、カメラ? 写真、好きなの?」
「うん、撮るのが。はまっちゃうと、我を忘れちゃうんだよね。あ、見つけた」
ぱしゃり。道端に一輪咲いたタンポポを見てしゃがみ、一枚撮る。何がそんなに楽しいのか、ふふっと笑って保存をかける。本当にマイペースな奴だ、としみじみ思いながら、俺はその横顔を眺めていた。
「あ、ごめんごめん。見つけるとつい」
少し恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻きながら半澤が俺に向き直る。俺は内心呆れてもいたが、気持ちはわからなくもないので、いーよ、と軽く流す。
「俺も写真撮んの、好きだし」
「ほんとっ?」
「つっても、写メだけどな」
同じ高一にしてはやや大きい目をきらきらさせて俺を見る半澤に、俺はポケットから二つ折りのケータイを取り出して差し出す。
半澤はケータイに少しびっくりした後、開いて操作する。
「ん、わかるか? 最近はスマホの奴多いから、ガラケー使いなんて珍しいだろ」
「そうかもね。でも、僕がびっくりしたのは、同じ機種だからだよ」
すいすい操作する半澤に、今度は俺が驚く番だった。同じ機種なのもそうだが、未だにガラケーを使っている変わり者なんて、俺くらいなものだろうと思っていたから。
「わ、すごい」
データフォルダを開いたらしい半澤が声を上げる。ちら、とその横顔を見やれば、純粋な驚嘆がそこにあった。
「ほとんど花とか、風景ばっかだけどな」
その目を見ていると少しこそばゆくなって、そっぽを向いた。
実際、俺のデータフォルダの写真は花や風景で満たされている。ケータイを持ってまだ日は浅いので、そんなに入ってはいないのだが。
「いや、すごい綺麗に撮れてる。朝露の乗った桜草とか、風にそよいでる椿とか。一面の白詰草っていうのもすごいね」
「あ、それ家の庭。白詰草な」
「広いんだね、庭」
「いや、そうでもないよ。姉貴の趣味でな」
家の庭を思い浮かべ、苦々しく顔が歪む。緑色で覆い尽くされた庭。庭にいつからか茂り始めた白詰草を、おつかいサボりがてら抜こうと思ったら、姉貴に止められた。「あたしが四ツ葉見つけるまで抜いちゃだめ」とか言い出して、その割四ツ葉を探すでもなく、放置されて、一面緑のこの始末である。もう抜くとか言っても手伝ってやんねー、とか文句を言いつつ、ふと青空とのコントラストがいいな、とか思って撮った写真が一枚ある。半澤が見たのはたぶんそれだろう。
「あははっ、四ツ葉かあ。幸運を呼ぶって言われてるもんね。こんなに茂ってたら結構あるんじゃない?」
「ところが姉貴ってば全然見つからないって喚いてさ。俺もやっとこさ一本見つけたんだけど、姉貴は自分で見つけるって聞かなくて」
「面白いお姉さんだね」
半澤が朗らかに言う。面白いか? と疑うようにそちらを見ると、曇りのない笑顔がそこにあった。
「でも、海道くんもすごいね。ケータイでこれだけ綺麗に撮るの、大変でしょう?」
「あー、それな」
見終わったらしく、半澤がぱたりとケータイを閉じて返してくる。俺はそれを受け取りながら、ケータイで写真を撮る理由を話す。これも姉貴が関係しているんだが。
「姉貴はさ、最新って言葉に弱いんだよ。スマホだのiPadだのさ。新しいものには何でも食いついて、すぐ飽きる質なの。そんでさ、旧型っつーとあれだけど、所謂ガラケーとか、インスタントカメラをさ、なんか馬鹿にしたように言うの。だから俺、そんなことないんだって、たとえ古い型の製品でも、使いこなせばこれだけできるんだって、証明したくて、こんなことやってる」
言いながら、口の片端が不自然に吊り上がるのを感じた。ちくり、と足ではない所が痛む。
「阿呆みたいな意地だろ」
「ううん。そんなことないよ」
「世辞はいいって」
「本心」
ふと、冷たい手が、ハンドルの右手に重ねられる。
「本心だってば」
半歩先を行く半澤と視線がかち合う。どきりとした。黒い瞳が、真っ直ぐ俺を射抜く。手から伝わる体温と裏腹な熱がその目にはこもっていた。
「そんなことない。海道くんのはいい写真だよ」
真っ直ぐ言われて、何か言おうと思うのだけれど、息が詰まって言葉が出ない。
言葉より先に、目の端に点滅して赤に変わった信号が入った。
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