七瀬のワクワク☆迷宮トレーニング(難易度:とてもやさしい)
「ああ。白石は今、席を外していますね」
「……そうですか」
日療のテントに顔を出すと、そこに白石さんの姿はなかった。
代わりにいたのは、オレンジ色の救助服に身を包んだお兄さん。胸の名札には火城と書かれていた。
火城さんは迷宮救命士の見習いだ。探索者としては半人前だけど、救助者としての知識は十分にあって、白石さんが不在の時は彼女に代わって手当をしてくれる。
しかし、いないのか、白石さん。
そう聞くと残念なような、ちょっとだけ安心したような……。
「何か白石にご用でも?」
「いえ、大丈夫です。大したことじゃ――」
:大したことだろ、七瀬
:大事にしろよ、死ぬ気で守った夢なんだから
:七瀬、大事なものは大事って言っていいんだぞ
「――あ、えーと。まあその、また来ます」
「?」
……本当に。うるさいんだから、うちのリスナーは。
「包帯、外しますね」
火城さんは右腕の断面部に巻かれた包帯を丁寧に外す。
あらわれたのは、呪禍に千切られた腕の断面。さすがに傷口は塞がっているけれど、再生はまったく進んでいなかった。
「魔法処置を始めます」
火城さんは、緋色のシリンダーに魔力を通しはじめる。
火属性魔法・浄火。炎で燃やして傷を治すという、一見して矛盾した回復魔法だ。
白い炎が傷口を包むと、じんわりとした優しい熱が肌に伝わる。傷口がうずくような感覚がしたけれど、それだけだった。
「七瀬さん。どうですか?」
「……ダメ。効いていないみたいです」
「そうですか……」
首をふる。彼は残念そうにつぶやいて、シリンダーへの魔力供給を切った。
相変わらずこれっぽっちも治るそぶりがないけれど、そこまでショックはなかった。もう、そういうものだと受け入れてしまったのだろう。
だけど、火城さんはそうではないらしい。
「すみません。僕に、もう少し力があれば……」
「火城さんのせいじゃないです。おそらくこの傷は、もう治らないんでしょうね」
「七瀬さん……。早く地上に戻って、協会で本格的な治療を受けてください。きちんとした処置を受ければ、きっと良くなるはずですから」
「いいえ」
私はゆっくりと首をふる。それも正直、望み薄だ。
「単体に対する回復量なら、火属性の回復魔法が随一です。その魔法ですらこうなら、この傷を治せる回復魔法は存在しないでしょう」
回復魔法は属性によって効果が異なる。
風属性の回復魔法が瞬間的な回復力に秀でる一方で、火属性の回復魔法は純粋な回復量に優れる。人一人の負傷をとにかくたくさん回復したい、という時は火属性の方が向いている。
その火属性回復魔法ですら、私の傷口には効果を及ぼしていない。
それなら、協会のヒーラーに見てもらったところで、どうにかなるとは思わなかった。
「お詳しいですね、七瀬さん」
「はい。私もヒーラーなので」
「ヒーラー、なんですか?」
「一応ですけどね。腕がこうなる前は、迷宮救命士になろうかとも考えていました」
そう言って、私はちょんぎられた右腕をふりふり揺らす。
白石さんのように回復魔法を人のために使いたい。この呪わしい才能をきちんと受け入れたい。その夢は今も変わらない。
だけど、迷宮救命士になることは半ば諦めつつあった。
諦めたくなんかないけれど、片腕じゃ迷宮探索だってままならない。こんな状態で、一体誰を助けようなんて言うんだ。
私も子どもじゃない。夢とわがままの違いはわかっているつもりだ。
:一応じゃないぞ七瀬
:諦めなくたっていいんだ七瀬
:できるできないじゃなくて、七瀬はまずどうしたいんだよ
……まぁ。
うるさくておせっかいなやつらは、こんなことを言うけれど。
「七瀬さんって何層の探索者でしたか?」
「私ですか? 一応、三層までは潜れますが」
「パーティ内ではどういった役割を?」
「……ソロ、ですけど」
私の心の柔らかい部分が、ちょっとだけ傷ついた。
ソロだよ。別に一人が好きってわけじゃないのに、致命的に巡り合わせが悪くてソロになったソロだよ。悪かったな。ほっとけ。
「あの、七瀬さん。あなたにお頼みしたいことがあります」
そんな私の微細な感情は、火城さんには伝わらなかったらしい。彼は生真面目な顔で続けた。
「お時間がある時で構いません。七瀬さん、我々の訓練を見ていただけませんか?」
「……え、と?」
なんか、イベント始まったぞ。
*****
「――ですから、パーティでの戦闘で一番大切なのは役割分担です。相手の攻撃を引き付ける
左手でマーカーを持ち、運営テントから借りてきたホワイトボードに字を書き込む。
私が少し文字を書くだけで、生徒たちは一斉にカリカリとペンを走らせる。それがなんだか奇妙に思えて、やりづらさを感じていた。
「役割は戦闘に限りません。斥候役や装備品の整備担当、それこそ回復役も役割の一つですし、荷物持ちだって大切なお仕事です。人一人が担う役割が一つである必要はありません。戦闘における役割と、非戦闘時の役割を兼任することで、パーティとしての完成度はぐっと向上します。ただし、複数の役割を担うことは非常に有用ですが、大切なのは与えられた役割を確実にまっとうすること。特に必要不可欠ないくつかの役割については、機能破綻がパーティ全体の窮地に直結します」
「先生」
しゅっと、生徒の一人が挙手をする。
生徒と言っても二十代後半だ。私よりも一回り年上の、筋骨隆々とした成人男性。そんな人に先生と呼ばれるのは、やはりやりづらさがあった。
「どうぞ、不知火さん」
「射撃手という役割についてですが、迷宮内の兵装は近接武器が主流と伺っています。ならば、射撃手はどういった武装を装備するのでしょうか?」
「よい質問ですね。代表的なのはコンパウンド・ボウやクロスボウです。ただの弓と侮るなかれ、その攻撃力は魔物の頑強な頭蓋骨をも軽く貫通します。射程も長く、攻撃力も十分にある強力な兵装と言えるでしょう。――さて、不知火さん。逆に質問です。こんなに便利な武器なのに、なぜ近接武器ほど普及していないのでしょうか?」
「それは……。運用が難しいから、でしょうか?」
「はい、正解です。近接武器は刃先を魔力加工すればよいですが、弓は矢弾を魔力加工しなければなりません。そして御存知の通り、魔力加工は非常に高価です。意識的に矢弾を回収したとしても、主兵装として運用するにはお金がかかりすぎるんですね。近接武器なら、同様のコストでワンランク上の装備を運用できてしまいます。それ以外にも、魔物には接近戦を好む種が多く、交戦距離が短くなりがちであることも敬遠される理由となっています」
簡単に説明すると、生徒たちは一斉にまたカリカリとやりだす。
気づけば周りの探索者たちも、足を止めてこの講義を聞いていた。それがまた余計にやりづらくて、先生って仕事は一種のショービジネスなんだな、なんてことを考えていた。
「少し話が脱線しましたが、大切なのは役割です。自身の適性を正しく認識し、どういった役割を担うことができるかを考えてみてください。魔法の適性がその判断材料になるでしょう。自己強化型の魔法が得意なら前衛役を、強力な攻撃魔法を扱えるなら後衛職を、といった形で。もちろん本人の気質や、身体能力も考慮するべきですね。――さて、中々話しましたが、考える時間も必要でしょうし、一旦ここまでにしておきますか?」
もうそろそろ勘弁してくれ、という意を込めて終わりを促す。
すると、彼らのリーダーである炎山さんが、キレの良い号令を放った。
「総員、起立!」
がたっと、彼らは一斉に立ち上がる。
ちょっとぎょっとした。
「礼ッ!」
『ありがとうございましたッ!』
「ど、どうもー……」
礼までキレがよかった。
誠意は伝わってくるんだけど、衆人環視の中でこれはきつい。周りで見ていた探索者たちは、おーとかわーとか言って、まばらな拍手をやりだした。なぜか。
……かえりてぇ。
:やるじゃん七瀬
:普通に勉強になったわ七瀬
:七瀬ってなんだかんだ言ってもちゃんと三層探索者なんやなって
:ソロ専の七瀬がパーティについて語れることに涙が出てきたよ俺
:きっと一生懸命勉強したんやろなぁ……
:七瀬、回復魔法抜きでも普通にパーティ勧誘されたっておかしくないのでは?
:それは本当にそう
:じゃあなんでソロなんや?
:七瀬だから
:ならしょうがないか……
うっさいわ、もう。お前らに講義したつもりはないわ。
なんともやるせない気持ちになりつつ、ホワイトボードを片付けようとする。すると、火城さんに止められた。
「片付けはこちらでやるので、置いておいてください」
「自分でやりますよ、私が借りてきたものですし」
「いえ、怪我人を働かせるわけには……」
あー。そういや私、片腕ないんだっけ。
思ったより不便しないものだから、ふと意識しなくなる時がある。おとなしくお任せすると、火城さんは苦笑していた。
「七瀬さん。あらためて、本日はありがとうございました」
「いいえ。すみません、こちらこそ色々口出しちゃって」
訓練の監督指導。それが当初の依頼内容だ。
彼ら五人がやり始めたのは、一対一の対人戦演習。それはそれで、実戦のような緊張感に満ちたものだったけど、見ている内にどうしても疑問に思ってしまったのだ。
……これ、ただの基礎練じゃね? と。
言うまでもないが、迷宮内で戦う相手は魔物であって人ではない。戦闘は複数対一ないしは複数体複数で行うものであって、あんな風にタイマンをすることなんて滅多にない。
あの訓練からは、とりあえず戦いに慣れましょう、以上の意図を感じられなかった。
「それにしても、今まではどうしてたんですか」
腕組みをしようとしたけれど、片腕がなかったので変な感じになる。
基礎練は大事だけど、彼らが次に進むために必要なのは、剣の振り方よりも戦闘の知識だ。そんなわけで、訓練を中断して座学からやらせてもらった。
とは言え、私が教えたことなんて基本中の基本。ちゃんとした監督者がついているなら、真っ先に教えていることだと思うんだけど。
「これまでは、大隊長殿直々にご指導いただいておりました」
「大隊長殿?」
「弊団体の白石です」
「ああ……」
一瞬で腑に落ちた。
白石さんかぁ……。たしかに優秀な探索者なんだけど、さすがに人への指導は向いていなさそうだ。
というか、あの人にそんなことやらせるな。不適材不適所にもほどがある。
「白石さん、忙しいですからね」
そんな本心を丸く抑えて、角の立たない理由を見つける。これが処世術ってやつだった。
「それもありますが……。方針が、とにかくスパルタで」
「え、スパルタなんですか」
「はい。ひたすら筋トレと走り込み、後は実践形式の対人戦を繰り返すように指導されました。多少の怪我も、回復魔法で治療できる範囲なら構わない、と」
「ああ」
あのほわほわした人にスパルタなんてイメージはなかったけれど、そう説明されると納得した。
「間違ってないと思いますよ。基礎的な訓練としては真っ当なやり方です」
「そうなんですか?」
「回復魔法の運用を前提とするなら、ですけどね。普通なら故障しないように気をつける必要がありますが、回復魔法があれば無理もできますし、その分早く強くなれます。魔法の鍛錬もできて一石二鳥です」
「……探索者の方々は、なかなかに生き急いでおられますね」
「まぁ……」
ちょっと苦々しい顔になる。この感覚は、探索者じゃなければわからないだろう。
「火城さん。実戦のご経験はありますか?」
「いえ。恥ずかしながら、まだ」
「一度戦えばわかると思います。魔物を相手に戦って生き残るには、人間という生き物はあまりにも弱すぎる。この迷宮という場で何かを成し遂げるには力が必要です。こと迷宮において弱さとは罪であり、その罪は命をもって贖わなければなりませんから」
そういう意味では、白石さんの課したメニューはとても優しい。優しすぎる、と言ってもいいほどに。
私だったらつべこべ言わずに実戦に放り込む。それに適応できないようであれば、探索者の道はさっさと諦めたほうが懸命だから。
「なるほど……。我々は、まだ探索者ですらなかったんですね」
「実践の前に念入りに基礎練を積むのは、リスクを最大限に排したやり方です。白石さんの方針は、あなた方の安全を第一に考えたものですよ」
きっと口下手なあの人は、こんなことも伝えていないのだろう。それがなんとも彼女らしくて、私は少し笑ってしまった。
「火城さん。私で良ければ、今後も訓練にお付き合いしましょうか?」
「本当ですか? それは、ぜひともお願いしたいです!」
「喜んで。どうせしばらく療養ですからね、いくらでも付き合いますよ」
「助かります……! 七瀬教官!」
「きょ、教官……?」
自他共に認める下位互換の私だけど、こういうことに関しては私の方が向いているのかもしれない。
いいさ、それなら喜んで務めよう。下位互換だろうと互換は互換だ。
あの人の不在を補完するのも、互換品としての
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