第30話 僕だってキレる件

 赤と黄色の五弁の花が咲き誇り、それを愛でる銀色の全身甲冑の人物がいた。リオはそれを『魔王』と呼んだが——。


「うむ、うむ。久々にこの花を見たぞ、うむ」


 男とも女とも取れない玲瓏な声は、ほんのわずかに喜色を帯びていた。花が咲くことを笑うと表現するように、花々の喜びに感応して自然と心が同調したのだろうと思えば、彼ないしは彼女の感情はそれほど人類と遠いところにあるわけではない。


 先日と違い、リオは魔王との距離を詰めていく。すぐ隣、というわけにはいかないが、会話するには十分近づいたとき、魔王は顔を上げて大仰に両手を広げた。


「よくやった、願いを聞いてやろう。そこの坊主、願いを」


 ところが、足を止めていないカツキはそんな話を聞いていなかった。


「あなたが魔王? じゃあちょっと聞きたいんだけど、イルストリアの気候について、それから食生活や文化、あとすぐに必要な作物を思いつくだけでいいから教えて。あ、ノート持ってくるからここで待ってて」


 流れるように、カツキはそれだけ言うと、くるっとログハウスへ早足で帰っていった。


 その後ろ姿をリオも魔王も目で追いかけるが、止める暇はまったくなかった。


「願いは……?」

「カツキすげぇ」


 事実、カツキはすぐに戻ってきた。手には集めた紙の束を重ねて自作したノートと、ルネにもらった赤い万年筆がある。


「戻ってきたか、願いを」

「思ったんだけど、資料をまとめてきてくれる? 必要な事項は今書くから、できるだけ詳細に調査報告してくれると助かるんだけど」

「それが願いなのか?」

「じゃあそれでいいよ。それより、大豆は食べられる? そこに植えてる大豆、土壌の条件が合えばそのまま持っていってもらっていいよ。それから、この花なんだけど、これが生えてるってことはイルストリアって暖かい気候なの? というか、亜熱帯に近いと思うんだけど、標高の高い山や広い森とかある? 川はどんな感じ? 現地の農業やってる人に聞いておきたいことがいくつかあるんだ」


 それを話す間、カツキは魔王を一瞥たりともしなかった。ひたすらにノートへ万年筆を走らせ、今後のために聞き取る必要のある事項を思いつくかぎり書き記していく。話せば話すほど、考えれば考えるほどに、作物を選び育てるために知らなくてはならないことがどんどん増えていく。


 夢中になっているカツキをリオも魔王も止められず、リオに至ってはカツキと魔王を交互に見てはオロオロしていた。


「お、おい、魔王、カツキは悪気はなくてだな」


 カツキの奇行をフォローしようと、何とかリオは釈明していた。それに意味があるかどうかはともかく、カツキに戦闘能力がないことは誰が見たって分かる、魔王どころか魔物相手でさえ逃げるしかない貧弱な英雄、祝福ギフト以外はただの人間だ。誰だってカツキをその危険から遠ざけようとするものだろう。


(っていうか、魔王との取引に関してはカツキに言ってないから、願い云々とか言われても答えようがないよな……こんなところで気遣いが逆効果とかマジかよ、どうしよう……)


 そこでやっと、リオは疑問を持つ。花を咲かせれば願いを叶える、という魔王が言い出した取引だが、よくよく考えてみればなぜそんなわけの分からない取引なのだろうか。この赤と黄色の花が魔王にとって大切なものである、と言われても納得はできない。その程度のことで敵対する人類の言い分を聞こうという気持ちになれるものだろうか。


 先日、魔王との圧倒的な力の差を見せつけられてからというもの、どうにも思考が麻痺していたようだ、とやっとリオは思い至った。とにかく渡された種子をどうにかしなくては、という思いでいっぱいで、なぜ魔王がそんなことを取引材料にしてくるのだ、という当たり前の疑問さえ浮かばなかったのだ。


 もし、魔王にとって眼前に咲く花が大事なものであれば、咲かせるだけの価値があるものであれば、カツキの功績は魔王にとって見過ごせないものとなるだろう。それは——リオが足を踏み入れたイルストリアの光景を思い出せば、魔王のその気持ちも分からなくはない。


 ナオとアリサを連れてイルストリアに上陸したとき、リオはその海岸線の土地一帯を目の当たりにしていた。


 ただひたすらに荒涼として、雑草さえも生えず、砂嵐と赤い岩肌ばかりが続く荒野。海は時化って一時たりとも静まらず、白波が尖った岩礁へと激しく打ちつけられるばかりで、四六時中鳴動する風が物悲しく陸地へと吹いていく。


 そんな土地で、一体誰が住めるというのだろう。魔王以外に誰も住んでいないと言われてもすんなり納得してしまえそうな、荒れ果てた土地だった。もちろん、内陸に行けばまた違った光景が広がる可能性もあるが、少なくとも二日間の滞在では視界に入る範囲で人類の活動した痕跡は一切なかった。


 イルストリアの赤い土地に、花が芽吹くかと言われれば、リオは何とも言えない。植物に詳しい詳しくない以前に、あの枯れた荒地に何かの生命が育つのだろうか、という思いが消えないからだ。


 魔王にとって、赤と黄色の花が待望だったとして——今後もそれはイルストリアの土地に根付くのだろうか。カツキに依頼したイルストリアで栽培できそうな植物にしたって、本当にあの荒廃した島へ持ち込んで育てられるのだろうか。何だか、すべてが徒労に終わるような気さえして、リオはどうしていいか分からなくなってきていた。


 そんな中、魔王は口を開く。


「お前はカツキというのか。ではカツキ、わたしとともにイルストリアへ来い」


 魔王直々の勧誘に、カツキは即座にノーを突きつけた。


「嫌だよ。僕はこの畑の様子見ないといけないから。ここで僕がたくさん農作物を作って、改良していくことで、いろんな人が助かるんだ。あの花だって咲かせたんだから、それでいいでしょ」

「いいや、だめだ。お前は人類に尽くす義理などないだろう?」


 カツキの即答にも引き下がらない魔王は、どれほどカツキに価値を見出したのか。完全に蚊帳の外に置かれたリオは、ただ流れに任せて会話を聞くことしかできない。


 ところが、である。


 カツキが、静かにキレた。


「あのさ、それが他人にものを頼む態度なの?」

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