第26話 祝福の差がえぐい件
深夜、城のとある執務室。
リオはその扉の前で、深呼吸をしていた。
この執務室の主人、その古株の大臣は、ただ一度の反対によって政権の中枢から遠ざけられた。しかし、王女派のつまづきと異世界から召喚された英雄たちの想定外の態勢立て直しによって、国王は古株の大臣を政権の中枢へ呼び戻し、事態の収集と政務の迅速かつ円滑な執行を命じた。
すると、古株の大臣はたちまち状況を改善していった。具体的には王女とその一派を異世界召喚術研究機関という名ばかりの組織に閉じ込め、英雄たちの待遇をガラリと刷新し、魔王専門対策部隊として軍部との連携を重視させる方針を取った。
色々とやり取りはして、協力できることはしてきたが——それぞれの
リオ自身、戦闘向きの
たとえば空を飛べる
無論、それが杞憂であればいいのだが、リオはすでに王女派が自分たちを一度は見限りかけたことを知っている。大人は狡猾で、子どもに言うことを聞けと言ってくるものだ。世話をしてやっているのだから、と恩着せがましく。
(だったら、文句を言われない成果を出さないといけない。俺たちが使える人材だと分からせて、自分たちの立ち位置をしっかりと確保しなきゃいけないんだ。そうでなきゃ、いつ追い出されるか分かったもんじゃない。こんな異世界で、元の世界に帰る方法も分からないまま放り出されて、希望を持って生きていけるかってんだ……)
最近になって、ようやくクラスメイト全員が現状をきちんと認識し、
これには、タイラたちも協力してくれた。リオは自分たちよりも現状をよく知っている、だから悪いようにはならないはずだ、と皆を説得してくれたのだ。一度は外に出て負けて帰ってきてからというもの、タイラたちは真面目に
相手が古株の大臣であろうと、ここでリオがしてやられるわけにはいかない。皆の期待と人生を背負っているのだ、とリオは気合を入れ直し、執務室の扉をノックした。
「失礼します。堂上リオです、入ってもよろしいですか?」
扉の向こうからは、「どうぞ」と重々しい老人の声がした。リオは扉を開け、明々とランプをいくつも点けた執務室へ足を踏み入れた。
一人の老人が、執務机の前に立っていた。白い髭を蓄え、まるでサンタクロースのような風貌の、詰め襟の服を着た男性だ。杖を突き、リオを笑顔で出迎えた。
「よく来た、まあ座りたまえ。何せ不自由な身でね、夜は皆帰ってしまっているから、ここには出涸らしの茶しかないのは我慢してくれ」
「いえ、おかまいなく。ルシウス大臣閣下」
リオの畏まった返事に、ルシウスはにこりと微笑み返す。
「ところで、カツキとはどうだね? お互い、元気で安心したのではないかね」
「それは……」
「何も、恩を売るつもりはない。カツキには十分すぎるほど働いてもらっているのだ、そう——大多数の、タダ飯食らいの君たちとは違って」
ルシウスの声はごく平静な調子だった。嫌味を口にしたというより、事実を指摘したのだろう。
しかし、リオは強く反論する。
「そんな言い方はないでしょう。勝手に呼んでおいて、役に立たなければ見捨てるおつもりですか?」
「いいや。そもそも、役立てるも何も君たちはまだ手の内を明らかにしていない、
ルシウスの目は、笑っていなかった。笑顔の奥から、さっきからずっとリオを値踏みしていたのだ。
リオが返答に詰まった一瞬で、ルシウスは会話の手番を掻っ攫う。
「どこにいても同じだ。その能力を活かして、仕事をして衣食住を確保する。それができなければ、たとえ英雄であろうと子どもであろうと、進退窮まりつつある我々人類が養う理由にはならない」
ぐうの音も出ない正論だ。魔物に住んでいる土地を追われ、避難の長旅の末にヴィセア王国からの支援でようやく余っている住処や食料を与えられた人々はあまりにも多く、リオがこの短い間旅して目にしただけでも万を超える数だっただろう。
異世界から召喚されたばかりだからといって、自分たちばかり安穏と、何もせずに広い家や美味しい食事、綺麗な衣服をもらうわけにはいかない。苦しみ、喘いでいる人々に対し、何もせずにいていいわけがない。
今現在、リオたちはあくまで自分たちの立場を確保するために動いている。生きていくために必要ではある、しかし建前としてどうなのか。人として、英雄としてどうなのか。そう問われたとき、リオはバツが悪い顔をするか、無視するかしかなかった。
ルシウスはひょこっと動いて、ソファに座り込んだ。
「まあ、そう身構えなくてもいい。幸いにして、君たちのうち数人とカツキは十分に働いてくれている。特にカツキ、彼は多くの人々が何の対処もできない重大な危機を、未然に防いでくれた」
「……『
「そうだ。彼は自分の分野で、きちんと仕事をしている。英雄は戦うだけが能ではない、人々を守り、育み、時代を切り拓くからこそ英雄なのだ」
深くソファに腰を沈めたルシウスは、すぐにリオの感情を読み取った。カツキに対するリオたちの思いは複雑だろう、だからこそ利用すべきだ、と老獪なルシウスは躊躇うことがない。
リオへ、ルシウスは身の丈以上の仕事を受けさせる。カツキならできるほどの仕事をお前はできないのか、とばかりに。
「堂上リオ。人類と魔王との交渉テーブルを築いてほしい。手段は問わぬ。それに関してはできるかぎり支援を約束する」
「それと、俺たちの身分の保証を約束してください」
「それはできかねる」
「どうしてですか!?」
「まるで役に立たぬ者まで、英雄として扱うことはできないからだ。君と数人は違う、しかしだからといって全員同じ扱いをすることはできない。これは、困難に陥っている人類に対し、示しがつかないからだ」
それを聞いたリオは、反射的に開きかけた口を閉じるために、奥歯を噛み締める。口答えしたところで、自分たちの立場はよくならないと見抜いたのだろう。リオは大人しく首を縦に振った。
「分かりました。自分たちで有用性を示せということなら、そうします。ですが、それなら俺たち全員の
「ならば、今はそうするといい。君や数人がしっかりと多数を養うのであれば、軍部にさえ文句はつけさせぬよ」
「ありがとうございます」
「もちろん、その能力の訓練や知識が必要であれば、それは援助する。そこは君たちを呼び出した者としての最低限の責務だ、恩を感じる必要はないから存分に我々を利用したまえ。カツキに場所と協力者を提供したことと同じ、いくら優秀な
何度となくルシウスが英雄の象徴のごとく上げるカツキの名前を、今ばかりはリオも警戒せざるをえない。
(また、カツキ……特別扱いというより、カツキがあれだけ画期的なものを生み出して、貢献しているからこそだろうが……皆に知られるとまずいな。事情が分からないうちからカツキを妬む声が出そうだ)
嫉妬は容易に人間関係に亀裂を生む。ただでさえやっとまとまってきたクラスメイトたちをこれ以上分断されるわけにはいかないリオは、クラスメイトたちにはカツキのことを黙っていた。それを知っていながら、ルシウスはそれをたしなめることも、情報を漏らすこともない。
利用されているのだ、とリオは実感した。この大臣の手のひらの上で、リオは駒のように扱われつつある。それが正しい行いだとしても、駒扱いは気分がよくない。
無論、ルシウスとしては常識的に考えて、英雄などという存在を自由勝手にさせるべきではないと認識しているのだろう。
そこへ、ルシウスが一つ、リオへ要求を提示した。
「さて、堂上リオ。一つだけ明らかにしておいてほしいことがある」
「何でしょうか」
「君の
リオは、何だそんなこと、と思いつつも、裏があるように感じて仕方がなかった。
だが、ルシウスの言い分も道理だ。お前に英雄たちを率いるだけの理由があるのか、と暗に尋ねているのだ。
ならば、それに応えるしかない。
「分かりました。俺の
リオは、自身が持つ唯一にして最高の手札を明かす。
「『
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