第27話 「魔術街ベンターナ」

 アムレトから馬車で旅立ち、体感ではもう一週間くらい経った気さえしてきた。

 まだ一度も夜が訪れていない以上そんな訳はないのだが、空が黄昏に染まってきたのを見るに半日は経っている筈だ。


 少し先には青白い膜の様な何かが見えるし、何なら先程から馬車が動いていない。

 もしかしたら、もう目的地に着いたのだろうか。

 九年前と比べて圧倒的に酔いやすい体になってしまい、現在も気持ち悪さでろくに頭が働かなくなっている。

 そのせいで幻覚を見ている可能性もあるし、今聞こえている声も幻聴かもしれない。


「––––––––うん、ダメそう!なんかずっと目が虚ろだし、控えめに言って死にかけてない?ノベルさん、多分馬車に乗せたら駄目な人だよね!?」

「……うん、流石に私も想定外だったかな。船に乗った時はかろうじて話は通じていたし、大丈夫だと思ってたんだけど……どうしよ、担いだ方がいいかな」

「それは……勝手に担ぐのも申し訳なくない?いや、レクシーさんが良いと思うんなら良いと思いますけどね!?」

「––––––––あれ。もしや幻聴じゃ……ないのか?」

「あ、起きた!良かったー。もう目的地ですし、早めに街へ入りませんか?もちろん、軽く休んでからで問題ないですけど!」


 うん、本当に幻聴でも幻覚でもない様だ。

 目を擦り、辺りを見回す。


 視界に映るのは、最低限の整備が為された土の道と、幾つかの建物。

 建物の正体は恐らく宿屋と厩舎で、問題なのはその奥。

 青白い膜としか言えない何かが、先を塞いで何も見えなくしている。

 ––––––––あれこそが、件の大結界なのだろう。


 状況は理解した。

 要するに、いつの間にやら目的地へ到着していたらしい。

 とりあえず馬車から降りる為、立ち上がる……いや、立ち上がろうとした。

 立ち上がろうと足に力を入れた瞬間、ぶり返した吐き気と眩暈でその場にうずくまる。 


「……レクシー、ちょっと肩借りますね。あと、俺の財布から金貨を出して下さい。少ないですが、馬車代は払わないといけませんし」

「馬車代はもう払ったよ、ノベルが死にかけてる間に。銀貨三枚だけで許してくれたから、安心して。……歩けそう?なら良かった、行くよ」

「……助かります。ところで、俺が倒れている間に何かありましたか?」

「特にはなかったよ?あ、でも道中でレクシーさんから色々聞いちゃった!いやー、まさかお二人もヘルメスの弟子だったとは思わなかったなー!いやほんと、案外運命って馬鹿に出来ないよね」


 この様子だと、多分あらかた知られているな。

 まあ、テラスさんも師匠の弟子なら信頼できるし、別に知られて不味い事が大量にある訳でもない。

 それにしても、師匠が俺達以外にも何人か弟子を取っているとは聞いていたが……テラスさんもその内の一人だとは思わなかったな。


 魔術師は魔術師でも、専門が魔術薬学ポーションに寄っていると思われるテラスさんを弟子に取ったという事は、師匠も人並み以上に魔術薬学を修めている事になる。

 底の知れない人だとは前々から思っていたが、今回でさらに分からなくなってしまった。


 馬車のおっちゃんに礼を言い、レクシーの肩を借りながらふらふらと大結界へ近づく。

 触れられる程の距離まで近付いても、以前として結界の中は見えないままだ。

 今の状態で得られる情報は一つだけ。

 この結界が、異様な程丁寧に作られた––––––––であろう初期の状態から、恐らく何百年も補修と強化を繰り返されているという事。


「じゃ、入りましょうか!ええと、鍵は……あった。ほら、これですこれ。鍵っぽくない形ですけど、これを結界に突き立てたら開くんですよねー。何でだろ?」


 そう言いながらテラスさんが取り出したのは、ペン程の大きさの透明な針。

 確かに鍵には見えないが、結界に穴を開ける為の道具と考えれば納得はいく。

 水晶か何かで作られているのだとは思うが、結界と同じくこちらの仕組みも見ただけでは良く分からない。


「まあいいや。お二人ともベンターナは初めてなんですよね?だったら驚くとは思いますが、長く居れば多分慣れるので安心して下さい!」


 透明な針が、青白い結界に触れる。

 その瞬間、まるで水面に石を投げ込んだかの様に結界が波紋を描く。

 波紋はやがて穴となり、丁度人一人が通れるくらいの隙間を生んだ。


 恐る恐る、結界を通過する。


 そして。

 結界の中へ足を踏み入れた瞬間に、俺はテラスさんが言っていた事の意味を理解した。


「––––––––は?」

 

 なるほど確かにこれは驚くし、あらかじめその話を聞いていなければ、間違いなく腰を抜かしていただろう。

 何故なら。

 思い描いていた街の風景と全く違うものが、視界に飛び込んで来たのだから。


 改めて。

 ここは、である。

 

 元いた世界とは違い、全体的な人の身体能力が高かったり、モンスターやよく分からん生物がいたり、魔術があったりもする異世界である。

 そして多少の違いはあるものの、基本的な建築様式や生活水準はと似通っている世界の筈なのだ。


「––––––––なんか、ここだけ世界観違いません!?」


 確かに、異世界ではある。

 元いた世界でも映画などでしか見た事がない街並みで、こちらの世界でもこれまであまり馴染みが無かった風景なので、非日常感は満載かもしれないが。


 それでも、これは異質だ。

  

 タイルで舗装された道、近代的な建築、魔術によって灯りを灯す街灯。

 少し豪華な二輪の馬車に乗る男性は、魔術師らしい黒いローブを見に纏った上で、ツバの曲がった中折れ帽を被っている。

 

 結界によるものなのか、快晴だった外と違い空は灰色の雲に閉ざされており、どことなく鬱屈とした雰囲気に満ちている。

 街並みは、十九世紀あたりのイギリスが一番近いだろうか。


「ノベル、どうしたの?物珍しいのは分かるけど、流石に驚きすぎ」

「いや、仕方がないでしょう!?だってこの街だけ文明レベルが違うじゃないですか、多分数百年は先行してます!」

「え、そんなに?確かにお洒落な街だとは思うけど、言い過ぎじゃないかな」

「まあほら、感覚は人それぞれですからね!私だって最初に来た時は驚きましたし、多分そんなものですよ!」

「そう?まあ、ノベルの感性がちょっとずれてるのは今に始まった事じゃないしね」


 俺の感性の問題じゃない、と否定しようと思って口を開き、その瞬間に一つ抜け落ちていた事に思い当たる。

 なるほど、確かにこれは俺の感性、もっと言うならの問題だ。


 この街を異質だと感じた一番の要因は、ここが時代にそぐわないと知っているから。

 前世で得た知識として、中世を、近世を、近代を知っているから、中世がベースとなっている筈のこの世界に、この街があっていい訳ないと思ってしまった。


 その前提知識が無ければ、ここはちょっと進んでいる街でしかないのだろう。


「はー……この街を作ったのって誰なんですかね、暇な時に調べてみますか。あとお騒がせしてすみません。とりあえず、進みましょうか」

「……急に落ち着くじゃん。まあ、それも今に始まった事じゃないけどさ」

「あ、なら出発しましょう!ここから結構歩きますけど、大丈夫ですか?」

「馬車じゃないので問題ないですが、目的地はどこですか?」

「とりあえず、ヘルメスの屋敷に押し掛けようかと。私の自宅でもありますし、お二人の分の部屋も多分ありますよ!」


 師匠、屋敷まで持ってたのか。

 自称天才錬金術師が本当に天才だと気付いた日から、師匠関連では絶対に驚いてやらないと心に決めていたのに、今普通に驚いている自分がいる。


 それと、テラスさんの師匠の扱いが大変雑に思えるのだが……師匠、何をしでかしたんですか。


 重い足を動かして、灰色の街を進む。

 

  

 

   

 

 


 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 


 









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