第16話 リンゴを咥えた豚
酷く怒りに満ちた女性の声は、夜の女王のように高く、強く、深く。厨房の壁とソレイユの鼓膜を、これでもかと震わせた。
簡素な赤いドレスを身に纏い、プラチナブロンドのまとめ髪は適当に結んだゆえ、後れ毛がぱらりと出ている。しかし、そんな手抜きも派手さのある整った顔には、アンニュイな魅力になるだけ。激怒していても美女は、美しいのだ。
彼女は、パープル。客間担当であり、ショーでは司会や歌姫を勤めている。そして、ブロンマの血の繋がった姉だ。
「パープル、どうしよう〜」
「オーナー、嘆いても人肉がない今、イチジクは今無理ですわ」
「早く鉱山始まってよぉ! そしたら、解決するでしょ!」
これもそれも、全て東の鉱山口の中で、採掘には必須な
しかも、人が居る時に爆発したのなら、食人族的には問題なかったのに。
なんと人がいない時に爆発してしまい、死体は0。今は安全確認と、次の掘削機が出来るまで鉱山を閉鎖してるのだ。
「オーナーの気持ちもわかりますわ。少しずつ鉱夫たちもお金が尽きてるのか、店の売上も少し不安定ですし」
「そうなの。でも、店を開けなきゃいけないのよ。予約もあるし、ラブリィちゃんも来るし」
「オーナーも姉様も、大変だね」
頭を抱える二人に対し、ブロンマは呑気に言葉を返していた。その時である。
ガシャンッ!
何かが割れた音が聞こえた。音の位置から、明らかに一階からだ。
割れる音を耳にしたソレイユは、反射的に一階を映す
「オーナー、大変です! 一階に強盗がきてますぅ!」
厨房に駆け込んできたのは、熊のような図体をした男。本来ならば、この厨房を任されている料理長であった。
「お兄様、お黙りっ! 見ればわかりますわっ!」
料理長を兄と呼んだパープルは、眉間に筋を立てながら金切り声をあげる。料理長もまた、パープルとブロンマの血の繋がった兄である。
下からは「金を出せ!」という脅しの言葉や、バンッとボーガンが放たれた音が聞こえた。
「オーナー、どうしよう!」
ブロンマがふるふると震えながら、ソレイユの足にしがみつく。その姿は愛らしく、庇護欲を掻き立てるものだ。
普通ならば慌てふためくか、面倒事だと苛つくような場面。
しかし、ソレイユは何故か満面の笑みを浮かべていた。
「あらあ、豚がリンゴ咥えてやってきたじゃなぁい」
ソレイユは目を爛々に輝かせる。
『豚がリンゴを咥えてきた』というのは、中央の街の言葉で、手の行動が自分の思惑通りで、都合がよいことを意味をする。
さて、アタノールには、法律で人を裁く機関はない。
では、どうやって住人たちは自分の身を守るのか。そこで登場するのは、テリトリーというものである。
炭鉱夫ならば、炭鉱組合。娼婦なら娼館連合。商人ならアタノール商店街の集い。そして、バル・ガラクタはバル・ガラクタというテリトリー。自分が働いてる場所に所属する形である。
それぞれのテリトリー内には必ずルールがあり、住人たちはそのルールに守られるのだ。といっても、ルールは様々であり、似たようなものでも微妙な差異はある。
勿論、どのテリトリーにも共通して、とあるルールだけは採用されていた。
それはこの銀鼠の建物、ソレイユが長を務めるバル・ガラクタのテリトリーも例外ではない。
「さあ、皆、貢物を狩りに行くわよぉ」
ソレイユの高揚した言葉に、三兄弟はハッと顔を上げる。そして、その意味に気づき、力強く頷いた。
各勢力共通してある絶対的なルール。
自分たちのテリトリーを害するものは、徹底的に排除すること。
ソレイユとパープルは、新しい
ブロンマは、地下への非常階段を下ろすために三階へと登っていく。
「さあて、狩りの時間ね、アハハハッ!」
高笑いをするソレイユを先頭に、料理長とパープルは一階へと続く階段を降りていった。
そして、数分もせず、アタノールの街に、悲鳴と容赦ない銃声が鳴り響く。 普通ならば逃げ惑うような光景だが、アタノール街の人達はいつものことかと思い、遠巻きにするだけだった。
翌日、当事者である記者が、街の掲示板に特ダネを貼り付けた。
『ガラガラ食堂を取り仕切る最強のオーナー、襲撃者殲滅。お客様と従業員には傷一つなし』
書いてある内容は過激に動き回るソレイユたちの活躍が、躍動感ある文章と共に語られていた。
そして、褒め称えられたソレイユはというと、あの後無事に大量のイチジクを手に入れる事ができた。
また、ソレイユ自慢のハーブを使った肉の保存方法を伝授したため、イチジク以外の他の果物もたくさん仕入れられた。
厨房の中、ソレイユは鍋に入った試作品のソースを掬い、口に含む。この瞬間は、まさにドキドキであり、今までの苦労のせいかか詰まっている。
口に含み、舌の上に転がす。そして、やっと彼女の口角が嬉しそうに吊り上がった。
ザクロの爽やかな甘酸っぱさや、ハーブの芳醇な香り、イチジクの甘みと深みが丁度よいハーモニーを作り上げていた。
「そうそう、これよこれ!」
嬉しそうにスプーンを握りしめながら、踊るソレイユ。くるくると回りながら身体全体で嬉しさを表していた。
「ソースの名前はうぅん……赤き血潮のソースね! 吸血鬼感あるし。いい感じに、センスが偏ってる人間が湧いちゃう感じよね。決まりっ決まりっ!」
嬉しそうに踊り、一段落ついたとでも言わんばかりに、腰を落ち着けようとした時。ソレイユは肝心なことを思い出した。
「メインディッシュ、何にするか決めてないじゃなあい!」
そう、まだメインディッシュが決まってなかったのだ。絶望のあまりまた叫ぶソレイユ。今は木曜日、今から肉屋で仕入れが間に合うのかを頭で考える。いや多分、肉屋に頼めば有り合わせは見つかるが、そんなものをラブリィちゃんには出せない。
色々考えた後、ソレイユは自分の太ももをガンッと叩き、気合を入れた表情で前を向いた。
「
ソレイユは適当に紙を見つけ、文字をサラサラと書くと、厨房を飛び出した。
さて、そんなソレイユが向かった先は、アタノールの火山と荒廃した土地の外、少しずつ緑が増えてくる小高い山の上だった。
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