第四十九話 唸る水

 アラッタの前に木の器を置き、それを回収させるという行為を続けておよそ三日。

 今日も作業のようにアラッタの城門からクサリクが現れる。

 だがクサリクたちは気づくことがなかった。

 普段よりも明らかに遠征軍が距離を取っていることに。




 ふと一匹のクサリクが器の回収を止めて顔を上げた。なにやら重い音が聞こえたためだ。

 行軍の地鳴りとも違う。大雨のけたたましさとも、風の唸る音でもない。

 そして地平線を見るが何も見当たらない。

 これは気のせいか?

 そんな風に首を捻った。

 もしも。

 この時点で器を放り出して遮二無二逃げ出せば彼らの命どころか、アラッタの防備は堅固なままだったかもしれない。

 その一瞬の判断がすべてを分かつことになった。


 しかし地鳴りはさらに強まる。

 さすがにのんきに構えている場合ではないと不安がっているようだったが、災害というものは目の前に迫っていたとしても存外被災者は気楽なのだ。

 自分が、飲み込まれるその寸前まで。

 城壁の上のクサリクが悲鳴のような叫びをあげ、遠くを指さす。

 そこを見ると、黒々とした濁流が迫っていた。

 やはり悲鳴を上げ、外にいるクサリクは全速力で城壁に戻ろうとする。

 だがもう遅い。

 轟轟たる水の流れは蛇のようにクサリクたちを一飲みにし、開け放たれていた城門に殺到し、その勢いは弱まらない。

 城門を閉めたくとも、水の流れに押されて近づけない。城壁の上から、城門が破られた場合に備えて用意してあった土嚢を投げ込むが、そんなものでは水の勢いは弱まらない。

 瞬く間に暴力的な水はアラッタの町並みを侵略しつくした。




 それを遠巻きに眺めていたのはもちろん遠征軍の面々だったが、誰もがあまりの光景に言葉を失っていた。

 指揮官であるトエラーでさえも顔が青ざめていた。

 そしてエタは影のように彼の三歩後ろに待機していた。

 やがてトエラーは正気を取り戻したようにエタに尋ねた。

「エタリッツ、だったな。お前がこの策を段取りしたと聞いたが」

「はい。その通りです、トエラー様」

「いったい、いつの間に準備をしていたのだ?」

「木の器を作った時に伐採した木材のあまりで川に堤防を作りました」

 実のところそれには嘘が混じっている。

 木材を伐採した時点ですでにニスキツルに話を通して堤防を作り始めてもらっていた。

 そうでなければ間に合わなかっただろう。ただしその堤防をより大きくし、さらに水の通り道を掘るためには軍全体の協力が欠かせなかった。

 さらにトエラーは貝のように重い口を開く。

「何故、このようなことを?」

 ちなみにトエラーはどうしてこんな残酷なことをしたのか、と聞きたかったのだが、エタはこの水攻めにどのような意味があるのかと聞いているのだと解釈した。

「トエラー様もクサリクがものを食べないということはすでに存じ上げているかと思われます」

「む、ああ」

 トエラーは初耳だったのだが、知ったかぶりをした。

「そのため城を孤立させたり、水で食料をダメにさせるということは意味を成しません」

 実のところ今回の水攻めは数千年先で行われるであろうそれと比べるとかなり稚拙だ。

 本格的な水攻めには堤防などを作って水を逃がさない造りが必要になり、さらに大掛かりな工事をしなければならない。

 この程度の水攻めではアラッタを一時的に水浸しにするくらいが関の山なのだ。

 本来であれば。

「それではこの水攻めは意味がないのか?」

「いいえ。これは神々の助言に従い、導き出された方法です。無意味であるはずがありません」

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