第八話 父の名

「まず、あなた方が育てているというニントルという少女。彼女を預かることに異存はありません。イシュタル神殿にとって寡婦と孤児の世話は最優先で行うべき仕事です」

 きっぱりと断言するラキアにエタはほっとした。

 かつてミミエルの母を見捨てず、彼女自身も何かと気にかけてくれたラキアならばニントルを悪いようにはしないだろう。

 しかしそれだけなら、わざわざシュメール全員をこの場に集めた意味が分からない。……いや、むしろ意味など一つしかないだろう。

「ご厚意に感謝しますラキア様。ですが、何故我々をこの場に集めたのですか?」

 ラキアは真面目だが、やはり穏やかな顔つきを崩さない。

 だからこそぴりっとした圧力を感じる。

「あなた方は国王陛下が亡くなった件についてどの程度ご存じですか」

「……どちらの、ですか?」

「もちろん、身代わり王ではない方の」

「ラキア様。あなたは……どなたからそれをお聞きになったのですか」

「年を取れば意外と遠くまで人の声が聞こえるようになるものですよ」

 しれっとごまかすラキア。

 相手はイシュタル神殿の長だ。エタには思いもよらない伝手があるのかもしれない。

「では、イシュタル神殿は次の王をお定めになったのですか?」

「ええ。次の王はラバシュム様を置いて他にはいません。彼もまたイシュタルの信徒ですから」

(言い換えれば王族の中にイシュタル神の信徒ではない人が混じっているということ?)

 ウルクの都市神はイシュタルであり、最も勢力が強いのはイシュタル神の信徒だ。

 だが、王が例えばエンリル神の信徒であれば立場を脅かす可能性もなくはない。そういう意味でラキアは立場的にラバシュムを推薦せざるを得ない立場であると言える。

「ですが、今彼はどこにいるのでしょうか」

「ご存じありませんか? 彼は『荒野の鷹』というギルドに所属しているそうです」

 これでリムズからの『噂話』はほぼ確実な証言であることになった。もちろん、リムズとラキアが裏でつながっていない限りは。

「それ以上のことはわからないのですか?」

「残念ながら。敵にせよ、味方にせよ、それは同じでしょう。前国王陛下は大変慎重なお方でしたから。幼少のころならともかく、今の彼の顔を知っている人さえほとんどいないでしょう」

「しかしそれではどう見つけたものでしょうか」

「ええ。おそらく敵側もそれで困っていることでしょう。ですが、私だけはそうではありません」

「それはいったい……?」

「私は、他人の『父親の名前を明かす掟』を持っています」

「「「「!!!!」」」」

 これにはエタを含めた全員が驚きに包まれた。

 今まさに欲している掟だった。それと同時に、王子を排したい側からすれば絶対に敵側に存在してほしくない掟だ。

 もしもこの事実が知られれば、命を狙われることになってもおかしくない。

「なお、この事実を知っている人は神殿の関係者でもごく一部。それ以外なら、あなた方だけです」

「ぼ、僕らに教えていただけるのは光栄ですが……何故、そこまで……?」

「さるお方からの御推薦、とだけ申し上げておきましょう」

 さるお方。考えられるとすれば。

(アトラハシス様……? あのお方以外考えられないけれど……)

 もしもそうだとすれば、エタは逃げられない。アトラハシスには返せないほどの恩があるのだ。

「では、あなた方もラバシュム様を守るために行動しているのですか?」

 エタは核心となる言葉を言った。いや、言わされたというべきか。

「もちろんです。王位とは正当なるお方が継ぐべきであり、不当な男が継ぐべきではありません。そして、私個人としても、何の罪もない少年を不要に傷つける事態に指をくわえてみているわけにはいかないのです」

 決然としたラキアの力強い声と目にエタは無言でうなずいていた。

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