第十五話 歓迎されない再会

 夏の日差しがますます厳しくなり、可能な限りそれを避けるようにウルクの民は行動する。

 夕焼けに照らされた城壁が燃えるように赤く彩られ、これをそのまま粘土板に写し取れればさぞ美しいに違いない。

 そんな夕暮れにウルクの町に近づく人影はいくつもある。

 今日の疲れをねぎらい、休みに向かうのだろう。

 その中に遠目からも小さく、細い影がこちらに向かってくる。それを見てザムグは顔を輝かせる。

「ハリフム!」

「ザムグ!」

 二人は走り、厚い抱擁を交わした。

「無事でよかった! 鉱山奴隷になるって聞いた時にはどうなるかと思った!」

 鉱山奴隷は数ある奴隷の中で二番目に厳しいとされる奴隷だ。一日中薄暗い鉱山の中で働かされる上、落盤、落石の類も多い。

 さらに鉱石のとれる迷宮の探索をさせられた場合、一年で十人に六人は死ぬと言われている。

 見た限り五体無事のようだ。後ろで見守っていたエタはほっと胸をなでおろした。

 抱擁を解き、お互いに見つめあう。

「ああ! ある人が鉱山奴隷から俺を救ってくれたんだ。これも神様の導きに違いない!」

「お前もエンリル神の信徒だったよな。確かにエンリル様のお導きだ」

 ザムグの言葉にハリフムは露骨に顔をしかめた。

「いや、俺はもうエンリルなんかの信徒じゃない」

 自分が信望するティンギルをなんかと呼ばれ、今度はザムグが顔をしかめる。異なる信徒同士であって神に対する敬意を忘れてはならないのは都市国家群においては常識以前の形の無い掟だった。

「じゃあお前は今どの神を信仰しているんだ。イシュタル神? エンキ神?」

 ウルクの都市神はイシュタル神だが、他の神々を崇拝しているものも多い。それそのものは何も問題はない。

 しかしエタもザムグも今のハリフムからは言い難い不気味さを感じており、それは正しかった。

「俺の信じる神はトラゾスだ」

 陶酔した表情でハリフムは断言するが、ザムグは疑問しかない。

「トラゾス……? 聞いたことないぞ……?」

 思わずエタに視線を向けたザムグだったがエタも首をひねる。そんな神どころか名前が近い神さえも聞いたことがない

「トラゾス様はこの世界の真の神だ。他の神々などトラゾス様のまがい物だ」

 あまりにも不敬な発言にエタもザムグも反論するどころか恐怖に慄ききょろきょろとあたりを見回した。

 まるで神に告げ口されることを恐れるかのように。

「なあザムグ。お前もエンリルなどという輩を信仰するのをやめてトラゾス様を信仰しよう俺はトラゾス様に救われ、すべてが満たされた。鉱山奴隷から解放されたのだってトラゾス様のおかげだ。トラゾス様の偉大さをお前にも、いや、すべての人々に知ってもらいたい……いや!」

 ハリフムは今から空を飛び立ちそうなほど大きく手を広げた。

 その目には狂気が浮かんでいた。少なくともエタにはそう見えた。

「すべての人々がトラゾス様の偉大さを知るべきだ! それ以外の人間は皆! に落ちるべきだ! 否! トラゾス様によってそうなる!」

(……地獄? 地獄ってなんだ?)

 メソポタミアにおいて死後向かう場所は冥界だ。地獄は本来まだない概念である。

 なぜなら地獄とは極楽や楽園と対になる死後の世界だからだ。

 善人も悪人も等しく冥界に行くメソポタミアにおいてまだ存在しない。

 それが何を意味するのか。

 エタは思考を巡らせたが、真相に迫るより先に現実に引き戻された。

「ハリフム。お前に何があったんだ?」

 明らかにザムグの声の調子が変わった。少なくとも友に話しかける声ではない。

「さっきも言っただろ。俺は救われた」

「そうじゃない。お前はそんな奴じゃなかった。他人に自分の信仰を押し付けたりなんかしなかった」

「……? 俺が一体いつ、信仰を押し付けたんだ?」

「たった今! 再開してからずっとだ」

「何を言っているんだ? トラゾス様を信仰するのは当然だろう? そして俺がそれを広めるのも当然だ!」

 エタとザムグは耳を疑った。ハリフムは自分が信仰を押し付けていたという自覚さえないのだ。

「そしてそれを受け入れるのも当然だ! トラゾス様は、絶対なる神であるがゆえに!」

 二人はようやく悟った。

 もはやハリフムはまっとうな会話が成立しない。

 心だけが別の世界に旅立っているように思えた。

「悪い。お前が何を言っているのか理解できないし、信仰を変えるつもりもない」

「そうか。残念だ。お前と一緒に楽園に行きたかった」

 ハリフムは心底残念そうな表情をして去っていった。おそらくハリフムはすべて善意でエタとザムグを勧誘していたのだろう。

 彼を止めるどころか、声をかけることさえできなかった。

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