第五十五話 希う

 エタは痛む体を動かし仲間たちの無事を確認したが、ミミエルでその視線は止まった。彼女は無表情で立ちすくみ、肩で息をするミミエルに誰も言葉がなかった。

 しかし。

『あ……とう』

 誰のものでもないとぎれとぎれの声が響く。ぎょっとしてあたりを見回すと、薄もやのような、あるいはぼろ布をまとった存在感の無い、小さな子供が、老人が、女性がいた。

『で……れでさよ……なら』

『き……また会……よ』

『元……ね』

 それらは皆溶けるように空気に、地に吸い込まれていく。ばらばらに、砂のように、チリのように。

 


 やがて、誰もいなくなり、静寂だけが満ちる。

 誰もが今見た光景を信じられずにいた。

 それとも迷宮が見せた幻なのだろうか。

 あるいは、搾取の掟に囚われた人間の苦悶の声が現世に焼き付いたのだろうか。

 もしも、仮に、あれこそが真実、この森で死んだ者たちの魂だとするのならば。

 地の底におわす冥界の女主人のもとに向かうのだろうか。

 数々の疑問があるが、人の身でそれらの答えをすべて知ることなどできはしないことだけはわかっていた。

(それでも。それでも……何か、言わなければいけないことがあるはずだ)

 死者に哀悼の意を表し、感謝の念を伝える。

 それを死者が受け取っているのかどうかはわからないが、それこそが生きているものの責務だろう。

 ぽつりとエタが呟いた。

「我が神、タンムズに希う。死者に暖かな食事と寝床を」

 それに続いてシャルラが祈る。

「我が神、エレシュキガルに希います。死者に冥界で安らかな暮らしを」

 さらにラバサルが続く。

「我が神エンリルに希おう。死者に秩序を」

 穏やかにターハが告げる。

「我が神ニンフルサグに希う。死者に慈愛を」

 皆の視線がミミエルに集中する。

 大粒の涙を流しながらも彼女は祈った。

「私の、神、様。イシュタル様。少しでも、あの子たちが美しい世界に、いますように、どうか、お願い、します」

 後はずっと小さな嗚咽がずっと続いていた。

 ふと、外から鷹の鳴き声が聞こえた。

 ハマームが捕えていた鷹の鳴き声だった。彼がいなくなったことで鷹を捕える掟も消失したのだ。

 自由に舞う鷹の行く先を知るものは誰もいない。

 すぐに荒野の片隅に埋まるか、大空を舞い続けるのか。もう、鷹を捕えていた掟はないのだから、その末路も定まってはいないのだ。

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