第二十七話 嘲笑

 大白蟻の討伐は順調すぎるほどに順調だったが、三日たっても、五日たってもなんら森に異変は起きなかった。

 時間とともに、エタの精神は追い込まれつつあった。




 山のように積まれた大白蟻の死骸を前にうずくまりそうになる体を何とか奮い立たせる。

 蟻はいつものように闊歩し、それを狩るギルドも企業も手慣れてきたのかますます効率は上がっている。しかしまだ森に変化の兆しはない。

 もしも、もしもエタの予想した食物連鎖が完全な的外れだった場合、目の前の死骸の意味は何もなくなる。

 ただただ、無意味に踏みにじられた命となる。

 罪悪感のせいか、胃の中からせりあがってきたものを強引に嚥下する。蟻の死骸はなんとか直視できるようになったが、気を抜くと気を失いそうになる。皮肉なことに気持ちの悪さが意識をつなぐこともあった。

 灰の巨人にもニスキツルにも負傷者は多いが、いまだに死亡者は出ていない。

 もしも大量の死傷者が出れば、平静でいられるのだろうか、あるいは、平静でいてよいのだろうかという答えの出ない疑問の沼にはまりそうでもあった。

 そこに携帯粘土板の呼び出し音が鳴る。

 弱気になった自分の心情を見透かされた気がしてエタは飛び上がりそうなほど驚いたが、作業中であることを思い出し、拒否しようとしたが携帯粘土板に表示された相手の名前を見てその選択肢はないことを理解した。

「はい……エタリッツです」

『はいはいどーも。みんな大好き商人さんです』

 ふざけた挨拶に対してかみしめた奥歯がぎしりと音を鳴らす。通話の主は件の奴隷商人だった。

『あれあれ? どうしたのかな? ご機嫌斜め?』

「いえ、なんでもありません。ご用件を伺ってもよろしいでしょうか?」

 ここ数日で鍛えられた演技力を活かして平静を保つ。こういう手合いに隙を見せることは厳禁だと理性よりも本能の部分で理解していた。

『あ、そうなんだ。じゃあ私も暇じゃないから用件だけ伝えるね』

 暇じゃないなら余計な挨拶を省け、そう心の中だけで悪態をつく。

『まず、君のお母さんの引き取り先が決定したよ。おめでとう! いやー、私はやり手の商売人だからね! 高値で買ってくれる人を見つけるのには苦労したよ!』

 やたら上機嫌で語る商売人の顔を張り飛ばしたくなったが、物理的にも、立場的にもそんなことは絶対に不可能だった。

 引き取り先というからにはおそらくは男の相手をさせられることになるだろうとは想像がついたが、それ以上先は想像しないようにした。

『次にお父さんだけどね。ちょっと年配だったからなかなか難しくてね。どこかの家に引き取るのも無理そうだから、まあ、戦争奴隷か何かになりそうなんだよね』

 普段は農作業などを行いつつ、山岳民や遊牧民との戦争になればまっさきに駆り出され、ほとんど生還する見込みのないのが戦争奴隷だ。運が良ければ無事に天寿を全うすることもあるらしいが、運が悪ければ三日で死ぬ。

『ああ、そうそう。君も一応候補は用意してあるからね。何しろエドゥッパの学生だ。読み書き計算はお手の物だろう? 僕が売る一番の商品になってくれそうだね! 期限まであと二日。楽しみにしておくよ!』

 言いたいことだけを言った商人は通話をあっさり打ち切った。

 誰の声も聞こえなくなると、エタは糸が切れたかのように地面にへたり込んだ。

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