6.空腹のガイル

 ガイルは悪戯好きの男の子だった。



「あー、ミタリア! 首に虫がいるぞ!!」


 孤児院での作業中、椅子に座って仕事をしていたミタリアの後ろにやって来た黒髪のガイルが大きな声で言った。


「えー、やだ!! とって! ガイルお兄ちゃん!!」


 慌てたミタリアが立ち上がり必死にガイルに言う。ガイルはに入れていた虫を取り出し、怯えるミタリアの手にそれを乗せる。



「ほら、取ってやったぞ」


 手に乗せられた虫を見たミタリアの顔が青ざめる。



「やだーーー!! うわーーーーん!!!」


 恐怖でその場に座り込み泣き始めるミタリア。それを見ていた周りの兄弟達がガイルを呼ぶ。



「こら! ガイル!! 待ちなさい!!」


 悪戯に成功したガイルが素早く逃げ始める。『風のガイル』、彼が持っていたもうひとつの別称。とにかく素早くて逃げ足も速い。兄弟達が掴まえようとするも簡単にそれをかいくぐり逃げ出す。



「きゃははっ!! 掴まえられるもんなら捕まえてみ……、ぎゃっ!!」


 部屋ドアから出ようとしたガイルは、突如首に感じる強い力に一瞬息が止まる。



「レ、レフォにい……」


 青髪のレフォード。弟妹達の見守り役として長兄を務める彼がそのすばしっこい彼の首を掴んだ。レフォードが言う。



「また悪戯をしたのか! ミタリアに謝れ!!」


「い、いや違うよ。俺は虫がついていたんでそれを……」



 ガン!!!


「痛ってええ!!!」


 問答無用のげんこつがガイルの尖った黒髪の頭に落とされる。レフォードの怒った目。ガイルは観念してミタリアに謝りに行った。





「いただきーす!!」


 孤児院で皆が楽しみにしている時間。それは一日三回の食事。貧しい孤児院。決して豪華な食事が出る訳ではないが、それでも兄弟達と一緒に食べる食事はこの上なく幸せな時間だった。


「ごちそうさまでした!!」


 食べ始めたばかりの兄弟の中、ガイルだけが既に自分の皿が空っぽになっている。隣に座っていた兄弟が言う。


「本当に食べるの速いよね」


「ああ、全然足りねえ……」


 そう言ってガイルは兄弟の皿にあるパンを見てよだれを垂らす。


「もうあげないからね!!」


 いつも食べものをねだられる兄弟。いい加減愛想を尽かしている。



 ぐう~


 ガイルのお腹から音が鳴る。彼のもうひとつの名前、『空腹のガイル』。幼少期から食欲旺盛で食べても食べても簡単にお腹が満たされることはなかった。



「ガイル、これを食べな」


 そんな彼に半分にちぎられたパンが差し出される。


「レフォ兄!」


 ガイルの顔が一気に明るくなる。レフォードは差し出したパンを嬉しそうに受け取るガイルを見て微笑む。



「お兄ちゃん、私も食べるぅ!!」


 レフォードが持っていた残りのパンも別の弟妹に奪われる。ガイルが尋ねる。


「レフォ兄、いいの食べて??」


 いつも貰っておきながら一応尋ねるガイル。レフォードが笑顔で答える。



「ああ、俺は少食だからな。遠慮するな、食べろ」


「ありがと!!」


 ガイルはレフォードから貰ったパンを大きな口で食べ始める。



「美味い!! レフォ兄から貰うパンは最高だな~、もぐもぐ」


「たくさん食べろ。ただ食べ物を粗末にするなよ」


「ああ、分かってるよぉ、もぐもぐ」


 貧しく厳しい孤児院時代。それでもガイルにとっては幸せな時間であった。





「ガイル、元気でな」


 いつか訪れる別れの日。

 ガイルも例外でなく、とある地方商家の元へ使用人として引き取られることになった。労働は厳しいが公平に扱ってくれる商家。レフォードも納得の上での送り出しであった。



「真面目に働けよ」


「レフォ兄……」


 元気で腕白だったガイルが初めて見せた涙。見送る兄弟達との別れはまだ幼い彼にとっては両親を亡くした時よりも辛いものであった。




 ガタガタガタ……


 商家へ向かう馬車の中。悲しさと寂しさに打ちひしがれる中、更なる不幸が彼を襲う。



「ば、蛮族だ!!!」


 最近活動が目立って来ていた蛮族。様々な場所に拠点を移し、人々を襲う恐ろしき存在。警護の隙をつく巧みな襲撃に騎士団ですら手を焼いていた。



「ぎゃああ!!!」


 あっと言う間の出来事であった。

 ガイルと一緒にいた商家の人間は護衛を含めて全滅。命の危険を察したガイルは、その天性の素早さでひとり脱出。必死に追ってくる蛮族達を煙に巻き逃走する。



(殺される、殺される!!!!)


 これほど全力で逃げたことはなかった。感じたことのない恐怖。その極限の状況でも彼は驚くほど冷静に対処した。



「痛っ!!」


 だが相手は襲撃のプロ。本気を出した蛮族の幹部にあっと言う間に捕まってしまった。首を掴まれたガイルが大声で騒いで抵抗する。



「は、放せ!!! 放せ、放せっ!!!!」


 幹部は驚いていた。これほどの幼き少年が蛮族数名を手玉に取るとは。幹部はガイルに顔を近づけて言う。



「お前、うちに来ねえか」


 商家に売られた日、くしくもそれが『蛮族ガイル』の誕生の日となった。





「勝者、ガイル!!!」


 蛮族となって数年、ガイルはその戦闘能力を飛躍的に上げていた。



「マジ強いな、ガイル」

「大したことないぜ。素早いだけだ」


『風のガイル』と呼ばれた彼。その素早さを活かした戦闘をベースに、最近は力強さも加わっている。まだ年少ながらもその実力は蛮族の中でも上位に食い込んでいた。




「あれは……」


 そんな彼がよく目にする風景。

 それは大量の豪華な食事を部屋に運んでいく風景。仲間が言う。



「美味そうだな。幹部になればあんなのが毎日食べられるんだぜ」


「ああ、マジで美味そうだ……」


 蛮族の幹部以上は特別な料理が用意される。それは一般戦闘員とは雲泥の差。食べることに関して人一倍執着していたガイルは、目に映る豪華な食事に心を奪われていた。



(足りねえ、足りねえ、全然足りねえ。もっと、もっともっと食べたい。もっともっと……)






「もっと持って来いーーーーーっ!!!!」


「はっ! ただ今!!!」


 当時の蛮族の頭領が敵との抗争で戦死し、若干16歳で新頭領として跡を継いだガイル。弱小だった蛮族集団『鷹の風』を率いて二年、あっと言う間にこの辺りで屈強な蛮族の集団を作り上げた。

 その戦闘スタイルは『風』。素早く動き痕跡を残さず去る。脳筋ばかりだった他の集団に比べ戦略的に戦うガイルの蛮族はめきめきと強くなっていった。



「ああ、足りねえ。もっともっと持って来い!!!」


 頭領になってからも続くガイルの空腹感。舌も肥え、様々な豪華な食事が提供されたがどれも彼を満たすことはできなかった。



「違うっ!! こんなんじゃねえだろ!!!」


 バリン!!!!


 時には並べられた料理をひと口だけ食べてすべて床に投げ捨てた。給仕係が慌てて片付けながら謝る。



「申し訳ございません。ガイル様!! 直ぐに作り直します!!!」


 給仕達が割れた皿や料理を片付け厨房に戻る。



「食事以外は、本当にいい人なんだけどねえ……」


 料理人がつぶやく。


「本当にそう。どうして食べ物にだけあんなに固執しちゃうのかしら……」


 給仕もそれに同意する。

 食べること以外に関してはガイルは理想的なリーダーだった。実力主義を貫き、それ以外でも人を統べる能力を持つ者に対してはどんどん昇級させたし、戦闘員らの食事も格段と向上させた。

 腕白なところはありつつも、自ら厳しい訓練をこなし皆の模範となる。襲撃にも戦略性を持たせ、無理だと思ったらすぐに退かせるよう指示。その咎は一切問わなかった。


 こうしてガイル就任後の『鷹の風』は騎士団からも警戒されるような存在へとなっていった。すべてが順調にいっていたガイル。そんな彼にとある一方がもたらされる。





「ガイル様、ひとつご報告が」


 食事を終えたガイルに幹部が報告にやって来る。黒く尖った髪を触りながらガイルが聞き返す。


「なんだ? どうした、そんな顔をして?」


 いつもと違った幹部の神妙な顔つき。眉に皺を寄せるガイルに幹部が言う。



「戦闘員がやられました。ひとりの男に」



「やられた? どんな奴だ? 騎士団か?」


 ガイルの顔が真剣になる。



「いえ、分かりません。何者かは分かりませんが、マルマジロの鎧を着た戦闘員を素手で鎧ごと破壊してやられました」



「なっ!?」


 騎士団の重装備に匹敵する魔獣マルマジロの鎧。ガイルが見出し『鷹の風』愛用となっていた自慢の鎧を素手で砕くなど考えられないこと。



「武器か、魔法じゃないのか?」


「それも分かりません。ただ恐ろしく強い青髪の男で、帯刀していた剣を抜きもせず素手で破壊したとの報告が上がっています」



「剣を抜きもせず、青髪の男か……」


 ガイルがそう小さくつぶやく。何者かは知らないが自分に喧嘩を売って来たとはいい度胸である。一方で幹部に指示を出す。



「そろそろ新たな戦闘員の募集を行った方がいいな。勢力拡大も必要だし、そんな得体の知れない奴がいるなら強い手駒はもっと欲しい」


「御意。すぐに準備を致します」


 そう言って幹部が去っていく。




(青髪の男……、一体誰なんだ?)


 ガイルが天井を見つめながら思う。

 まだこのとき彼にはその人物が誰なのか全く想像すらできていなかった。






「ねえ、お兄ちゃん~、何読んでるの~??」


 青髪のレフォードがミタリアのヴェルリット家にやって来て早一週間。衰弱して痩せこけていた体も随分と回復し、血行も良くなってきている。バランスの良い食事に暖かなベッド。清潔な環境が彼を本来の活力満ちる姿へと変えていた。レフォードが答える。



「ん、ああ。新聞をだなちょっと読んでいて……」


 奴隷労働生活が長かったレフォード。世間のことにかなり疎い。政治や経済など新聞や執事のセバスの会話は彼にとって非常に有益なものであった。ミタリアが赤いツインテールを揺らしながら新聞を覗き込む。



「ふむふむ……、お兄ちゃんは勉強家なんだね~!!」


(ち、近いっ!!)


 目の前に差し出されるミタリアの頭。漂う女の香り、強調される胸の谷間。レフォードは兄と言う立場にありながらも一瞬ミタリアのにくらっとする。レフォードが首を少し振って尋ねる。



「なあ、この『ガナリア大帝国』ってのはそんなに危険なのか?」


 ミタリアの顔が真剣になる。


「うん、北にある大きな国で南下へ侵攻するって噂がずっとあるんだよ。うちのラフェル王国や周辺国が力を合わせないと対抗できないって話だけど……、中々難しいみたいだよ」


 レフォードはこんなに大切な話も知らなかった自分がやはり情けなくなる。


「ラフェルも周りと仲が悪いってことか」


「うん、結構国境で戦闘やってるって聞くし……」


 無言になるふたり。

 ミタリアが笑顔になって言う。



「そうだ、お兄ちゃん。忘れてた」


「なんだ?」



「あのね、明日領地の視察に行くんだ。早速だけど護衛お願いね!」


 レフォードはミタリアの護衛の役を任されていたことを思い出す。


「ああ、分かった。付き合おう」


 ミタリアが両手を上げて喜びを表す。



「やったー!! お兄ちゃんとお出掛けデートだぜ~!!」


「デ、デート……」


 レフォードはその視察を思い、小さくため息をついた。

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