第34話 君の名は

「はっ、はっ……出口が見えたよルカっ!」

「はぁっ、はぁ、ああ、このまま突破するぞ!」



 南西へ直進を続けた彼等は程なくしてゼノンが撒いた光の道標を発見し、最低限の妨害を退けながらも脚を止めることはなかった。



「ルカさんサキノさんっ、前方にトレントとオークがいます!」



 悪足掻きのように道を閉ざす二体の強化種。



「最後の最後まで……なぁ、サキノ」

「うん、賛成」



 回避しても良かった。出口は目前、多少の迂回は許容範囲内であるのは確かなのだから。

 しかし夜通しの任務で鬱積していたルカ達はそうしなかった。



「やっちまおう」

「やっちゃおう」

「「「へ――ぎゃあああああああっっ!?」」」



 奇抜な運動に耐性のない亜人族達さんにんの絶叫を体に貼り付けながら二人は戦意を燃やす。

 サキノはオークの直上に跳躍し、白光の踵落としで防御ごと粉砕。両腕に子供達を抱えたルカは根を蠢かすトレントの懐へ俊敏過ぎる肉薄で侵入し全力の蹴撃で二体の強化種を瞬殺した。



「ナーイスサキノ」

「ルカもね。ちょっとだけすっきりしたかも」



 着地を連動的にスタートダッシュに変えた二人は遂にヒンドス樹道を脱した。



「光だ……マジで生きて帰って来れたんだ……」


 

 九死に一生体験を経たゼノンは感嘆を零し、クゥラはズビズビとまた涙を流し始める。

 子供達は安堵しきっているが一難はまだ去っていない。



「マシュロはこのまま子供達を連れて都市へ向かえ! 今追ってきてる魔物は俺とサキノが喰い止め――る?」

「魔物達が立ち止まって……どうして追ってこないの……?」



 ヒンドス樹道とその外界の境界線。まるで見えない壁があるかのように魔物達は越えられずに立ち固まり、やがて踵を返して昏い森の中へと帰っていく。

 そこに大型のモンスターの姿はなく、後ろ姿を晒すのは黒い小人の集団。



「あの魔物は……?」

「あれは『ミミック』です。知能が高く、擬態を得手としている狡猾な魔物です。彼等がわたくし達を諦めたのは、ヒンドス樹道という狩場なわばりを越えたからではないかと……」

「禁足地の外には指標となるものが多くあるもんね。奇襲を主とするミミックには不都合が過ぎたのかも」



 ヒンドス樹道が手管を弄するに当たって肝要となるのは、いかに上手く戦士を騙すことが出来るかである。

 勢力を結集し、謀を弄し、それでも誰一人欠けることなくヒンドス樹道を脱したルカ達に実力では到底敵わないとミミックは判断したのだ。



「迷宮の中で芽生える不安は困惑へと誘い、迷宮の中で与える安心感は絶好の狩り時ってことか……はぁぁぁぁぁ……何はともあれ、なんとかなったな……」

「低層でこれだけの脅威だと、禁足地に指定されるのも頷けるね……」



 包囲の危険性も追手の可能性も限りなく除去した一同は、心身最大の疲弊にどさっと腰を落とした。



「……生き、てる」



 クゥラが拾った命に僅かな吃驚を呈し、異端の少女はハッと顔を上げた。



「そ、そうよっ!? ヒンドス樹道に勝手に行くなんてどういうつもりっ!?」

「ごめん姉ちゃん……」

「ごめんじゃない! 禁足地に! 何も言わず! 自分達だけで! ありえない! ありえない!! 一体何を考えてるの!?」



 本当に心苦しそうに謝罪をするゼノンだったが、鬼の保護者と化した少女は普段の敬語も抜け落ちながら吼える。

 どんどん萎んでいく子供達を気の毒に思い、ルカは立ち上がり少女の肩に手を置いた。



「そこまでにしておいて――」



 言いかけて、その手を離した。



「本当に、何を考えて……貴方達に何かあったら……貴方達がいなくなってしまったら、わたくしは、ひ……一人に……」



 少女は泣いていた。ポロポロと涙を流しながら。

 唯一の味方を失うことがどれだけ恐ろしいことか。

 終わりの見えない、微かな物音に怯える夜を一人で明かすことがどれほど心を蝕むことか。

 誰よりも孤独を恐れる少女は土を次々と涙色に染め上げていく。



「……お、ねぇちゃ……私達、これ、を……」

円月花パンセレーノン……新薬の開発に不可欠なんでしょ……そんなに無理しなくても……」

「俺だぢだっで! 姉ぢゃんのぢがらになりだいんだ!」

「……一人でっ、頑張るお姉ちゃんのこと、私達も助けたい……」



 非力な子供達なりの痛切。

 守られ、養われるばかりの自分を変えたい。

 貰ってばかりではなく、与えたい。

 自己中心的な子供の考えではなく、一人の人間として。



「貴方達がいてくれれば私はそれでいいのに……」



 少女は二人を抱きしめ、子供達はぎゅっと抱きしめ返す。ごめんなさい、ごめんなさいと咽び泣きながらも力強く。

 立ち並んだ二人の人族に見守られながら、三人は時間が許す限り哭し続けていた。




± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±




 二時間後。

 帰路途中で眠りに落ちた子供達を背負って五人は廃工場へと帰還した。

 サキノは騎士団に報告をするため一足先に発ち、現在、少女はルカに頭を下げ続けていた。



「ルカさん、本当に、本当にありがとうございます。どうお礼をすれば良いか……」

「礼なんて気にしないでくれ。誰も傷付かなくて済んだことが一番だろ?」

「でもそれはあくまで結果論であって……っ。ルカさんに死地に同行して頂く覚悟まで背負わせておいて……それではわたくしの気が済みません。お金でも道具でも……それくらいしか私が差し出せるものはありませんが……」

「いいんだよ、本当に。……って言っても君が納得できないか……」



 帰らぬ身となる覚悟を背負わせた少女の感謝の意を謝絶することは簡単だった。

 けれどそれでは少女が納得しないと気持ちを汲み取ったルカは一つの提案を申し出る。



「じゃあいつか君の話を聞かせてくれないか?」

「私の……話、ですか」

「あぁ、形として残らなくていい、断ち切られる筈だった他種族間の繋がりを俺は紡いでいきたい」



 それは決してルカにとってデメリットのある提案ではなかった。

 少女はそんなルカの提案に目を見張り、そしてルカから顔を逸らした。



「……ルカさんは、ずるいです」



 出会えたのがこの人で良かった。信じた人がこの人で良かった。そして助けを求めたのが――。

 僅かに綻ぶ頬に気付かないまま、少女はそこまで考えてある一つの疑問に思い至った。



「でも、どうして私の事を、子供達の事を助けて頂けたんでしょうか……? 思い返せば申し訳が立たないほどに非礼しか致していませんし、精々顔見知り程度で関わりがない筈なのに……」

「どうして、か……君は最初こそ敵対心を剥き出しだったが、誤解が打ち解けてからはずっと俺の事を信用してくれてたんじゃないか? 追われる身で、初対面なのに俺を信じて住処に案内してくれた。本心を話そうとしてくれてた。だから俺はそれに応えなきゃいけないかなって思ったんだ」



 少女の根拠のない信用が、ルカを突き動かした。

 少女が感じた『何か』は間違いではなかったのだと。



「力のない私は誰かに縋ることしか出来ませんので……」



 自分だけで生きていけるほど世界は自分に優しくなんてない。

 弱者は強者の手を借りなければ立つことすらままならないことを知っている少女は卑下に零す――が。



「俺はそうは思わない」

「えっ……」

「君はオーガの群れに勇敢に立ち向かっていた。逃亡中のみでありながら子供達を救出するために任務中の人前に出張った。子供達に下ろされた決死の攻撃を身を挺して庇った。敵を倒すための強さとは関係ないかもしれないが、君は確かに『護る力』を持ってる」

「護る、力……そんな大層なもの、わたくしにあるんでしょうか……」

「君がいたからあの村は無事だった。君以外に護れなかった子供達を君が護った。力の理由なんてそれで十分だろ?」



 不器用な笑顔を作りルカは微笑む。

 笑うことが苦手であろうルカの笑みを見て、少女は胸の積雪が少し溶ける感触を覚えた。



「ルカさんがそう言ってくれるのなら……そうなのかもしれませんね。ほんの少しだけ、自分を誇れるかもしれません……」

「俺はまだ君の事をよく知らない。君は自分を認められないのかもしれない――でも俺は弱いだけじゃない君を知ってる。自分を卑下する必要なんてないよ」

「あ……」



 それは少女が求めていた答えだった。

 自身が強いとは思わない。思えない。けれど弱さだけではないことを、誰かに証明して欲しかった。

 誰も認めてくれない、ずっと雪の下に埋もれていた感情をそっと掬われた。

 自分を見てくれる人が、現れた。



「ルカさん、ありがとうございます」



 全ての事柄に感謝を。深く、長く、頭を下げ続けた。

 その少女の後頭部を眺めながらルカは。



「名前を」

「え?」

「君の名前を教えてくれないか?」



 一度も聞いたこともない少女の名を求めた。



「え、と……ルカさん知って……いえ――」



 危機迫る状況から名を叫んだことから認識しているだろうと。

 それでも少女の口から聞きたいと。

 


「――私の名はマシュロ・エメラですっ」



 青空が広がる太陽の下、多くの涙を養分に。

 マシュロ・エメラは新雪の下に小さな微笑はなを咲かせたのだった。

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