第33話 母は死んでいなかった

 白峰は相変わらず、表情の乏しい冷たい瞳で私を見下ろしていた。明かりの少ない牢屋にいたせいか、より冷徹な表情に見えた。


 しかし、母の声がして冷静さを取り戻した私は、白峰の持つ力がわかったような気がしていた。恐らくは空間転移の類だ。自身の他にも触れたものまで、その対象とすることができるのだろう。だからこそ私を拉致するには肩に触れる必要があったのだろう。


 戦いに向いた強力な妖術だ。空間転移という単純な妖術ながらも、攻防の全てに応用の可能性を感じさせる。


「私は独りでいろ、と言ったはずだが……」


「そうでしたね。大人しく従うと思ったのですか?」


「よくもまあ、強気でいられるものだ……お前が何故生かされているかも知らないのに」


 白峰は壁に寄りかかり腕を組んで鼻で笑った。


 気に食わない態度だったが、白峰は質問に答えてやるとでも言わんばかりの物言いだ。


「ずっと、気になっていたんですよ。天狗たちは私を殺せる瞬間があった。どうして私を殺そうとしなかったのですか?」


「それは、私が玉藻を殺し損ねたからだ。お前には、奴をおびき出す餌になってもらう。全国の妖怪に、お前の処刑を五日後に行うと布告した。幾度でも逃げるがいい。何度でも捕らえてここに連れ戻してやる」


「そんな……まさか、母が生きているなんて……」


 私は驚いたふりをしておいた。私が母をおびき出す餌と言われ、今まで天狗に泳がされていたことに納得がいった。


 そして何よりも母が生きていると言われて心当たりがあった。思い出してみれば、母の存在を感じさせる出来事はあった。三本目の尾が生えた時の胡蝶蘭の花である。あれは姿を見せられない母からのささやかな祝福だったのだ。


「いいえ、大人しく五日後を待ちましょう。母が生きているのなら、必ず助けてくれますから。私は母を信じています」


「そうか、なら、そうしてくれ。私に余計な仕事を増やさないことは良い心掛けだ」


 白峰はそう言って空間転移を使って姿を消した。


 私は腰を下ろすと、白鞘の太刀を握って憑依を試みた。


 間違いなく、この刀は母である。そんな確信があった。


 初めて見る母の心象風景は夜の海中であった。月明かりが射して明るくなり照らされた赤い珊瑚には、白鞘の太刀と大太刀が突き刺さって、珊瑚の近くには赤や青、緑、黒、白といった様々な色の魚が泳いでいた。


『母さま……ここにいるんでしょう?』


『ええ、よくここまで辿り着きました』


 母は珊瑚の前に姿を現し、私を抱きしめた。本物の母だと確信できる温かさだった。


 それに心象風景で会話ができるのは妖狐だけである。


『ごめんね。葛……騙すようなことをしてしまって』


『いいえ、母さまがいてくれただけで私は嬉しいです』


 母も辛かったのだろう。五年もの間、私に話しかけたい瞬間もあったはずだ。それを今の今まで耐えてきたのだ。


『私は母さまも一緒に斬られてしまったとばかり思っていました』


『白峰さまの妖狐対策はお父さんを斬るには充分なものでした。憑依して霊体化しているお母さんまで斬るには、もう一工夫必要だったの』


 私は小鬼を使って憑依した状態で傷を受けた時の確認をしていたことを思い出した。あの時はただの脇差だったから傷をうけなかったと思っていたが、様々な妖怪の力を集約した白峰の特大剣ですら斬れないとは意外だった。


 母が無事だったと安堵するとともに父は本当に死んでしまったと察してしまった。父はまた会えると言ったが果たして何年かかるか見当もつかなかった。殺生石から復活した妖狐の話は聞いたことがなかった。殺生石になることを母は前提としているあたり、前例はあるのだろう。


 私を捕らえて処刑を布告するということは、天狗は霊体化した存在を斬る術を見つけたと見て間違いない。


 そして私は一番気になっていたことを聞くことにした。


『母さまたちは、どうしてあの時、白峰に立ち向かわなかったのですか?』


『お父さんは、あの場で消耗した状態で死に至ることが望ましくなかったの。ある程度、意識を残した状態で殺生石になり、忍くんの大太刀になる必要があったのです。白峰さまに対抗するには、戦いに特化した誰かを育てる必要があったの。巻き込む形になってしまったのは申し訳ないけれどね』


 母の妖怪として格の違いを思い知らされた。流石は千年を生きた妖狐である。きっと、憑依を克服した存在が現れた時のために幾つもの策を準備してあったのだろう。


『母さまは今後、どう動くつもりですか?』


『このまま処刑の日まで、何もせずに力を温存して待ちます。当日に白峰さまと交渉して妖狐の自由を求めます。交渉材料は白峰さまが本当に警戒するべき妖怪の情報提供です』


 私は、ふと違和感を覚えた。密告など母らしくないとでも言うのだろうか。

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